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640時間の夏休みチャレンジ:日常の中の無限の学び

 夏休みも半分以上が過ぎました。あと2週間をどれだけ楽しめるか! 大事なところですよ。夏休みが始まる前に、一部の子どもたちに提案しました。



「この夏休みに640時間、勉強してみませんか?」

「えー、そんなの無理―」という反応が当然のように返ってきます(そういう反応が返ってきそうな子たちに提案したので)。

 無理って思う前に、まず640時間勉強するってどういうことか考えてみませんか? 夏休みは何日ある? 約40日ですね。 40日で640時間勉強するって、どういうことだろう? 割り算したらわかるね(会話を通して数量的な確認をする習慣を身につけられるといいですね)。

平均すれば、1日16時間ですね。

「絶対無理―、だって寝なきゃいけないし、ご飯食べたり、遊びに行く予定だってあるし・・・」
 だけど、もう少し考えてみませんか? 遊びに行く予定もなく、「この夏は勉強しかしない!」と思っている受験生でも、そんなに長くはやりませんよ。それなのに、どうして私は640時間勉強しようと言っているんでしょうね?
鬼だから!
 そうかもしれませんね(笑)。確かに見方によっては鬼の所業かもしれませんよ。

 私が伝えたいのは、「脳はいつでも動いているよ。遊んでるときも、ゲームしてるときも、ご飯食べているときも。おしゃべりしてるときも。 だからいつでも頭を鍛えることができるはず。 机に何時間向かっていたかではなく、頭がどれだけ鍛えられているか? に意識を向ければ、起きているあいだじゅう勉強していることになりますよ」

- 自分が今何を考えているのかを、意識してみる
- 何か気がつくことはないか?、と考えてみる
- いい考えが浮かんでいないか?
- いまやっていることをもっとおもしろくするにはどうしたらいいかな?
できればメモとかに残しておけば、もっと良いですね。

中間報告

「何かおもしろいこと見つけたり、やってみたりしましたか?」
反応はそれぞれ。折り紙の話をしてくれる子、旅行で行った場所について話してくれる子、花火を見て感じたこと、本を読んで自分でもやってみたいと思ってやったことについて話してくれる子・・・。それに対して私のほうも、一緒に喜んだり、追加で提案したり、持っている知識の中から話題を広げたり・・・。

- 折り紙の大作にチャレンジ
- イスラム建築などに見られる幾何学模様を紹介して、一緒に書いたり
- 火薬について『Dr.STONE』で何か書いてなかったっけ?
- 種類によって木の形も違うんだね。書いてみようか
- 『キングダム』にはまっている小学生には、出てくる地名と登場人物の名前を漢字で書けるようにしてみよう!
- 野球が好きな子と一緒に、甲子園に出ている各都道府県の代表校を覚える対決(?)もしています
- お蕎麦の薬味を他の食べ物にかけてみたり
- 暑い日に、いろんな場所の気温を測ったり
- 日干しレンガを作ったり

 身の回りのちょっとしたことに疑問を持って調べてみたり、実験するなど、能動的に学習できることが、今後ますます重要になります。与えられたものを消費者として楽しむだけでなく、他人が見過ごしているようなことからも、問題を発見したり楽しめるるようになってほしいです。

体験格差とは

 最近「体験格差」ということが言われるようになりました。子ども時代にどれだけの経験ができるかが親の収入によって決定づけられ、それが子どもたちの将来を決定すると。

 それについて私は、「子どもの頃の体験は大切である」という主張には賛同するものの、「体験はお金をどれだけ掛けられるか」に依存するという考えは、完全に間違っていると思います。

 たとえ裕福で、あらゆるものが与えられたとしても、最終的にその子の頭や心に何が残っているのでしょうか? そこまではコントロールできません。すばらしい場所に旅行し、おいしい料理を食べ、さまざまな「お教室」に通い、良いものにたくさん触れたとしても、ほとんど何も感じていなかったとしたら、その経験は活かされることはないでしょう。むしろ子どもは、「しょうもない!」と思うことばかり覚えていたりするものです(しょうもない!と思うことからも話を広げていけば意外な気付きが得られると思います)。反対に、特別なことはなくても、自然の移り変わり(空の色や雲の形が普段と違うことに気がついたり、植物の成長を目の当りにしたり)、実験的精神(図書館で読んだ本からヒントを得て何か作ってみたり)、いつもと違った会話(人生について誰かと語り合ったり)、、、そういうことで子どもたちの知的好奇心はいくらでも広げられます。


 子どもの好奇心を育てるために、大人は何ができるでしょう。まず何よりも、話を聞いて噛み合った会話をすること。そして、子どもを「お客さま」として大切に取り扱ってくれるよりも、「個性を持った一人の人間」として対等に接してくれる人(大人でも子どもでも)と出会うことだと思います。手触り感のある刺激を受けることが、本当の体験であり、本当の勉強ではないでしょうか。


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