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ローランド・エノス『「木」から辿る人類史』  ドロシー・マクレーン『樹木たちはこう語る』

☆mediopos-2575  2021.12.4

「木」から人類の歴史を辿るという
ありそうでなかったらしいテーマの
ローランド・エノスの『「木」から辿る人類史』が
刊行されたのは2020年
幸いその翌年にこうして邦訳されたのは意義深い

人類史のはじめ
二足歩行をはじめたのも
森から地上に降りたからではなく
木の上を歩くためだったという

それから700万年
木は人類とともにあり
交易に活用された木舟
多様な建築技術
エネルギー源としての木炭など
文明を築き発展を遂げるために
「木」こそが最も重要な鍵となってきた

本書のテーマはそのタイトルの通り
木という素材を軸にした視点から
人類史を見直すということであり
それが生物学・建築学・材料工学・地理学などの
科学的視点から多様に論じされていて興味深い

視点を変えると
世界がそして歴史が
まったく別の相貌をもって現れてくる

しかし読み進めていて
どこか物足りなさを感じたのは
科学的視点であるがゆえに
「木」を「素材」としてしか見ていない
ということがあるのだろう

科学的視点にいわゆるアニミズム的な視点を
安易に持ち込むことはできないだろうし
そうしてしまえば『「木」から辿る人類史』が
ニューエイジ・ファンタジーのようにも
なってしまいその意義が失われてしまうことになる

しかし人類が古代から「木」とつきあったきたのは
それを「素材」として見ていただけではないはずではないか
「人類史」を「木」から辿るというのであれば
その「木」と人類との対話という視点も
欠かすことはできないのでないだろうか

その意味では
「木」から辿る人類史には
「木」と対話する人類史が
科学的視点とは別の仕方で語られる必要がある

そう感じたので
唐突ではあるだろうが
自然と交信するというドロシー・マクレーンが
樹木から受け取った言葉が紹介されている
『樹木たちはこう語る』を並べてみることにした
いうまでもなくドロシー・マクレーンは
荒れ地だったフィンドホーンに
豊かな実りをもたらしたことで知られている

「木」を「素材」として対象化するだけでは
「木」がいったい何を語っているのかはわからない
もちろんそのメッセージを
古代の人々のように聴きとることは
ドロシーのような人以外にはできないだろうが
少なくともそこからなにがしかを感じとることはできる

森を歩くだけで生き返った気持ちになれるのは
おそらく樹々たちからの働きかけがあるからだ
それをただ化学作用に還元するだけでは
まして「素材」としてしか見ないとしたらあまりに貧しい

■ドロシー・マクレーン(山川紘矢・山川亜希子 訳)
 『樹木たちはこう語る』(日本教文社 2009/1)
■ローランド・エノス(水谷淳訳)
 『「木」から辿る人類史/ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る』
 (NHK出版 2021/9)

(ドロシー・マクレーン『樹木たちはこう語る』より)

「森林環境学と地球を癒やすという考え方を広めた人々の一人に、リチャード・セント・バーブ・ベイカー(一八八九 - 一九八二)がいます。彼はイギリスの環境保護主義者であり、「木を守る人々」の創設者として有名です。セント・バーブはその人生で、世界中にできる限り多くの木を植えようと人々に呼びかけ、自らも多くの木を植え続け、沢山の本を著しています。そして、一九六九年に発表した私の「木からのメッセージ」に、次のような序文を寄せてくれました。

 フィンドホーン財団のドロシー・マクレーンを通して伝えられた木からのメッセージに、このようなコメントを寄せることができて、とても嬉しく光栄に思います。
 先祖から私たちへと遺された木や森を次の世代へ引き渡すために働いている「木を守る人々」は、自分たちが愛に溢れた奉仕をすることによって、人生のすばらしさを知ることを発見しました。木を植えていると、予想もしなかったほど、人生が豊かになります。それは木全体の共同体が感謝の気持ちを発して、沢山の利子をつけて愛をシャワーのように私たちに注いでくれるからです。想いを込めて木を植えるとき、奇跡が起こります。木からのメッセージは、科学的研究では得ることができない神秘的な事柄を、私たちに明らかにしています。古代の人々は、地球はそれ自体、感情や感覚を持つ存在であり、地球上に住む人間の行動を感知していると信じていました。この考えを否定する科学的証明がないからには、私たちはこの考えを受け入れ、これに従って行動すべきだと思います。そうすれば、まったく新しい世界が開けてくることでしょう。
 説明できないものは何一つ、受け入れないとしたら、私たちの人生はまったく退屈きわまりないものになってしまうでしょう。私自身は説明できないものも信じてしまう方です。サハラの日の出と日没の奇跡や、小さな種が巨大な樹木へと成長し、多くの小さな生き物に食物と住み家を与える奇跡を思えば、信じないでいることは私たちの思い上がりでしかありません。しかも、こうした小さな生き物は自然の循環の中で欠くべからざる一環を成しており、私たち人間に生命の息吹を与えているのです。
 人類愛と、そして人間とすべての生きとし生けるものが一つであることのシンボルとして、この奇跡を事実として受け入れようではありませんか。
 ドロシーのメッセージの一つひとつを真剣に学び、心に深く刻みつけることが、今、わたしたちには必要なのです。」

