見出し画像

東畑開人「贅沢な悩み 連載第7回 4章 臨床心理学の二柱の神——生存と実存」『文學界』

☆mediopos3497  2024.6.14

東畑開人が「文學界」で連載している
「贅沢な悩み」の第7回

第1回から第5回までは
第1回:mediopos3310(2023.12.10)
第2回:mediopos3343(2024.1.12)
第3回:mediopos3376(2024.2.14)
第4回:mediopos3409(2024.3.18)
第5回:mediopos3432(2024.4.10)
でとりあげている

第6回はこの連載の向かうところが
少しばかり見えなくなっていたこともあり
あえて見送っていたが

「ここまであまりにも長く助走をし続けてきたのだから、
そろそろ跳ばねばなるまい」とあるように
ようやく今回の第7回
「臨床心理学の二柱の神————生存と実存」で
その「贅沢な悩み」が何を意味しているのかが
見えてきたところがあるのであらためて・・・

「臨床心理学という学問には、
常に不和があり、紛争があった」

「臨床心理学には二つの基本的な価値があり、
二つの異なる目的」があり「二柱の神」がいて
世界レベルでも日本の学会レベルでも
「歴史上一貫して闘争してきた」という

世界的に見れば
「心の深層を探索していく心理療法」(精神分析)と
「具体的な行動を変化させようとする心理療法」(行動療法)
の対立であり
日本でいえば
特に1995年の阪神・淡路大震災以降
「二つの臨床心理学が並び立」つことになった対立である

「1995年以前の臨床心理学は、
震災被害に対してあまりに無力」であり
それまで臨床心理学の基本旋律となっていた
「「聴く」の根源的否定」が行われるようになった

被災者の話を聴こうとする心理士たちは「拒絶された」のである
「必要なのは水であり、食事であり、安全な住まいであって、
「水がない」と嘆く声をただ聴くだけの人ではなかった」

行動療法が精神分析を批判したように
「被災地の外の安全な場所からやってきた心理士たちは、
偽善的で、高慢に映り、彼らの「聴く」は
贅沢な遊びのように聞こえた」のだという

そこに「二つの臨床心理学」があらわれる

精神科医の松本卓也によれば
「1995年以前に主流であった精神分析的アプローチが
「垂直」方向に心の深みを掘り下げ」
「「真理」を探求するもの」であるのに対し
1995年以降は「「水平」の人間関係に介入し」
「「生き延び」を追求するもの」となった

単純に考えるだけで
たとえばマズローの欲求5段階説にある
「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」
「承認欲求」「自己実現の欲求」の階層のように
状況に応じて必要となる優先順位がある

「生理的欲求」から「自己実現の欲求」へと至る二つの極が
「生存と実存」という臨床心理学の「二柱の神」として
あらわれているということだろう

「2024年現在、臨床心理学は
圧倒的に生存の方へと舵を切っている」ということだが
それは「生存こそが現代における社会の第一目的になっていて、
その背景にはこの30年で日本社会において
生き延びることの困難が増していったという事情がある」

しかもここ数年来
さらに政府の主導において
国民の「生存」を脅かすような方向がとられているため
ますますいかに「生き延び」るかという
「生存の方へ」と向かわざるを得なくなっている

そんななかで次回からようやく
「「贅沢な治療」に見えてしまう
もう一つの心理療法の神の名」について
明らかにされていくようだが

いうまでもなく
「生存」あっての「実存」ではあるものの
ひとは「生存」することに特化するだけで
生きられるわけではない

その二つの極のどちらに向かうかによって
臨床心理学には生存と実存という二柱の神があらわれ
対立・闘争しているのだろう

以下に引用はしていないが
今回の記事の最初に
河合隼雄のこんな言葉が引用されている

  僕は治すことに熱心なんじゃなくて、
  あんたが生きることに熱心なんやから、
  それはほんまに長い時間がかかります。
  (河合隼雄、村上春樹との対談、
   村上春樹『約束された場所で』所収)

対処療法は目の前で結果が見えやすいが
「生きること」にかかわるには「長い時間」がかかる
それを「贅沢な悩み」だとされてしまうとき
「生きること」は「生存」以外になくなってしまう

