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僕と命のロウソク

第三十一話 テスト勉強

 僕が初めての作品である転写絵を制作してから、あっという間に1ヶ月が過ぎた。

 その間、朝霧先輩が忙しい創作の合間を縫って、風景画のコツを手取り足取り腰取り教えてくれたり、大川部長が轆轤(ろくろ)を使った本格的な陶芸を教えてくれたり、かと思えば、模型を使ったジオラマ作りや紙粘土でのキャラクター・グッズ作りをやったりと、とにかく今まで体験したことのないものの連続で、僕は美術にのめり込んでいた。

 今日は、大川部長から珍しく連絡事項があるというので、僕とゆかりちゃんは昼食を終えたあと美術室に向かった。

 美術室に行くと、大川部長が一人で待っていた。

 大川部長は、僕らを席につかせると、おもむろに話し始めた。

「わかっていると思うけど、来週に中間テストがあります。そのため、今日から1週間は、部活動禁止になります。部活動が休みの間は、試験勉強の方をがんばってください。それと、うちの学校は、テストで赤点を取った人に、追試で平均点以上を取るまで部活動禁止令が出されますので気をつけてください。――二人ともテストは大丈夫そうですか?」

「わたしは、バッチリです! 授業での予習・復習もかかしたことないですし、もうテスト範囲は勉強済みです。テスト前になって焦って勉強することはありません」

 と、元気よく答えるゆかりちゃん。

「で、山崎くんの方は?」

「えっ……」

 大川部長に尋ねられて言葉に詰まった。

 最近、部活でやったジオラマ模型にハマって、毎晩遅くまで作っていて寝不足で授業中爆睡していたとは言えない……。授業のノートもほとんど取ってないから、相当ヤバいかもしれない……。

「晶君、授業中によく寝てるから、テストの点は危ないんじゃないの?」

(ギクッ! うっ、授業中に寝ていることが、ゆかりちゃんにバレてる…… ゆかりちゃんの席は一番前で僕の席は見えないはずなのに……)

「テストまでまだ1週間あるし、なんとかがんばります……」

「本当に大丈夫かい? うちの学校、変に進学校を気取ってるから厳しいよ。赤点も2つ以上だと夏休みに補習授業があって、夏休みが半分は潰れるからね」

 と、大川部長が不安になることを言ってくる。

「僕が教えてあげたいのはやまやまなんだけど、さすがに今年は受験生だから学校の勉強以外の受験勉強も忙しくて見てあげる余裕がないんだよね…… う~ん、どうしようか……」

 大川部長が頭を悩ませていると、

「じゃ、私が大川部長の代わりに晶君をミッチリキッチリ教えます! 目標は、全科目80点以上です!」

 拳を突き上げてやる気を見せるゆかりちゃん、今日も本当に元気だ。

「いやいやいや、ゆかりちゃんそこまでがんばらなくてもいいよ。平均点以上が取れれば」

「晶君、志が低すぎ! 男の子だったら『全科目満点』くらいなこと言ってよ!」

「ゆかりちゃん、赤点になるかどうか気にしている人間に対して、いくらなんでもそれは無理でしょ……」

「最初から無理って言ってたら、全部無理になっちゃうよ! ある偉人も言ってました。『あきらめたら、そこで試合終了ですよ…?』と。学年10位以内を目指さなきゃ!」

「ゆかりちゃん、さらにハードルが上がっている気がするんだけど……」

「ハードルが高ければ高いほど、越えがいがあるってもんでしょ! さあ、学年トップを目指して共にがんばろ!」

 と、さらにハードルを上げるゆかりちゃん。僕とゆかりちゃんのやり取りを眺めていた大川部長が、急に笑い出した。

「ぶわっははは! 二人とも面白いねぇ、まるで夫婦漫才を見てるみたいだよ。――じゃ、山崎君の勉強は、青山さんにお任せするよ。山崎君、テストがんばってね。赤点で部員が少なくなると僕も寂しいからさ」

