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脇坂真弥「人間の生の<ありえなさ> シモーヌ・ヴェイユにおける「不幸」の概念」/吉本隆明「甦えるヴェイユ」/シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』

☆mediopos3484  2024.6.1

シモーヌ・ヴェイユは二五歳のとき
一九三四年から一九三五年にかけ
リセの哲学教授を休職し身分を隠して
約八か月のあいだ工場で働いた

「〈現実の生(la vie réelle)〉に触れたい」
という思いがあったのだろうが

その〈現実の生〉は
ヴェイユに「奴隷の烙印」である
「不幸」を刻み込むことになる

ヴェイユが工場で体験したのは
「物が人間の役割をし、人間が物の役割をする」という
人間の尊厳・自尊心が剥ぎ取られるようなことだった

ヴェイユはその体験から
「そのような人が不幸の渦中にありながらも、
「救われる」可能性があるとしたら、
その救いはどのような形をもつかということを」
「自分自身の問題として問い続け」ることになる

その「人間の生の〈ありえなさ〉」は
「原理的なとらえがたさ」として
私たちのまえに深い謎として問いかけられている

以上は宗教哲学者・脇坂真弥の
『人間の生のありえなさ』からの示唆であるが
(この本についてはmediopos-2368(2021.5.11)で
別の観点をとりあげている)

同様の問題が
吉本隆明の講演「甦えるヴェイユ」でもとりあげられている

吉本隆明の視点では
ヴェイユの工場体験による気づきにおいて重要なのは
以下の三つの要約されるという

「革命だ革命だと云っている政治運動家は
一度も工場で働いた体験はないだろう。
それを全然分からないで主張しているにすぎない」ということ

人間は考えているだけでは生きてはゆけず
不器用だったりするとたいへんなので
身体を丈夫にしておいたほうがいいということ

そしていちばんだいじなのは
過酷な労働を体験すると
それに対して反抗的になるのではなく
むしろそれに慣れてしまって
黙って耐えてしまうようになるということ

「いままでじぶんはプライドを持っていたけど、
そんなプライドなんか全然お話にならない」
「人間のプライドというのはそんな簡単じゃない」

つまり「奴隷の烙印」である
「不幸」を刻み込まれることになる・・・

ヴェイユはそうした「不幸」の渦中にありながら
「救われる」可能性について問いつづけたが
結局のところ「救い」としては
「不幸になるかもしれないということを愛さなければならない」
といった謎のような言葉でしか示唆されない

「工場日記」やそれに関するところでは
「不幸」は社会的要因からとらえられ
そこで生じるいわば「隷従」について問題にしているが

「隷従」には外なる環境から強いられるだけではなく
実際に強いられることのないまま
「自発的」なかたちでの「隷従」もある

それと知らずみずからに「奴隷の烙印」を押すことになり
しかもそれを「不幸」だとはみなされないのだが
それは「不幸」でさえない「不幸」だともいえるだろうか

〈現実の生〉にふれずして
それを問い直すことは難しいだろうが
それを積極的に問い直すためには
問うものが「強い魂」でなければならない
「弱い魂」は「隷従」を余儀なくされる

ヴェイユは〈現実の生〉のなかで
わずか八か月ほどのあいだであるにもかかわらず
みずからが「不幸の当時者」となり
「当時者」として〈現実の生〉に尊厳をとり戻すことは困難だった

しかしヴェイユのすごさは
無謀であるとしても
「何はともあれやってしまう」というところにあるのだろう

ぼくにはヴェイユのような大胆さはないけれど
たとえじぶんが「不幸の当時者」であるとしても
不幸を愛することなく
可能な限り「隷従」を避け
少なくとも「自発的隷従」だけは
しないでいられる魂でありたい
そう願っている

■吉本隆明「甦えるヴェイユ①」
 (『吉本隆明〈未収録〉講演集〈2〉心と生命について』筑摩書房 2015/1)
■脇坂真弥「人間の生の<ありえなさ> シモーヌ・ヴェイユにおける「不幸」の概念」
 (脇坂真弥『人間の生のありえなさ/<私>という偶然をめぐる哲学』青土社 2021.4)
■シモーヌ・ヴェイユ(田辺保訳)『工場日記』(ちくま学芸文庫 2014/11)
■『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫 2018/7

**(吉本隆明「甦えるヴェイユ①」〜「工場体験によってえた覚醒」より)

*「僕らがヴェイユという人の思想、生涯を考えてきて、すごいねと思うのは、何はともあれやってしまうんだからねということです。飛び切り優秀な政治思想家であり哲学者であるヴェイユが、わざわざ肉体労働を体験するために、工場の女子の工員になってみることはないじゃないか、頭脳労働に従事する者、あるいは社会革命を主張する人たちと、実際に社会で肉体を働かせている労働者の人たちとがいかに懸け隔たっているか、また懸け隔てざるをえないかは頭で考えればすぐ分かるじゃないかと思えるのですが、ヴェイユはじぶんの一身の中で両方を総合体験したいという観点から、工場に女子の工員として雇われて労働します。」

