水原紫苑 編『山中智恵子歌集』
☆mediopos2834 2022.8.21
少なくとも数ヶ月前は
山中智恵子という歌人のことを知らずにいた
塚本邦雄や葛原妙子の短歌を
それなりに読んでいたにもかかわらずである
山中智恵子は1925年5月4日生まれ
2006年3月6日に81歳で亡くなっている
2004年の第十七歌集『玲瓏之記』が最後の歌集である
代表的な歌集は第1968年の三歌集『みずかありなむ』
現代短歌のアンソロジーに収められた短歌が
気になって調べ始めたことがきっかけで
その歌集を探したものの
すでに書店で入手できるものはなく
たまたま古書店で第五歌集『青草』(1978年)を見つけ
その短歌の韻律に魅せられるようになり
ほかの作品を探そうとしていた折り
『山中智恵子歌集』が水原紫苑編で刊行された
昨年も『葛原妙子歌集』が川野里子編で
同じ書肆侃侃房から刊行されていたが
どちらも優れた歌人・編者によるうれしい作品集である
『山中智恵子歌集』には代表的な歌集
『みずかありなむ』も完本で収録されているが
そのはじめにこんな言葉が添えられている
私は言葉だった
私が思ひの嬰児だったことをどう
して証すことができよう————
おそらくその「証し」こそが
この歌集『みずかありなむ』なのだろう
編者である水原紫苑は
「長い短歌史において、
この歌人が生まれたことには大きな意味があると思う。
古代以来の短歌形式にしかできないこと、
韻律に乗せて人間存在を問うことを
究極まで成し遂げたほとんど唯一の人である」
とまで述べているのだがさらに
山中智恵子の歌があまりに知られていないことから
「もし今後山中智恵子の調べの系譜が
消えてしまうとしたら、何という寂しいことであろうか」
「どんな形でも山中智恵子の調べを
後世に伝えてくださることを切に願う」という
たしかにその短歌を読みすすめるにつけ
短歌には無知なぼくのような者にとっても
「山中智恵子の調べ」は特別なものとして感じられる
「初めて山中智恵子の歌に出会った読者は、
意味を考える前にその美しい調べを
声に出して味わっていただきたい。
およそ日本語というもののあり得る限りの美しさが感じられる」
そのことも決して誇張だとは思わない
山中智恵子の歌の「意味」がたしかにはわからなくても
その調べそのものがたしかに届けられてくるとともに
むしろ「意味」の深みから何かが立ち上ってくることがわかる
それは優れた音楽から受けとるものにも似ているだろうか
もともと言葉は「歌」だった
にもかかわらず現代では
言葉から「歌」が失われ
そこに「知」が求められるようになっている
しかし「知」にこだわりそれにとらわれすぎると
多くのばあい言葉から「歌」は失われ
言葉は深いところに届かなくなってしまう
そのとき言葉からいちばん大切なものが
失われてしまっているのではないだろうか
「知」があまりに欠如し
感情だけが洪水になってしまうと
どんなに「歌」おうとしても
かたちだけで「歌」にはなっていない
ということも多いのだが
「歌」がなければ言葉は死んでしまう
「歌」のない「知」は
魂を育てることができない
そのことをあらためて深く感じるためにも
この『山中智恵子歌集』は大切な宝物になった
■山中智恵子(水原紫苑 編)
『山中智恵子歌集』
(書肆侃侃房 2022/8)
(収録歌より)
うつしみに何の矜恃ぞあかあかと蠍座は西に尾をしづめゆく(『空間格子』)
わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも(『紡錘』)
いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘(『紡錘』)
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ(『みずかありなむ』)
その問ひを負へよ夕日は降ちゆき幻日のごと青旗なびく(『みずかありなむ』)
さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生まれて(『みずかありなむ』)
三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや(『みずかありなむ』)
青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや(『みずかありなむ』)
ことばゆきゆくへもしらず病む空に未明の蝉は湧きいづるなれ(『みずかありなむ』)
わがくらき夢にくぐりて鳥の散る空の荒野に何を招ぐべき(『みずかありなむ』)
薄暮には鳥をちりばむ風の空この世の涯にわが思ひなむ(『みずかありなむ』)
