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徳井いつこ『夢みる石:石と人のふしぎな物語』/『ユング自伝―思い出・夢・思想―』

☆mediopos3504  2024.6.21

宮澤賢治・木内石庭・ゲーテ・ユング・オキーフ
そして世界各地の神話伝承など
石についての逸話を集め一九九七年に刊行された
エッセイ集『ミステリーストーン』が
『夢みる石:石と人のふしぎな物語』として新装復刊

旧版の「あとがき」には
映画『ベルリン・天使の詩』の
石にまつわる印象的なシーンが紹介されている

空地にふたりの天使が立ち
天使のひとりダミエルがこう語り
小さな石ころを額に押しつける

「〝瀬に降りるべし〟。岸などない。
流れに降りてこそ、瀬があるのだ。
時の瀬、死の瀬に立つ。
天使の望楼から降りるんだ」

ダミエルは
人間の女マリオンの部屋で
その奇妙な独り言を聞く

「閉じた目の中でさらに目を閉じれば、
石だって生き始める」

石は人間の女マリオンの
少女のころの写真の下にころがっていた石である
そしてダミエルは人間になることを決意する

「石」はだたの石ころではない
天使さえも人間に変える錬金術的な石としてもはたらく

そんな石の話のなかから
石によって錬金術的な魂の変容へと導かれる
ユングの話をとりあげる

ユングの「石との深いきずなは、幼年時代に始まっている」
「石を通じて、自分自身のまっ暗な内面を旅した」

ユングは「何の知識ももたない子ども」のとき
「古代人と同じ方法で石を取り扱っていた」ことを思いだし
「人の心のなかには、生まれながらにもち運んでいる
「原始的な心の構成要素」があるのではないか」と直感する

それが三十五歳のときだが
その二年後にフロイトと訣別し
「新たな視点から人間の無意識を掘り下げ」
「ひとりひとりのなかに潜んでいる
「原始的な心の構成要素」」である「集合的無意識」」
そのなかにある「元型」に向きあいながら
「個性化」への変容過程を探求していくことになる

フロイトとの訣別のあと五年間にわたり
「無意識との対決」が繰り広げられるが
そのとき「体験していた夢や幻像のなかで、
石は象徴的役割を担うかのように繰り返し現れてくる」・・・

それを「客観的に観察、分析し、ひとつの答として
本にまとめることができたのは十二年も過ぎたのち」のこと

「最初に自問したのは
〝我々は無意識を相手に何をしているのか〟という問い」であり
その答えを求めて錬金術と出会う

そして「錬金術師が残した一見意味不明ともいうべき
膨大な言葉やシンボル」が
「ユングが観察していた自身や患者たちにあらわれてくる
心の変容過程に対応して」いることを見いだしていく・・・

「錬金術師は「石に霊が宿る」と考え、
それを抽出することを前提とし」「物質の救済を説いていた」が

そこにはユングが子どものころから
「のちに「神性」という言葉で呼ぶようになった共通のもの」があった

ユングは四十八歳になった年に
スイスのボーリンゲンに塔の家を建てはじめ
七十五歳になった年に誕生日を記念し
その庭に石碑をつくろうと思いつき
「石自身に語らせよう」と考え
石の面にラテン語の詩文を刻む

「それは石の言葉であると同時に、
ユングが「内なる先祖」と名づけたものの声でもあった」

こんな言葉である

「私は孤児で、ただひとり、それでも私はどこにでも存在している。
「私は若く、同時に老人である。父も母も、私は知らない。」
「私は森や山のなかをさまようが、
しかし人の魂のもっとも内奥にかくれている。」
「私は万人のために死にはするが、
それでも私は永劫の輪廻にわずらわされない」

石は語らずして語り
天使さえも人間に変え
人間の魂を個性化に導く錬金術的魔法ともなる

石の神秘的なまでの物語は尽きることがない・・・

■徳井いつこ『夢みる石:石と人のふしぎな物語』(創元社 2024/6)
■ヤッフェ編(河合隼雄・藤繩昭・出井淑子訳)
 『ユング自伝―思い出・夢・思想―』(1・2)(みすず書房 1972/6 1973/5)

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「旧版あとがき」より)

*「壁でかこまれた小さな空地に、ふたりの天使が立っている。ひとりが言う。

「流れに降りるよ。諺の意味が、ようやくわかった。〝瀬に降りるべし〟。岸などない。流れに降りてこそ、瀬があるのだ。時の瀬、死の瀬に立つ。天使の望楼から降りるんだ」

 天使は、小さな石ころを額に押しつける。」

「この映画(『ベルリン・天使の詩』)を何度も見ているのに、気づかなかった。人間になることを決意した天使ダミエルが、これまでの不死の運命を、短いが燃えるような生命と交換するとき、石ころを額に押しつけた姿で倒れてゆく。まるで石が、天使としての死と、人間としての生を媒介するかのように。