「その工場体験をやって、ヴェイユはヴェイユなりの考えに決着をつけます。ひとつは、ロシア革命の指導者であるレーニンでもトロツキーでもそうですが、革命だ革命だと云っている政治運動家は一度も工場で働いた体験はないだろう。それを全然分からないで主張しているにすぎないんだということです。

 しかし僕らが、ヴェイユの工場体験の中でいちばんヴェイユならではと思える体験は何かとうと、ヴェイユは工場体験をしたことを知り合いの人に手紙を出して云っていますが、一寸のゆとりもない肉体労働をして、へとへとに疲れてしまう状態を毎日続けている。こういう体験をする前は、さぞかし反抗心が募って、ますますラジカルな社会革命の思想を身につけていくと思っていたけど、じぶんが体験してみると、そうじゃないことが分かる。こういう体験をしてみると、受け身になって、過酷な条件でも何でもともかく承認して、べつだん反抗するわけでもないし、文句を云うわけでもなく、これに慣れてしまう。つまり、奴隷的な状態というのは反抗心を募らせるものだと一途に考えていたけど、実際に体験してみると、それを承認して慣れてしまうことが人間にはあるんだということが初めて分かった。という手紙を出しています。

 この目覚め方、体験の仕方は、もちろんラジカルな社会変革の思想から云うと、ついに現実に妥協してだめになってしまたじゃないかと云うかもしれませんが、そうではなくて、あらゆる体験の中にある内在性というか、内面的な体験性があるんだということをヴェイユは初めて会得した。いままでじぶんはプライドを持っていたけど、そんなプライドなんか全然お話にならない、それはひどい目に遭ったことのないやつの知的なプライドであって、本当に体験してみると、人間のプライドというのはそんな簡単じゃないということが初めて分かったと云っています。」

「もう一つ云っていることがあります。これはじぶんの女子中学に勤めていたときの学生さんに宛てた手紙ですが、人間は頭脳だけではなくて、肉体的に不器用だということがどんなにたいへんなのかをじぶんは初めて体験した。だからあなたも勉強ばかりしないで、親を説得して、スポーツをしたり山登りをしたりして遊んで、身体を丈夫にしたり、反射神経を大切にしたりしたほうがいいですよと云っています。

 これもなかなかたいへんな目覚め方だと僕には思えます。一見するとつまらないことだし、そんなことはわかりきっていると云いそうな気がしますが、本当はそうではなくて、ヴェイユにとっては、また一般的に云って、知識でもって何かしようという人にとってはとても重要なことのように思います。身体が生まれつき丈夫であるということではなくて、進んで身体を丈夫にするということが、単に健康だという意味合いだけではなくて、いろんな意味でとても重要なことなんだ。ヴェイユはじぶんが不器用で、さんざん上役に叱られたり、同僚にいたわられたり、逆に意地悪されたりという体験をしたので、その体験を通じて、そういうことを学生さんに手紙で云っています。」

「僕はヴェイユの工場体験の目覚めの中で、その三つのこと、つまり革命思想なんて本当に肉体労働をしたことのないやつが云っている馬鹿話だという覚醒の仕方と、身体を丈夫にしたほうがいいですよという覚醒の仕方、それから人間は肉体労働でぎゅうぎゅうな目に遭わされたら、黙ってそれに耐えるというあり方もあるということが初めてわかったという覚醒の仕方はたいへん重要なことだと思います。つまり、ヴェイユの工場体験で重要なのはその三つのことに要約されるんじゃないでしょうか。

 それはかつてラジカルな学生であり、ラジカルなインテリゲンチャであったときのヴェイユが考えもしなかったくらい、じぶんの思想、考え方に厚みを加えたということを意味します。また逆に云うと、そういう覚醒の仕方をすれば、一途に屈折なしに、社会を変えれば全部がよくなるみたいな考え方を持てなくなったということを意味します。」

**(脇坂真弥「人間の生の<ありえなさ>」〜「2 不幸との接触」より)

*「一九三四年一二月から一九三五年八月にかけての約八か月間、二五歳のヴェイユは当時働いていたリセの哲学教授を休職し、身分を隠して未熟練工として働いた。」

「ヴェイユがこの時期なぜみずからこのような労働に入っていったかについては、本来は彼女の思想全体に照らして考察されるべきだが、その根底に〈現実の生(la vie réelle)〉に触れたいという彼女の切実な欲求があったことは確かだろう。」

「では、この〈現実の生との接触〉は彼女に何をもたらしたのか。工場労働を初めて一か月ほど経った頃、彼女はある知人に向けて「これは現実(réalité)であって、もはや想像(imagination)ではない」と書き、それに続けて、この体験によって変化したのは自分がすでに持っていた具体的な考えではなく(むしろそれらはいっそう強まった)、物事に対する自分の見方全体だと述べている。」

*「ヴェイユは工場での〈現実の生〉が自分に刻み込んだものは「不幸」、すなわち「奴隷の烙印」だと語っている。自分の物の見方を根本から変えた〈現実の生〉との接触を、彼女は最終的にみずからの自己認識を根本から変えてしまう「不幸」との接触として理解したのである。では、この時ヴェイユに起こったこと————彼女に生涯「自分は奴隷である」と見なさせるにいたった「不幸」とは、具体的にはどのようなものだったのだろうか。