■東畑開人「贅沢な悩み 連載第7回
      4章 臨床心理学の二柱の神————生存と実存」
 (『文學界』2024年7月号)

**(「1」より)

*「臨床心理学という学問には、常に不和があり、紛争があった。

 我が業界は本当に仲が悪い。学会の会議からSNSの心理士クラスタまで、どこを見ても暗い情念が満ちていて、互いに呪いをかけあっている。私も嫌いなやつがたくさんいるし、私のことを嫌いな人もたくさんいる。

 内輪揉めが絶えないのだ。内紛こそが臨床心理学のお家芸であり、伝家の宝刀だ。そして、この伝家の宝刀をひたすら自傷行為のために使うのが、臨床心理学というチャーミングな学問の基本的性質なのである。

 これが最大限に発動されたのが、国家資格化問題である。日本では心理職の国家資格が成立するまでに50年もの歳月がかかったわけだが、それは国家資格化が現実化しようとするたびに内紛が発生し、リセットされることを繰り返してきたからだ。

 2017年にようやく「公認心理師」という国家資格がスタートしたが、これが出来上がるまでにも、苛烈な政治的闘争があった。さまざまな駆け引きがあり、裏切りがあり、関係者はみんな深く傷ついた。」

「なぜそうなってしまうのかというと、私たちの闘争が「利害」ではなく、「価値」を巡って行われるからだ。何が善であり、何が悪であるのか、何が聖であり、何が邪であるのか。これらが人によって全然違うのだ。それはすなわち、追求する目的が違うということであり、違う神を戴いていると言ってもいい。したがって、宗教戦争になる。別の目的=神を崇める他者は魔女とか詐欺師に見えるから、容赦のない攻撃と呪いが加えられることになる。」

*「臨床心理学には二柱の神がいる。」

「実際、私の所属する学会でも結局は二つの学派に分かれて、骨肉相食むような戦いを繰り広げてきたし、グローバルな臨床心理学の潮流においても同様である。

 たとえば、フロイトの元からアドラーが離反したときにも二柱の神が現れたし、なによりも1960年代以降に本格化した精神分析と行動療法の抗争がその最たるものであろう。つまり、心の深層を探索していく心理療法と、具体的な行動を変化させようとする心理療法の対立である。

 第二次世界大戦後、精神分析は心の治療の世界で覇権を握っていたわけだが、これに対して行動療法は猛批判を仕掛けた。その代表格が行動療法家のアイゼンクだ。彼は精神分析の理論が科学的とは言い難いオカルトで、その治療効果もないと主張した。」

「行動療法側は精神分析を「非科学的だ」「魔術的だ」「効果がない」と罵り、精神分析側は行動療法を「浅い」「人間を分かっていない」「実際には治っていない」と軽蔑する。宗教戦争とはそういうものだ。相手の合理性を信じられないままに、感情的に異教徒を排斥しあうのである。

 この対立はクラシックなもので、その後も基本的に同じ構造で反復されてきた。たとえば。日本では行動療法の進化系である認知行動療法の普及を図った下山晴彦が、精神分析の亜型であるユング心理学を攻撃したときもそうだった。「効果が実証されていない」とアイゼンクと同じ論法でユング派の批判を行った下山は、その長老であった河合隼雄に激昂され、その弟子たちから嫌がらせを受けたことを証言として残している。」

*「臨床心理学には二つの基本的な価値があり、二つの異なる目的がある。二柱の神がいる。

 これが歴史上一貫して闘争してきた。世界レベルでもそうだし、日本の学会レベルでもそうだ。今朝のSNSでも心理士クラスタは血みどろの戦いを続けている。

 ここにある亀裂を理解するうえで、アイゼンクが次のように精神分析を批判しているのは興味深い。

   精神分析を受ける患者は、ほとんど常にYAVIS(young,attractiv,verbal.intelligent,and successful)————若くて、魅力的で、言葉によって表現する力が豊かで、知的で、社会的に成功している————というタイプに分類され、そういうひとはどういう治療をしても治りやすいのです。