(ローランド・エノス『「木」から辿る人類史』より)

「西洋世界に生きていると、自然から距離をとって、自分たちを動物界から完全に切り離された高位の存在とみなしたがるものだ。」
「霊長類とその他の哺乳類との大きな違いは、霊長類が樹上生活に適応したことで生じた。私たちはいまでこそ地上で暮らしているが、それでもほかの霊長類と似ているのは、この樹上生活への適応形質の大部分を残しているからだ。驚くことに、私たち人類が最初から地上での生活に適応していたのは、近縁の霊長類が林冠での生活、つまり木で作られた世界での生活に合わせて身体や脳を進化させてくれたおかげなのだ。」

「初期のヒト族は、どのような経緯で木から完全に下りるようになったのだろうか?」
「正確な年代はさておき、初期人類に関する現代の研究で明らかになった事柄の中でもっとも注目すべきは、人類が地上で暮らすうえで鍵となったのが、木の利用、とりわけその思いがけない二つの有用な特徴を活用したことであるという点だ。初期のヒト族は地上生活の第一段階で、木が乾燥すると「剛性が上がるという性質を利用して掘り棒を作り、地下の栄養貯蔵器官である根という新たな食料源を掘り起こすのにそれを使った。第二段階では、私たちの属するホモ属の初期の種が、乾燥した木の燃えやすさを生かして火をおこし、捕食者から身を守ったり、食物を調理したりした。私たちが木から脱出して地上生活に移行した際には、皮肉にもその木を形作っている材料との関係を深めたことが役に立ったのだ。」

「私たちがこれまでどれだけ大量の木材を使ってきたかを考えると、木が人類の歴史に何らかの影響を与えてきたことは間違いない。しかし、たとえばエネルギーと石炭が産業革命に果たした役割など、木と関係のある事柄については考察されているものの、木の役割自体についてはほぼ無視されている。もちろんこのテーマを掘り下げようにも、文献を漁るという通常の歴史研究の方法ではうまくいかない。木を扱う真の専門家だった木こりや木工職人は、おおむね地位が低くて文章による記録をほとんど残していないし、大プリニウスやジョン・イーヴリンといった、木に関する文書を残している数少ない人たちは、実際に直接木を触ったことのない貴族や紳士だった。彼らは木が切り倒される場面を見て心動かされたようだが、その劇的な工程に比べると、人間の一生のうちにほとんど気づかないくらいの速さで樹木が生長する様子なんて、ほとんど記憶に残らなかったはずだ。
 そのため当然ながら、定評のあるほとんどの歴史書には、森林が「根こそぎ倒された」とか木が「朽ちた」とかいったように、破壊の話しか取り上げられていない。その結果、新たな力で頂点に上りつめた人類が、木材を得るためにいかに森林を乱開発したきたか、森林破壊によっていかに土壌流出や気候変動や干魃、そして文明崩壊を引き起こしてきたかといった、教訓めいた話の本が巷にあふれかえっている。森林破壊をめぐるこのような逸話は、歴史上何度も出てきた。古代メソポタミアの帝国、ミュケナイ文明のギリシャ、マヤ帝国、ヴェネツィア共和国は森林破壊の犯人扱いされ、イースター島の人々は森林破壊によって自らの文明を崩壊させたとされてきた。中でももっとも頻繁に取り上げられるのが、大英帝国の建国にまつわる逸話だろう。海軍の創設によって広大なオークの原生林が破壊されたというのだ。
 真実はそれとはまったく違う。たしかに、人類が世界中の森林にとてつもなく大きな影響を与えてきたのは間違いない。森林面積は減少しつつあるし、残されているの森林の構成も変化しつつある。それでも人々は長年にわたり、森林の減少に対処して、環境破壊を防ぎながら十分な木材を調達しつづける方法をいくつも見出してきた。だが(・・・)人類の影響は地球規模にいたるまであらゆるスケールにおよんでいて、私たちと木との関係は世界の歴史に深い影響をおよぼしている。」