さくらびと夢になせとや亡命の夜に降る雪をわれも歩めり(『虚空日月』)
(水原紫苑「解説」より)
「山中智恵子という歌人について一般に知られていることはごく少ない。その名さえ、聞いたことのない読者が多いかもしれない。鈴鹿に隠棲して、この世ならぬ空気をまとっていた山中智恵子は、生きているうちから伝説の人であった。
しかし、長い短歌史において、この歌人が生まれたことには大きな意味があると思う。古代以来の短歌形式にしかできないこと、韻律に乗せて人間存在を問うことを究極まで成し遂げたほとんど唯一の人である。
山中智恵子の歌を読むという行為は、塚本邦雄や葛原妙子の歌を読むこととは大きく違っていると思う。塚本や葛原の歌は、どれほど高度な抽象の域に達していても、日常の生の延長で読むことができる。
それに対して山中智恵子の歌は、日常かた遠く離れたところにある。これは価値の問題ではない。
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ 塚本邦雄『感幻樂』
他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水 葛原妙子『朱靈』
これらの歌は、日常の現実からは遠く見えるが、塚本の歌には、馬の輝くような皮膚のイメージが立ち上がるし、葛原の歌にも、水の透明で重い質感がありありと存在する。
人間というものが現在の時点で真っ向からとらえられているとも言えるだろう。
だが、山中智恵子の歌は、どうか。
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ 山中智恵子『みずかありなむ』
この歌は、まず「鳥髪」という特異な地名がわからないと読めない。もちろん、鳥が豊かな髪を持っているという詩的幻想で読む自由も否定はできないが、これはやはり、『古事記』で須佐男命が天界から追われて、初めて降り立った「鳥髪」として読まないと、一首の深い時間感覚が失われる。
天上の神が地に生きるものとなった運命は、当然人間の定めに思いを至らせるが、そこに日常を超えた古代以来の大きな時間軸が射し込まれるのが山中智恵子の世界である。
あるいはもっとわかりやすい歌を見てみよう。
さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生まれて 『みずかありなむ』
この歌は日常の文脈でも読むことはできる。陽光の中で泡立つように咲く桜花をじっと見つめて、地球という遊星に生まれた自身の実存に思いを馳せている。
しかし、地球が誕生してからの長い歴史と、その遊星がなぜ「冥き」と呼ばれるのかは考えなければならない。地球の歴史のうちではほんの一瞬のような近年になって人類が登場し、それゆえに地球は核戦争で汚された。
山中智恵子の生涯を貫いた戦争の記憶と、人類の文明との悲劇的な相関が一首のうちに流れている。
もう一首、よく知られた月の歌も引こう。
三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 『みずかありなむ』
これはある意味で詩歌の禁じ手とも思われる「不可思議の」という言葉を使ってしまっているのだが、それが瑕瑾にならないところに山中智恵子の歌の魅力がある。山自体が御神体とされる三輪山、その背後から昇って来る月は、まさしくこの世ならぬ「不可思議の」存在であろう。
そして、月が月という名である所以を、一首は問いかける。言語が生まれた古代に、いったい誰が初めに「月」という言葉を発したのか。
山中智恵子の生涯の問いはこれであったかもしれない。言葉が言葉としてこの世に現れる瞬間、人間が天地の間に存在として立ち上がる瞬間を問うのである。その意味で、山中智恵子の歌は、近代以前の根源的なものであると言えよう。
記紀万葉以前の言葉の発生を求めようとした山中智恵子は、生涯の代表歌集『みずかありなむ』で、まさに、「私は言葉だった。と宣言している。」
「初めて山中智恵子の歌に出会った読者は、意味を考える前にその美しい調べを声に出して味わっていただきたい。およそ日本語というもののあり得る限りの美しさが感じられる。
たとえば次の一首である。
青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや 『みずかありなむ』
この歌を読んで、意味が即座に取れるだろうか。助詞の「よ」は呼びかけではなく、「〜から」という助詞「ゆ」の別形である。青空に光の井戸があって、そこから夕映を汲む作中主体の姿が高らかに歌われている。そして、「行く方を思へ」という命令形が、自身に対してと同時に、読者に対しても投げかけられる。その正確な意味は私にはわからない。