 大川部長は、僕の肩をポンッと叩いて励ました。

「じゃ、そういうことだから覚悟しといてね。私の教え方は厳しいわよ!」

 ゆかりちゃんも大川部長のマネをして僕の肩を叩いた。

 結局、明日からゆかりちゃんの家でテスト勉強をすることが決定した。



 次の日。

 午前中の授業を終えると、テスト勉強をするためにそのままゆかりちゃんの家に行くことになった。

「本当は、いけないんだけど……」

 と言いつつ、ゆかりちゃんは、僕を自分の自転車の後ろに乗せた。

 僕は、自転車の後輪の両脇に付いているステップに両足を置いて立ったまま乗る。両手は、もちろんゆかりちゃんの肩。僕は、その肩をそっとつかむ。

「しっかりつかまってね。じゃ、行くわよ!」

 二人乗りとは思えないほど、軽快に自転車が走っていく。

 スピードが出たため、ゆかりちゃんの肩に乗せた僕の両手にほんの少しだけ力がこもる。

 数年前に白血病で入院していて、生死の境を彷徨ったこともあるとは思えないほど元気なゆかりちゃん。でも、両手を乗せたゆかりちゃんの肩は、思ってたよりもずっと華奢だった。

 20分ほど走ると、ゆかりちゃんの家に着いた。ずいぶん家が近かった。

「到着~!」

 ゆかりちゃんの家は古い純和風の家で、瓦屋根のついた立派な門に、周囲を生け垣できれいに囲われていた。外からでも見えるよく手入れされた松の木がとても印象的な家だ。

「さぁ、入って入って!」

 僕は、『青山』と書かれた表札が掲げられた門をくぐり、石畳を歩ていく。

 ゆかりちゃんは、自転車を玄関の脇に置いてから玄関の引き戸を開けた。

「ただいまー!」

 ゆかりちゃんのよく通る声が、家中に響き渡る。

「さ、晶君、あがってあがって!」

 促されるままに靴を脱ぎ、ゆかりちゃんが用意してくれたスリッパを履いていると、そこへ家の奥の扉が開いて老人が現れた。

「ゆかり、おかえり。今日はやけに早い帰宅だな。――おっ!? そちらさんは、どなたかな?」

 年齢は60代半ばぐらい。渋皮のような日焼けした肌に、背筋がピンと伸びたとても元気そうなおじいさんだった。

 僕は、ついいつもの癖で、おじいさんの頭の上のロウソクを見てしまった。

 年齢が年齢だけにチビた鉛筆のような長さと形のロウソクだったけど、炎はほぼ通常の大きさの黄みがかったオレンジ色をしている。ロウソク自体の色も白い。僕の急死したおじいちゃんみたいに、すぐにどうこうなるという状態ではないのがわかった。

 おじいさんは、僕を見てちょっと驚いた表情を見せたけど、すぐにゆかりちゃんが紹介してくれた。

「ただいま、おじいちゃん。彼は、高校の同級生で同じ美術部員の山崎君。今日、うちでテスト勉強を一緒にするの」

 僕は、すぐに頭を下げて挨拶をした。

「初めまして、山崎晶といいます。今日は、おじゃまします」

「どうも、ゆかりの祖父ですじゃ。ゆっくりしていってください」

 そう言って、ゆかりちゃんのおじいさんは、舐めるように僕をじっくり観察したあと奥へ引っ込んでいった。

「私の部屋は2階だから」

 ゆかりちゃんの案内で階段で2階へ上っていくと、下の階からゆかりちゃんのおじいちゃんの大きな声が聞こえた。

「おい、ばあさん! ゆかりのやつが男を連れてきたぞ! ――あいつもそんな歳になったのか…… ばあさん、今日は、赤飯を炊いてやれ! 赤飯を!」

 おじいさんの話し声が筒抜けで、思わず僕とゆかりちゃんは顔を合わせてお互い赤面してしまった。

 気まずい雰囲気のまま、ゆかりちゃんの部屋の前に来た。そういえば、女の子の部屋に入るのは、初めての経験かもしれない。

 少しドキドキしながら、ゆかりちゃんの部屋に入った。

「おじゃましまーす……」

 外観の純和風の家の雰囲気とは違い、ゆかりちゃんの部屋はフローリングの洋間だった。

「ちょっと待ってて。お茶の準備とついでにお昼も作ってくるから。――室内を勝手に物色しちゃ絶対にダメだからね! タンスから下着を引っ張りだしたりしたら絶交だからね!」