 YAVIS。つまり、贅沢な人たち。

 精神分析はお金持ちの恵まれた患者ばかりを見ていて、本当に治療を必要としている人を相手にしていない。

 精神分析は長い時間を必要とし、高額な治療費がかかる。それなのに、効果が小さく、コスパが悪い。

 精神分析は贅沢な人たちの贅沢な悩みに対して行われる贅沢な治療である。

「贅沢な治療」。

 そう、行動療法の神は精神分析の神を「贅沢」と呼ぶ。

 これが問題だ。

「贅沢」と呼ばれた神の本当の名前とは何か。あるいは「贅沢」と呼ぶ神の名前は何か。

 神々の御名を探り当てねばならぬ。」

**(「2」より)

*「臨床心理学には二柱の神がいる。」

「全体の構造をスケッチするだけでよいならば、1995年について書けばいい。「臨床心理学とは何か」という問いの答えは、とにもかくにも日本において1995年に起きたことに象徴的に示されている。」

*「1995年。言うまでもなく、日本戦後史の転換点である。阪神・淡路大震災が起こり、オウム真理教事件が起こった。」

「日本の臨床心理学にとっても、1995年は転換点だ。それ以前と以後では「心とは何か」「ケアとは何か」の想像力が決定的に変わってしまったからだ。理論も技法も、あるいは職業倫理すらも、1995年を境に根本的な部分で変わらざるをえなかった。

 いや、より正確に言う必要がある。1995年を境に、それ以前の臨床心理学がまるごと消失したわけではない。そうではなく、二つの臨床心理学が並び立ったのだ。以前の臨床心理学と以降の臨床心理学。二柱の神がいて、そこに深刻な断絶があったことが露わになったのである。

 このとき、なによりも語られなければならないのが阪神・淡路大震災である。

 ここに二つの臨床心理学の断絶が具現化されている。」

*「1995年以前の臨床心理学は、震災被害に対してあまりに無力だったのだ。彼らは混乱し、打ちのめされ、途方にくれた。それゆえに、この未曾有の困難を仲間と共有するために、ニュースレターを発行し始めた。被災地支援に必要な情報を同業者にシェアすると同時に、現場での困難や工夫、そしてその背景にあった様々な苦悩をエッセイとして書き記すようになったのだ。」

**(「3」より)

*「基本旋律となっているのは「聴く」の根源的否定である。これがニュースレターの全ページに響き渡っている。

 1995年以前の臨床心理学の中核には「聴く」があった。

 クライエントが面接室にやってきて、心のうちを語る。心理士は心の深い部分に耳を澄ます。(・・・)

 前提になっているのは「深さ」である。心には深層が存在して、そこには声にならない声があり、聴かれるのを待っている。これこそが先に述べた精神分析の基本的な構えであり。日本ではそこにユングとロジャースの心理学が混じる合うことで、(・・・)「聴く」を中心とする臨床心理学が成立していた。これが1995年以前の基本モデルであった。」

*「したがって、被災地に向かった心理士たちは、「聴く」を提供しようと意気込んでいた。震災での傷つき体験は物語られ、聴かれることを必要としているはずだ。そして、自分たちは「聴く」専門家である。そういう信念のもとに、彼らは被災地に乗り込んだ。

 しかし、現実は違った。話を聴こうとする心理士たちは、被災者から拒絶された。家を失い、避難所暮らしを続ける被災者にとって、必要なのは水であり、食事であり、安全な住まいであって、「水がない」と嘆く声をただ聴くだけの人ではなかった。」

「この被災者の声は、先のアイゼンクの批判と共鳴している。贅沢な治療じゃないか。被災地の外の安全な場所からやってきた心理士たちは、偽善的で、高慢に映り、彼らの「聴く」は贅沢な遊びのように聞こえたということだ。」

*「この根源的自己否定の衝撃がニュースレターに満ち満ちている。自分たちは善きことをしているはずなのに、実際には害しかしていない。これに心理士たちは困惑し、茫然としている。」

「この現実を認めることができたとき、心理士たちは新しいことを始めることになった。」

「たとえば、ある女性心理士はマッサージ師のチームに同行し、マッサージに励むようになった。身体に触れることを禁忌としてきた1995年以前の臨床心理学文化に抗って、体のケアをはじめたのだ。」