だが、そんなことは忘れてもいいのではないか。一首の流れるような調べに身を委ねて、魂を非在の時空に漂わせるだけでいいのではないだろうか。
それが歌というものを味わう最も幸せな方法であるような気がする。
もちろん、歌を古来の韻律から解き放った塚本邦雄の偉業もまた、第二芸術論への真摯な答えとして高く評価されるべきであり、独自の晦渋な調べに存在の秘密を託した葛原妙子も、現在熱く語られるように不世出の歌人である。
しかし、もし今後山中智恵子の調べの系譜が消えてしまうとしたら、何という寂しいことであろうか。
この本を手に取られた読者のみなさまが、どんな形でも山中智恵子の調べを後世に伝えてくださることを切に願う。」
(【栞】藪内亮輔「山中智恵子の〈境〉 ──『みずかありなむ』を中心に」より)
「 いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘 『紡錘』
さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生まれて 『みずかありなむ』
三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや 『みずかありなむ』
短歌を始めた頃、山中の歌を知った私は、人というレベルを大きく超えた世界の把握に圧倒された覚えがある。人間の歴史においてずっと降り続けてきた、そしてこれからも降り続く雪。雄渾な運河の流れが、累々と世界に降り続ける雪の運命を見事に表している。その圧倒的な世界を前にして、人間はどうやって生きるのだろうか。山中の投げかけた問いはここにある。二首目でも、陽に泡立つさくらばなの灯りと、それをただただ見詰める人間とが、強い対比関係のなかに置かれている。山中の歌は、常に世界と私、あるいは神と人間の間に生じる葛藤に満ちている。われら人間の持つ、それ自身では刃のような魂。魂を守る鞘とは身体のことか、言葉のことか。どちらにせよ、それは薄く、心許なく、傷つきやすいものであり、魂とその外側の〈境〉である。雪にとっては生まれる前は虚無であり、生まれた瞬間を〈境〉として存在し始める。三首目の三輪山はそれだけでも神の山として信仰されている。そこからデル月の妖しさに、当たり前に使われている月という言葉が少し揺らぐ。言葉が揺らぐと、存在とその外側の〈境〉が揺らぐ。「不可思議に」や「不可思議な」ではなく、「不可思議の」であるから、不断の月が今日は怪しいというだけではない。月という存在が不可思議なのである。月は、月と呼ばれ始める前、存在しなかったかもしれぬ。ソシュールの言語命名論の否定における、言葉が生まれることによって存在し始めるものたち、それらの生と死を見詰めた歌を、私はこれ以外に識らない。
人間の棲まう現世(うつしよ)と、そうでない領域の〈境〉を見詰め続けることによって、虚と実に引き裂かれた亀裂の真空状態、幽の領域へと侵入したのが山中の歌業の一つだ。
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ 『みずかありなむ』
わが生けるこころの胙(ひもろぎ) 他国(ひとぐに)はけものの血もて田作るときく 『みずかありなむ』
さやさやと竹の葉の鳴る星肆(ほしくら)にきみいまさねば誰に告げむか 『星肆』
天界から鳥髪、すなわち人間界へと追放されたスサノヲを、虚から実、神から人間への生まれ甦わりと見做すならば、「然らば」と強い確信で語られる雪は、人間界でひたすらに続くかなしみの喩でありながら、逆にかなしみを美しく寿ぐ喩でもある。山中は〈境〉を見続けたからこそ、現世すらも認めて見せた。二首目、胙とは神霊を招き降ろすために、清浄な場所に榊などの常緑樹を立てた神坐のこと。山中は身体だけでなく、わが生けるこころすらも供物なのだと看破する。三首目、品太天皇(ほむだのすめらみこと)(応神天皇)が星の出るまで狩をして猪鹿を殺し続け、その山は星肆と名付けられた、伝説特有の壮絶で美しいイメージ、それが「いまさねば」、「誰に継げむ」として消されているところに、虚実の亀裂、真空状態が出現する。「花も紅葉もなかりけり」と詠った藤原定家の域に達している。〈境〉を感じる三首を挙げて、終わりとする。
ことばゆきゆくへもしらず病む空に未明の蝉は湧きいづるなれ 『みずかありなむ』
わがくらき夢にくぐりて鳥の散る空の荒野に何を招ぐべき
薄暮には鳥をちりばむ風の空この世の涯にわが思ひなむ」
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