 ゆかりちゃんの口調は、まるで犯罪常習犯に警告するような物言いだ。

「そんなことしないって!」

「どーだかね。男の子は、こういうとき必ずするって親戚のお姉ちゃんが言ってたもん!」

「それは、その親戚のお姉ちゃんが付き合っていた男がしてたんでしょ! 僕は絶対やらないよ!」

 ゆかりちゃんは、僕に十分すぎるほどの念を押してから部屋を出て行った。

 僕はカバンを置き、木目調のテーブルのイスに腰かけた。

 テーブルとイスのせいですいぶん部屋が狭くなってるけど、もしかしたら足の悪い僕のためにわざわざ用意してくれたのかもしれなかった。

(物色するのは禁じられたけど、部屋の中を見るくらいならいいよね)

 僕は、部屋の中をぐるりと見た。

 ひらひらのレースが付いた薄いピンクのカーテンや、赤いストライプが入った壁紙、ゆかりちゃんのトレードマークとも言えるひまわりの柄ベッドカバーや真っ白なタンスを見て、想像していた通りの『女の子の部屋』だったので少し安心した。

 壁には、入部当初に作った飼猫のフーの転写絵が飾られている。その横にあるコルクボードには、いろんな写真が虫ピンで大量に貼りつけてある。

 ゆかりちゃんのお母さんとのツーショット写真。おじいさんと多分ゆかりちゃんのおばあさんとの家族写真や、飼猫のフーの写真。旅行なのか大きな寺院の前でゆかりちゃんが笑顔で写っている写真もある。

(あっ!)

 写真をよく見るために近づいたら、僕が写っている昔の写真があった。ベッドに横たわる僕と、隣でVサインをしているゆかりちゃんの写真だ。

(重傷患者の横でVサインって…… ゆかりちゃん、昔から変わらないな)

 写真を見て懐かしがっていると、

「あー! 物色してる!」

 トレーに料理と飲み物を持ったゆかりちゃんが突然現れた。

「物色なんかしてないよ! 昔の僕の写真が貼ってあるから、懐かしいなって思って見ていたんだよ!」

「あはは、冗談よ。さぁ、こっちに来て一緒に食べよ。おばあちゃんが焼きうどんを作ってくれたから」

 ゆかりちゃんは、テーブルの上に焼きうどんが乗ったお皿と、麦茶のペットボトルにコップ2つが置いた。

「焼きうどん、もしかしたら僕、初めて食べるかもしれない」

「えっ、そうなの!? 食べたことないんだ。うちでは、しょっちゅう作るんだけどね。じゃ、初体験がうちのおばあちゃんの味なのね。――はい、じゃあ熱いうちに召し上がれ」

 そう言って、僕に割り箸を渡してくれた。

「いただきます」

 僕は恐る恐る箸をつける。

 ゆかりちゃんのおばあちゃんの焼きうどんは、いろんな具材が入っていた。青菜(たぶん小松菜)、豚バラ肉、油揚げ、しめじ、斜め切りされた長ねぎ。上には大きく削られた鰹節がふんわり乗っかっていて、脇に紅しょうががちょこっと添えてある。

「あ、美味しい! 本当に美味しいよ! ――ゆかりちゃんのおばあちゃん、料理が上手だね!」

 焼きそばとは違ったうどんのもっちりとした歯ごたえ、ごま油の風味だけじゃなくて豚バラ肉の脂がからまってて旨味が増している。醤油で炒められた中に、青菜や長ねぎのほどよい苦味や辛味、油揚げから出る甘味、鰹節の旨味、紅しょうがの酸味で複雑な味に仕上がってて、それと旨味が出た汁をキノコが吸ってさらに美味しくしているなどと、料理研究家になった気分で料理をほめた。

「でしょー!」

 僕が喜んでもりもり食べる姿を確認して、ゆかりちゃんも焼きうどんを食べ始めた。

「そこの僕達が写ってる昔の写真よく持ってたね。病院での写真は、僕は一枚も持ってないよ」

「私もこの写真しか持ってないの。晶君は、私の命の恩人だから、絶対に覚えておこうって思って大事に仕舞ってたの。高校の入学式で見かけた時は、本当に驚いたのよ。すぐにこの昔の写真を引っ張りだして確認したんだから。そしたら昔と全然顔が変わってないからすぐわかった」

 そう言って、箸で僕の顔を指しながらクスクス笑っていた。

「ひどいなぁ…… これでも親戚からは大人っぽい顔付きになったって言われるんだから」

「うっそだぁ」

「本当だって!」

「ムキになるところが怪しい」

 と、和気あいあいと楽しい食事時間が過ぎていった。

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