「森林破壊に関する逸話は、表面的には人を惹きつけるものの、間違った前提に基づいている。第一に、木を切り倒すと破壊的な土壌流出が起こるという点が間違っている。(・・・)かつて、森林はもっとずっとゆっくりと切り拓かれていたし、現代と違って重機を使わないため土壌のダメージもはるかに小さかった。森林伐採自体の影響ははるかに小さかったのだ。」
「農耕のために土地が開発されると、たしかに浸食が加速する。(・・・)しかしそれは何百年や何千年もかけて起こったのであって、実際の浸食はゆっくりとした起こらない。」
「人類はまた、土壌を何千年にもわたって管理して、過度に浸食されないようにする方法も身につけてきた。」
「土壌流出によってある意味大きな影響を受けていたのは、伐採地域から流れる河川だけである。流出した土によって川が変色するだけでなく、泥が堆積して下流に問題を引き起こすのだ。」
「森林伐採によって破壊的な土壌流出と環境破壊は起こるという単純なストーリーは、論拠に欠けている。それでも人類と木との関係は、たしかに文明と地球環境にすさまじい影響をおよぼしてきた。文明の歴史地理学的側面と、私たちが現在置かれている状況をはるかによく理解するには、その関係生をもっと現実的な生物学的視点からとらえなければならない。とくに考える必要があるのが、木はすべて同じではないということだ。分類学上の二大グループである広葉樹と針葉樹では、生物学的特徴が大きく異なるのだ。」
「環境歴史学者によって、産業革命前にも人類はすさまじい影響をおよぼしていたことが明らかになりつつある。その中でもっとも直接的な第一の影響が、森林面積、とくに広葉樹の優占する地域の面積が縮小したことである。」
「人類がおよぼした第二の影響は、自然のままの原生林、いわゆる老生林の面積が劇的に減少したことである。」
「残念ながら、植林の普及はさまざまな面で重大な問題を引き起こした。第一の問題は、木工材だけが有用な資源であると決めつけて、針葉樹やユーカリやチークなど、成長が速くて幹がまっすぐな樹木ばかりが植えられたことである。広大な面積の広葉樹の原生林が切り拓かれて、かわりにこれらの木が植えられたことで、生物多様性が低下した。」
「植林がもたらしたもう一つの問題は、たった一種類の樹木からなる広大な純林が増えたことである。そのような森は強風や菌類の病気や病虫害にとりわけ弱く、森全体が破壊されることもある。」
「さらに、外来種とともに運ばれてきた新たな病害虫や病気が抵抗力のない在来種を枯らしてしまうこともある。世界中の森林にとって、これが最大の脅威だろう。」
「極めつきの問題は、短いタイムスケールで走りつづける現代の産業界の植林という手法がそぐわないことである。新たに植えた木が五〇年後にどれだけ成長するかを予測するのは難しいし、最終的に生産される木材の価格を予測するのは不可能だ。その木材をほしがる人がいるかどうかすら予測できない。そのため至るところの森で、投資をいっさい回収できない木が育ってしまう。」

「どんな関係が壊れたときもそうだが、実際的な林業と木工の世界から疎遠になり、手を動かして細工をする能力を失った結果、私たちの生活はさまざまな面で質が下がり、不安定で不幸せになってしまった。心理学者は、樹木や木材との関係がどのような恩恵をもたらすかを定量化して、私たちがうすうす感じているとおり、それが重要であることを証明しようとしている。そして彼らの研究から、人は森の中で過ごすことによって恩恵を受けるだけでなく、森の中でたとえば木を植えたり薪を切ったりするといった作業をおこなうことで、さらに大きな恩恵を受けることが明らかになりつつある。焚き火や薪ストーブを燃やすと、おのずと夜の静けさに集中して、デンマーク人のいうヒュッゲ、すなわち満足感が得られる。
 また、木材を扱ったり木でものをつくったりしていると、穏やかで幸せな感情が湧いてくる。(・・・)
 日常生活からこれらの恩恵が奪われた私たちは、さまざまな点で祖先たちよりも貧しい暮らしをしているといえる。しかも、自分自身を不幸にするのと同じくらい確実に、この地球を破壊している。」

〈目次〉

第1部 木が人類の進化をもたらした(数百万年前~1万年前)
第1章 樹上生活の遺産
第2章 木から下りる
第3章 体毛を失う
第4章 道具を使う
第2部 木を利用して文明を築く(1万年前~西暦1600年)
第5章 森を切り拓く
第6章 金属の融解と製錬
第7章 共同体を築く
第8章 贅沢品のための木工
第9章 まやかしの石造建築
第10章 文明の停滞
第3部 産業化時代に変化した木材との関わり(西暦1600年~現代)
第11章 薪や木炭に代わるもの
第12章 一九世紀における木材
第13章 現代世界における木材
第4部 木の重要性と向き合う
第14章 森林破壊の影響
第15章 木との関係を修復する

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