 (・・・)彼女が工場において体験したのは、「物[機械部品や製品]が人間の役割をし、人間が物の役割をする」という人間の尊厳の喪失状況だった。人間はさまざまな仕方で耐えず「物」扱いされることによって、次第に自尊心を失い、自分で自分を「物」であると認めてしまうようになるとヴェイユは言う。

(・・・)

 こうした状況の中であらゆる自尊心を剥ぎ取られた人間の状態が「不幸」であり、(・・・)ヴェイユはこれを「奴隷状態(esclavage)」と呼ぶ。それは人が自分自身の個性や、私が私であることの象徴たる「名」を剥ぎ取られ、番号で呼ばれる単なる物(・・・)となった状況を指している。工場労働を終えた直後の「この経験から得たものは?」というメモの冒頭に、彼女は次のように書き残した————「どんな権利であれ、何に対する権利であれ、自分は一切権利を持っていないという感じ(この感じを失くさないように注意すること)」。

*「自分が尊厳を失って打ち砕かれ、自身を「物」、すなわち他人の意志に委ねられた道具と見なすにいたったのは、それに抵抗しうる「強い魂」が自分になかったからだということを、おそらくヴェイユは認めざるをえない。それは事実そのとおりだった。彼女はこの時、この打ち砕かれの経験(不幸)のまさに「当時者」だったのだ。彼女が口ごもるのは、彼女がこの経験を脇から観察する第三者ではなく、実際に「強い魂」を持てなかった当時者だったからである。「工場での労働者は自分自身の不幸について自分で書き、話し、考えてみることさえほとんどできない」と彼女が言う時、それは彼女自身の身に起こったことにほかならない。「不幸ほど認識しがたいものはない。それは常にひとつの神秘である。ギリシャのことわざが言うように、不幸は声を持たない」。」

**(脇坂真弥「人間の生の<ありえなさ>」〜「5 再び、事柄のとらえがたさについて」より)

*「彼女がその時、そこで考えようとしたことが何であるかははっきりしている。それは、彼女自身がそうであったような不幸な人をできるかぎり生み出さないことというよりは、むしろ不幸に陥って尊厳を失い、自他ともに「物」とみなされてしまうようになった人を、なお目の前に「人間」として留める方途はあるかという問題だった。さらに、そのような人が不幸の渦中にありながらも、「救われる」可能性があるとしたら、その救いはどのような形をもつかということを、彼女はまさに自分自身の問題として問い続けた。」

*「アランやアリストテレスが、ヴェイユが言う「不幸」という重大な問題に気づいていなかったとはとても信じがたい。そこにはむしろ、不幸が示す「人間の生の〈ありえなさ〉」をある仕方で見遣りつつも、それでもなお自由を重視し、あくまでもこの「人間の世界」の中で私たちが為すべきことを、為しうる範囲を的確に見極めながら為すという大人の抑制のようなものが感じられる。たしかに、その態度は先ほどの「強い魂」に属している。しかし、それは「人間の生の〈ありえなさ〉」を前にして言っても詮無いことは言わず、なお可能なかぎり積極的な手を尽くして不幸への転落を防ごうとする姿勢、転落から自他を守ろうとするある種の誠実な人間の姿勢ではないだろうか。いずれにしても、彼らがこの問題についてなぜ多くを語らなかったのかということは、不幸の概念の特殊性とともに、考察すべき点をなお残している。

 しかし、このような立場と比較して再度ヴェイユの側に戻るなら、彼女の立ち位置もまたはっきりと見えてくる。まず言えるのは、彼女にとって「不幸」とは、それを見遣りつつ何かを誠実に為すことが人間にとっての重要な義務ともなるような、そういう可能性ではないということである。彼女は不幸の当時者であり、不幸な彼女にとって自分自身の〈現実の生〉そのものにほかならなかった。彼女は二度と「強い魂」には戻れない場所にいる。言う端から言葉が意味を失い消えていくような場所にいながら、それでもなおそこで何かを言い続けようと地団駄を踏み、ほとんど意味不明な言葉を発する滑稽な女————それがヴェイユである。

 だが、彼女がその時、そこで考えようとしたことが何であるかははっきりしている。それは彼女はそうであったような不幸な人をできるかぎり生み出さないことというよりは、むしろ不幸に陥って尊厳を失い、自他ともに「物」とみなされてしまうようになった人を、なお目の前に「人間」として留める方途はあるかという問題だった。」

*「考察はこうして最初に戻る。(・・・)ヴェイユはアランやアリストテレスにはない(と彼女が考えた)何をしようとしているのだろうか。(・・・)「救われる」とは、いったい何が起こることなのか、ヴェイユが論じる事柄の「原理的なとらえがたさ」は、「人間の生の〈ありえなさ〉」をめぐるこのような問いかけとして、私たちの前にいっそう深い謎となって姿を現している。」

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