 石は、ダミエルが愛した人間の女マリオンがもっていたものだ。トレーラーハウスの片すみに置かれた少女のころの写真、その下に転がっていたいくつかの何の変哲もない石ころ。初めてマリオンの部屋に足を踏み入れたとき、天使の耳は女の奇妙な独り言を聞いたのだった。

「閉じた目の中でさらに目を閉じれば、石だって生き始める」

 この本を書いている私のまぶたの裏側で、石は不思議な踊りを踊り続けていた。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/石が私か、私が石か」より)

*「心理学者のC・G・ユングは、石を通じて、自分自身のまっ暗な内面を旅したひとりだった。彼の石との深いきずなは、幼年時代に始まっている。

 七歳から九歳のころ、ユングは火遊びが好きだった。家の庭に大きな石片でつくられた古い壁があり、その隙間はおもしろい洞穴になっていた。ユングは友人たちに木々を集めさせ、自分はつきっきりで日の番をした。それは永久に燃えなければならない神聖な火であり、彼以外の何者も火を守ることは許されないのだった。

 洞穴の壁の前に坂道があり、そこに一個の石が埋まっていた。ユングはしばしばこの石の上にすわり、ひとりぼんやりすることがあった。すると不思議なことに、いつもおかしなもの思いが浮かんできた。「私は石の上にすわっている。石は私の下にある」。同時に次のようにも感じられた。「私は坂道に横たわり、ひとりの男の子が私の上にすわっている」。ユングはいつも、石が私か私が石かがわからなくなり、結局、いったい自分は誰なのか? と自問しながら立ち上がるのだった。(・・・)

 この石は、ユングが呼ぶところの「私の石」となった。」

*「幼年時代におけるユングと石との結びつきは、十歳のころ始めた奇妙な習慣によってますます強いものになっていった。ライン川から採ってきたすべすべの長い楕円の石ころを上半分と下半分に絵具で塗り分け、ズボンのポケットに入れて終始もち歩いた。同時に、定規を刻んで黒いフロックコートを着た人形をつくり、筆箱のなかに収めて、それを屋根裏部屋に隠した。石は、人形のものだった。困難にでくわしたり辛いことがあると、彼は屋根裏部屋にこっそり上がり、人形と石とを眺めた。秘密の言葉を書いた巻紙を人形の箱に入れることもあった。(・・・)

 石と人形の儀式はおよそ一年続けられた。この間、ユングの生活の安全はひとえにこの秘密によって支えられていたと書いている。」

*「学童時代のユングは、手に入るかぎりの鉱物を集めた。(・・・)惹きつけてやまなかった自然の事物の魅力を、のちにユングは「神」という言葉を使って表現している。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/集合的無意識」より)

*「三十五歳になった年、心理学者として著作活動にとりくんでいた彼は、偶然読んだ本のなかにアルレスハイムの近くの〝魂の石〟の隠し場やオーストラリアのチューリンガ(呪具。石で作られることが多い)についての記述を見いだした。そのとき、まったく忘れていた子どものころの秘密、石と人形についての記憶が突然よみがえった。」

「何の知識ももたない子どものユングが、古代人と同じ方法で石を取り扱っていた。人の心のなかには、生まれながらにもち運んでいる「原始的な心の構成要素」があるのではないか。この直感は、ユングの思想を決定する鍵となった。

 二年後、ユングはフロイトと訣別し、新たな視点から人間の無意識を掘り下げていくことになる。

 ユングは、ひとりひとりのなかに潜んでいる「原始的な心の構成要素」を「集合的無意識」と名づけた。(・・・)

 集合的無意識とは人類が長い歴史を通じて体験した心的内容が遺伝子のなかに組みこまれ受け継がれたもので、とくに典型的、感動的な体験が結晶化したものを、ユングが「元型」と名づけた。(・・・)

 元型は理性や意志の力の及ばないところで生きて活動しており人の行動を操っている。夢と能動的想像は元型の宝庫であり、これを直視し自分のものとして体験していくことを通じて「個体化の道」と呼ぶところの心の変容過程が可能になるとユングは説いた。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/ユングのなかの他人」より)

*「フロイトと訣別したあと、ユングは激しい方向喪失感に襲われた。極彩色の生と死が氾濫する恐ろしい夢と幻覚が堰を切ったように襲い圧倒した。」

「無意識との対決が始まった。ユングの人生に最大の恐怖と実りをもたらした嵐は、まる五年間吹き荒れた。このあいだ彼を支えていたものは、自分がこの危険な仕事を遂行できないのなら、といてい医師として患者を手助けするこもできない、という認識だった。」

