INTJゲイがnoteを書き始める理由① INTJの生き辛さについて
自分がnoteを書き始めようと思った理由は大きく2つあります。
日頃言えない生き辛さを吐き出すため
自分と同じような生き辛さを感じる人の励みとしてもらうため
それぞれ詳細を書いておきたいと思います。
1.日頃言えない生き辛さを吐き出すため
自分は自分が抱える2つの特性のために、周りとの違いを常に認識させられ、常に生き辛さを感じています。
それは「INTJ」と「ゲイ」という特性です。
INTJの生き辛さ
INTJとは、MBTIという性格診断ツールにおける16の分類のうちの一つです。
ご存知の方が多いと思うので割愛しますが、MBTIが気になる方は以下URLを見てみてください。(日本MBTI協会が16personalitiesを「MBTIと似て非なるもの」と断じている点は今は横に置いていてください)
人を16タイプで切り分けるのは無理がありますし、自分の全ての性質がINTJに当てはまるとは当然思いませんが、他人とお互いの性質をシェアし合う「入口」としては有用かなと思います。
今流行りで多くの方が知る内容でもあるので、自分の性質を語るにおいて参考にしています。
一方で、こういったラベリングは多少危険だとも思います。
例えば国籍というラベリングは「日本人は○○だよね」といったミクロな個性を蔑ろにする判断を招きます。
なので、あくまで自分に近い1モデルであり、自分とINTJを同一視しないという大前提は置いておきたいと思います。
例えばINTJの特性の一つとして、16Personalitiesでは以下のような記載があります。
自分がこのページに書かれているような高尚なものを追い求めているとは全く思っていませんが、興味のないことはとにかくたくさんあります。
例えば、会社の飲み会で野球の話をしていても毛ほどの興味も湧きません。
但し、「野球チームに深入りするファンはどのような心理状態なのか?」といった話題であれば非常に興味があります。
試合がどうだっただのあの選手がどうだの言われても「だから何なのか」と思ってしまいます。
Xでの、「どこどこに行った」とか、「なになにをした」とか、そのような投稿にも全く興味が湧きません。
なのでXはアプリを入れていませんし、自分が投稿することもありません。
先ほど述べたのはINTJの性質を表す一例ですが、そんなINTJであるということが、何故生きづらさにつながるのでしょうか?
「他人とコミュニケーションを取る」という人間社会を生きる上での必須要件とINTJという性質はとにかく相性が悪いからです。
他人と話していてもどこか空空しいし、無理に笑顔を浮かべて他人に合わせているという状況はままあります。
加えて、内向的なので、基本多人数の集まりは苦手です。出来ることなら行きたくないと思っています。
ですが、社会というのは孤独でいることを(基本的には)許してくれません。
孤独に歩める道もあると思うのですが、少なくとも私は普通のビジネス界隈の道を進んでしまったので、とにかくコミュニケーションは重要視されます。
そして私はスイッチを入れて「演技をする」ことを覚えました。
社会が、所属組織が、あるいは他人が無意識に要請している「人物像」に沿って発言し、行動するようになったのです。
その「人物像」は皆様も簡単にイメージができるでしょう。
明るくて、ポジティブで、他人のことを考え、自分の意見を溌溂と話し、コミュニケーション力が高く、運動部に過去所属し、仲睦まじい家族を持ち…まあこんな具合です。
自分は背伸びをしているので、ナチュラルボーンの方々ほどではありませんが、他人からはある程度接しやすい人間として評価されているのではないかと自負しています。
演技をするとは、つまり本来の自分とは違うことをしているということです。
これはエネルギーを消費する行為です。
演技をすることで社会に溶け込めると言えば溶け込めるのですが、単純に「疲れる」のです。
この気疲れは、外部が要請している「人物像」に元々近いナチュラルボーンの方々には中々理解がし辛いだろうと推察します。
最近、「男性特権」なんて言葉も聞きますが、私から言わせれば「外向特権」も深刻な問題です。
彼らは自分が元々社会に要請される性質を身につけているために、その特権を享受していることに気づいていないように思います。
彼らは、「グッドフィーリング」を持ちながら、懇親会に行き、他人と関係を築き、楽しみながら社会のピラミッドの上に向かっていくのです。
「何も苦労せずに」、そして「何も演技をせずに」です。
(これはあくまで推察なので、もし「そんなこと分かっているよ」という突っ込みをされる外向型の方がいましたらすみません)
これが自分の考える「INTJの生き辛さ」の理由です。
「他人がよくする話のトピックに興味がない」「内向的である」といった理由からコミュニケーションが苦手だが、社会はそれと真逆の人物像を要請しており、演技をしてやり過ごすことにしているが、演技により気疲れしている、
ということです。
それぞれ、他の方も色々な生き辛さを感じていることでしょう。
私はさも外向的な方々が何の苦労もしていないように言いましたが、それはことコミュニケーションの観点で比較をしただけです。
外向的な人は外向的な人で、別の生き辛さを抱えるケースもあるでしょう。
あらゆるケース「生き辛さ」に対して、自分が突出しているというつもりはありません。
ただ分かって欲しいのは、「INTJのもつ性質は、現代の社会要請から外れている場合が多い」ということです。
これは皆様も同意できるのではないかと思うのです。
少し長くなってしまったので、続きは別の記事で上げたいと思います。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
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