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僕と命のロウソク

第四十四話 凶変

 2学期に突入して1週間が過ぎた。

 今日も授業を終え、僕とゆかりちゃんは部活のために美術室に向かった。

 昨日、大川部長が、『山崎君は、模型のジオラマ制作や紙粘土のフィギュア制作が上手だったから、絵を描くことよりも物を作ることのほうが合ってるかもしれないね』と言って、今日から本格的に陶芸に挑戦することになった。

 入部して間もないころに少しだけ陶芸を教わったけど、その時は、大川部長が難しい作業のところをすべてやってくれて、僕は最後の仕上げだけやる感じだったので、一から陶芸ができると聞いてちょっとうれしくなった。

 ウキウキ気分で美術室に到着すると、室内からヒステリックな女性の声が聞こえてきた。

 美術室は、通常の教室とは違い、作業するために防音効果のある鉄製の扉が備え付けられているので、その扉越しに声が聞こえるということは、相当な大声を出していることになる。

 僕は、ゆかりちゃんに目配せをしたあと、ゆっくりと美術室のドアを開いた。

 室内では、ずっと体調不良で休んでいた朝霧先輩が、金井先生に向かって大声で何かを言っていた。だけど、彼女が興奮しすぎて何を言っているのか聞き取れなかった。

「あっ、千里先輩!」

 ゆかりちゃんが声かけると、朝霧先輩は僕らの存在に気づいて黙り込む。そして、いつもの柔和な朝霧先輩からは想像できないキツイ視線で僕らのことを睨み返すと、小走りに僕らが入ってきたドアを乱暴に開けて出て行った。

「ど、どうしたんですか、千里先輩!」

 すれ違うときに見た朝霧先輩の目からは、涙があふれ出ていた。それを見たゆかりちゃんは、動揺しつつも朝霧先輩が心配になって追いかけようとした。

「ついてこないで!」

 朝霧先輩の怒鳴り声で、ゆかりちゃんは、その場に凍りついたかのように立ち止まった。

 多分、朝霧先輩からこんな態度を示されたことがないのだろう。ゆかりちゃんの頭の上のロウソクの炎の色が、一気に真っ黒に変色した。

 走り去る朝霧先輩の背中を呆然と見送るゆかりちゃん。朝霧先輩の姿が、廊下の突き当りの角を曲がって見えなくなった。

 しばらく立ち尽くしていたゆかりちゃんだったが、いきなり頭の上のロウソクがまるで爆発したかのように真っ赤に燃え上がった。

「金井先生、どういうことなんですか! なんで千里先輩が泣いているですか! 先生が何かしたんですか! 説明してください!」

 ゆかりちゃんは、金井先生に詰め寄ると、一気にまくしたてるようにして言った。

「青山さん、落ち着いて、落ち着いて! 僕にも何が何だかわからないんだよ! 朝霧君に呼ばれて美術室に来てみたら、いきなり朝霧君が『もう絵は描けない!』て言って絵を破き始めたんだよ」

 そう言って、金井先生は、視線でイーゼルに立てかけてある絵を示す。

 その絵は、以前朝霧先輩が描きかけを見せてくれた『キリストの誕生』の一場面だった。

 家畜小屋で、出産直後の横になっているマリアと、そのそばに置かれたイエス。2人を見守る夫のヨセフという構図。以前見せてもらったときは線のみのラフ画状態だったけど、今は、色も塗り込まれていて完成といってもおかしくなかった。でも……マリアと赤ちゃんの顔が黒く塗りつぶされている。さらに、絵が大きくバッテンに切り裂かれていた。

「ひどい……なんで……なんで千里先輩は、こんなことをしたの……」

 涙ながらにつぶやくゆかりちゃんをよそに、金井先生が僕に話しかける。

「朝霧君のことは大丈夫だ。今は興奮しているみたいだけど、彼女が落ち着いたときに僕が相談にのれば、すぐに描けるようになると思う。――それじゃあ、僕は用事があるのでこれで失礼するよ。山崎君、君はこの絵を片付けておいてくれないか」

 金井先生は、そそくさと逃げるようにして出て行った。

 金井先生は、朝霧先輩がすぐに描けるようになると思っているようだけど、僕は彼女が以前のように描くことができないと思っている。それは確信に近い。

 僕は、見てしまった。

 朝霧先輩が持つ銀色に輝くロウソク。有り余る才能を持つ人が許されたあのロウソクが、今は黒く変色していることを……。

 ロウソク本体が黒くなる理由を、僕は知っている。これまで幾人も見かけている。特に女性に多いことも……。

(朝霧先輩のロウソクが黒くなったことを、ゆかりちゃんに話すべきだろうか……)

 僕は悩んだ。

(いくらゆかりちゃんが朝霧先輩のことを尊敬して好いているといっても、先輩の知られたくないことまで伝える必要があるだろうか……)

「ゆかりちゃん……」

 破かれた絵の前で泣き続けるゆかりちゃんに声をかけた、その時!

 キャァァァァァァァッ!!!

 ものすごい悲鳴が窓の外から聞こえた。


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