嘘つきについて考える金曜
華金。
そんな夜にお酒を飲みながら、こうやって文章を書く。
寂しいと書こうかと思ったけど、意外とオシャレな過ごし方なんじゃないかと思ってたりする。
前回、noteを書いたのが12月。
もう半年以上が経っている。
定期的に書きます!!
何回言ったか、覚えていないけど、もう色々言った。
いつも嘘ばっか。
この文章を書く前に近くコンビニにお酒を買いに行く間にふっと思った。
「俺って、嘘つきだなーーー」って。
薄々勘づいてはいた、いや、たぶんこれも嘘。ずーっと気づいていた。
小さい嘘は普通の会話ですぐつくし、無意識でもやってる。
嘘をつくって言っても、小さな小さな嘘だ。
例えば、次会う気のない人に「また今度ね」と言ったり、身長を1cm高く言ったり、知らないことを知ってる風な感じで聞いていたり、まあこんな感じ。
「嘘は絶対についてはいけない」
僕は子供のころ、ルールを守れなかった僕が嘘ついて逃げ切ろうとしたときに、母親にめちゃくちゃ怒られて、言われたことだった。
そのエピソードはすごく印象的で、どこで、なぜ怒られたのか、鮮明に憶えている。
もう1つ印象に残っている母とのエピソードがあって、
母親の誕生日の日。友達が家に遊び来て、純粋な僕は友達にこう言った。
「俺のお母さん、今日33歳の誕生日なんだあ~」
それを聞いた母が
「違うよ。33歳じゃないよ」とすぐ友達の前で訂正した。
いやいや、お母さんよ、俺にはこの前まで32歳って言ってたやん、人に言う割にめっちゃ嘘つくやん!!
って今ならツッコミたい。
このエピソードも小学校1年くらいのエピソードなんだけど、強烈に印象に残っている。
面白いのが時系列的に、母親が嘘ついているエピソードの方が先で、噓つくなと怒るのが後。
理不尽極まりない、、、
こんなどうでもいいエピソードから言うに、みんな結構嘘ついているよねっていうこと。
嘘つく自分が嫌で、自己嫌悪とか結構なったりするんだけど、嘘つくのだめだよねって主張は、平和になればいいよねとか、いじめしてはいけないよねってくらい、距離を感じる綺麗事だから、あんま気にすることもない。
まあ、綺麗事好きなんだけど。
嘘をつかない、そんな綺麗な生き方に憧れるけど、それで自分を追い込んだりしたら本末転倒だし、今は自分が嘘をついているってわかっているだけでもいい。
綺麗に生きたいけど、綺麗に生きなければならないわけでもないし。
ある起業家が
「人に嘘はついても、自分には嘘はつくな」って言ってた。
自分が幸せになるために生きている。
だから、自分に嘘をつかない。
やりたいのにできないことに正当っぽい嘘の理由を作らない。
とりあえず、これだけ意識していきたいな。
あー、文章書くの楽しかった。
これからも日記的な、こんな感じのことを定期的に書く。
これも嘘かもしれないけど、、、
でも、書きたいって思っているのは本当だから、仕事が忙しいとかそんな正当っぽい嘘の理由でやめないように頑張る。
ビジネス書読むと、書きたい欲が湧く。いいインプットすると、アウトプットしたくなるのかもしれないなあ。
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