*「ユングが体験していた夢や幻像のなかで、石は象徴的役割を担うかのように繰り返し現れてくる。」

「ユングは、こうしたすべての幻覚、夢、空想を「黒の書」と名づけたノートに克明に記録し、それをさらに「赤の書」に整理し絵をつけ加える一方で、激情と消耗を調整するためにヨガを行ない、子どものころの思い出のなかから浮かびあがってきた建築遊びを始めた。石ころを積み上げて小屋や城を建てるのである。ユングは毎日のように建築遊びを始めた。石ころを積みあげて小屋や城を建てるのである。ユングはマイ地のように湖に出かけ、湖岸から適当な石を拾い集めて、ひとつの村をつくることに専念した。食事と睡眠、患者を診るわずかの時間を除いて、くる日もくる日も石ころを触り続けていた。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/臨死体験と石」より)

*「石にまつわる象徴的な夢は、幻想が終息し、年を経たのちにもユングを訪れている。石の夢は不思議なことに死と関わっている。」

*「ユングは六十九歳のとき心筋梗塞に続いて足を骨折するという災難に見舞われた。危篤に陥り、酸素吸入を受けながら、地球を外側から見るという幻像を体験した。(・・・)

 宇宙空間に浮遊し、地球を眺めているユングの目の前に忽然と石が登場してくる。」

*「この体験のなかでユングは、死の世界の方をむしろ真実と感じ、そちらへ移行することを望むのだが、意に反して生の世界に帰還し、八十六歳で人生を終えるまで、自伝を含め『ヨブへの答え』『結合の神秘』など重要な著作を残すことになる。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/錬金術との出会い」より)

*「ユングが五年間にわたり無意識との対決を客観的に観察、分析し、ひとつの答として本にまとめることができたのは十二年も過ぎたのちであった。

「幻想の流れが引き、魔法の山にとらわれることがなくなって、最初に自問したのは〝我々は無意識を相手に何をしているのか〟という問いだった」と書いている。

 この答を求めて、グノーシス主義(・・・)の研究に没頭していたユングは、その系譜をつぐ錬金術との決定的な出会いを体験することになる。」

*「錬金術は、実は本当に金をつくりだそうとしていたのではなく、(・・・)化学的過程である種の心的体験をしていたのであり、彼らの呼ぶ「金」とは心の変容過程の究極の状態をあらわすシンボルだ、ということを見いだしたのである。」

「錬金術師が残した一見意味不明ともいうべき膨大な言葉やシンボルは、ユングが観察していた自身や患者たちにあらわれてくる心の変容過程に対応していた。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/石の心臓を取りだすべし」より)

*「宗教は人の救済を説いていたが、錬金術師は物質の救済を説いていた。というのも、錬金術師は「石に霊が宿る」と考え、それを抽出することを前提としていたからである。」

*「子どものころから石と自分のなかに類似のもの、のちに「神性」という言葉で呼ぶようになった共通のものを感じていたユングにとって、錬金術との出会いは二重の意味で決定的なものであった。」

**(徳井いつこ『夢みる石』〜「石に語らせる/塔の家」より)

*「ユングは四十八歳になった年、スイスのボーリンゲンに塔の家を建てた。それをかたちづくるものは、子どものころから愛した石、彼の人生を通じて大きな意味を投げかけてきた石でなければならなかった。」

「この塔は、ユングのすべてになった。」

*「七十五歳になった年、ユングは誕生日を記念して塔の家の庭に石碑をつくろうと思いついた。三角石を注文したのに、石切場の主人のどういう手違いか、並外れて大きい四角の石塊が届けられた。」

「自らノミをふるって石を彫り始めると、言葉が雲のようにつぎつぎに浮かんでは消えた。ユングは「石自身に語らせよう」と考え、石のひとつの面に次のようなラテン語の詩文を刻んだ。

「私は孤児で、ただひとり、それでも私はどこにでも存在している。私はひとり、しかし、自分自身に相反している。私は若く、同時に老人である。父も母も、私は知らない。それは、私が魚のようにうみの深みからつり上げられねばならなかったから、あるいは天から白い石のように落ちてくるべきであったから。私は森や山のなかをさまようが、しかし人の魂のもっとも内奥にかくれている。私は万人のために死にはするが、それでも私は永劫の輪廻にわずらわされない」

 それは石の言葉であると同時に、ユングが「内なる先祖」と名づけたものの声でもあった。」

○徳井いつこ(Itsuko TOKUI)
神戸市出身。同志社大学文学部卒業。編集者をへて執筆活動に入る。アメリカ、イギリスに7年暮らす。手仕事や暮らしの美、異なる文化の人々の物語など、エッセイ、紀行文の分野で活躍。自然を愛し、旅することを喜びとする。著書に『スピリットの器――プエブロ・インディアンの大地から』(地湧社)、『ミステリーストーン』(筑摩書房)、『インディアンの夢のあと――北米大陸に神話と遺跡を訪ねて』(平凡社新書)、『アメリカのおいしい食卓』(平凡社)、『この世あそび』(平凡社)がある。

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