「ある男性心理は避難所の自治会の連夜の酒盛りに参加するようになった。(・・・)

 すると、自治会内部にも様々な不和があり、権力闘争があることがわかってくる。そして、その背景には震災によってもたらされた傷つきと不安があって。それが相互不信を作り出していることに思いを寄せられるようになっていく。こうして構築されていった自治会との信頼関係によって、心理士たちがボランティアとして活動するための場所が確保された。個人をケアするためには、まず場をケアする必要がある。そういう新しいやり方を学んでいったのだ。

 そしてなにより、これがこのニュースレターの白眉であると私は思うのだが、ある男性心理士は。トイレそうじについての思想を深めていくことになった。」

「「聴く」ではなく、トイレそうじこそが心のケアになる。困惑と自失の果てに、被災地の心理士たちは新しい思想に辿り着いた。」

**(「4」より)

*「問題は心の内側にあるのではなく、外側にある。自然災害にせよ、犯罪にせよ、あるいは家庭内の殴打や搾取にせよ、「暴力」という心の外部からふりかかるものが問題になっている。すると、必要になるのは、話を聴き、心の中を整理することではなく、生じている暴力を止めて、心を取り囲む安全を確保することになる。

 信田さよ子が1995年以降を象徴する心理士であるのは、彼女が徹底的に「暴力」にこだわるからである。依存症の臨床から出発し、DVや虐待のような家族の中で起きる暴力を専門としてきた信田は、繰り返し「私は『心』という言葉を必要としない」と明言してきた。彼女からすると、心の深層とは贅沢な茶番であり、真に必要とされているのは心を取り巻く人間関係への介入であるということになる。」

*「この信田的臨床の本質を精神科医の松本卓也は次のように整理する。1995年以前に主流であった精神分析的アプローチが「垂直」方向に心の深みを掘り下げていくものであったのに対して、信田さよ子は「水平」の人間関係に介入していく。松本は、前者が「真理」を探求するものであり。後者は「生き延び」を追求するものだという。

 1995年以降の臨床心理学は「いかに生き延びるか」に取り組む。目標とされている価値は「生存」だ。暴力が溢れる厳しい環境において、必要最低限の必需品を入手し、生存のリスクを取りのぞくのが心理士の仕事である。

 生存。

 これこそが1995年以降の臨床心理学の「神の名」である。」

*「2024年現在、臨床心理学は圧倒的に生存の方へと舵を切っている。」

「生存こそが現代における社会の第一目的になっていて、その背景にはこの30年で日本社会において生き延びることの困難が増していったという事情がある。新自由主義が社会を覆うことで、弱い個人が生き延びるための装置であった中間共同体は解体し、人々は自己責任でリスクの海を渡り、自分で安全を確保していかねばならなくなった。

 すると、経済的に困窮し、社会的に孤立し、暴力日さらされて。生存が脅かされる個人が大量に現れざるをえない。社会はリスクに囲まれた個人をサポートする必要に迫られる。ここに臨床心理学が呼び出されて「いかに生き延びるか」に取り組むことになるのである。」

*「生存のために、暴力に対処し、いかに生き延びるかを追求する。これが大事であることは現代日本におうては自明であり、それを臨床心理学が担うことは当然のように思うことだろう。

 しかし、1995年にはこの思想は新しかったのだ。ニュースレターにあったように、トイレそうじを肯定するために、当時の心理士たちは血にまみれながら思索を重ねなければならなかった。

 ここが重要だ。1995年には確かに大地震が起きた。臨床心理学内部の深刻な断絶が明らかになり。心理士たちは衝撃を受けた。

 ならば、もう一つの思想とはいかなるものであったのか。生存の思想を覆い隠していた、1995年以前の臨床心理学とはいかなるものであったのか、

 ここに生存と並ぶもう一つの価値=目的が浮かび上がるはずだ。

 生存の心理療法から見ると、「贅沢な治療」に見えてしまうもう一つの心理療法の神の名を明らかにせねばならない。

 ということで、ようやく贅沢な治療に入っていこうとするところで、いつものように紙幅が尽きたので、続きはまた次号で。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?