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レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望 ――語られない歴史、手つかずの可能性 増補改訂版』

☆mediopos-3074  2023.4.18

レベッカ・ソルニットが『暗闇のなかの希望』を
最初に刊行したのは二〇〇四年
ブッシュ政権がイラク戦争を始めた時代だ

その後も「暗闇」はますます深まり
ここ数年で全世界的なまでに
「暗闇」は拡大しつづけている
いわば新たなかたちでの
見える戦争も見えない戦争も含む全世界戦争だ

ある意味で
「万人の万人に対する戦争状態」だとさえ
いえるのかもしれない

言葉をかえていえば
パンドラの箱が開けられた

すでに百年前に
ルドルフ・シュタイナーが示唆していたように
第一次世界大戦時のウッドロー・ウィルソンによる
国際政治における隠れた危機の演出だけではなく
宗教・教育・経済・医療・科学技術・食など
あらゆる領域においてパンドラの箱は開けられている

パンドラの箱からはあらゆる悪・不幸・禍などが飛び出し
その後にたったひとつ残ったものが「希望」だった

本書のタイトルでいえば
「暗闇のなかの希望」とでもいえる

「希望は光を浴びた舞台の真ん中ではなく、
周縁の暗がりにある」のだという

本書の第5章「影の歴史」では
「世界を劇場としてイメージしよう。
舞台の中心を占めているのは権力者や公のお芝居だ。」
そして「ぶしいスポットライトのせいで
周りの暗がりはまったく見えない。」が

その「舞台の外」
つまり「無視するように促されてきた場所、
あるいは見えないものとして扱われてきた場所」にこそ
目を向けるよう促している

希望を光だとすれば
暗闇のなかでこそ光は見える

かつて世界劇場の舞台上で巧妙なまでに隠されてきたことが
現代では次々とあからさまな形で登場し続けている

それを政治もメディアも
巧妙なとさえいえない稚拙で露骨な仕方で
隠し通そうとさえしているのだが

教育やAI等による思考力のスポイルによって
教えられたこと(言)を事実(事)として
そのまま信じることを知的だと
誤解させられるようにさえなっている

ある意味でパンドラの箱に残った「希望」さえ
奪おうとしているのだろう
そのとき暗闇のなかに希望は残っていない

そうならないよう
レベッカ・ソルニットは
「暗闇のなかの希望」を熱く語っている

■レベッカ・ソルニット(井上利男/東辻賢治郎訳)
 『暗闇のなかの希望 ――語られない歴史、手つかずの可能性 増補改訂版』
 (ちくま文庫 筑摩書房 2023/4)

(小川公代「解説 ネガティヴ・ケイパビリティのなかの希望」より)

「レベッカ・ソルニットの『暗闇のなかの希望』は、二〇〇三年に始まったイラク戦争の応答として書かれたエッセイが拡大され、翌年、書籍として刊行された。米国を中心とする有志連合が、国連安保理決議なしの先制攻撃をイラクに対して行い、メディアも政府の武力行使を質すどころかイラクには「大量破壊兵器」が存在することを煽り、「対テロ戦争」という概念を広めていた。世界中に絶望が漂っていたこの時期に「希望を擁護する」ために書かれたソルニットのこの名著は、加筆され、改訂版として二〇一六年に刊行された。本書はその邦訳である。」

「ソルニットにとってキーツが「苦しみに満ちた世界を「魂を培う現世」と詠んだ」ことは重要である。ブッシュ政権下で「暴力や破壊」が増大したことにより引き起こされたイラク戦争の惨状は、対岸の火事などではない。ソルニットは「イラクで飢えながら銃を向けられている人」、あるいは「アメリカに入国を拒まれている人」たちを常に「同胞たる人間」としてみなし、彼らの「痛み」に寄り添っている。

 これほどまでに大きな絶望の波が押し寄せてきたにもかかわらず。なぜソルニットは希望を持つことができるのか。「未来は暗闇に包まれている。概して、未来は暗闇であることが一番いいのではないかと考える」と言ったのは、女性たちの反戦運動についても書いたモダニズム作家のヴァージニア・ウルフである。ソルニットはこの言葉に言及しながら、すべてが失われたわけではないと訴えている。

(・・・)

 不確かな現実のなかを、絶望するでもなく、楽観視するでもなく、「私たちの為すことに意味があると信じ」続けること。このソルニットの思想の根幹には、ウルフにも影響を与えたキーツの「ネガティヴ・ケイパビリティ」という考え方がある。この言葉は、一八一七年一二月二一日の弟たちに宛ててキーツが書いた手紙に言及されている。「短期に事実や理由を手に入れようとはせず、不確かさや、神秘的なこと、疑惑ある状態の中に人が留まることができるときに表れる能力」を示す。すなわち、価値判断を留保する、宙づりになるという意味でもある。ソルニットは、キーツが「あてもなくさまよい歩く」(unpredictable meander)ことに特別な意味を持たせている。暗闇のなかを歩くことは、想像世界のなかでさまようことと分かち難く結びついている。」

(「日本のみなさんへ」より)

「仏教は、世界を白か黒かの二者択一ではなく、両者をともに包み込む素晴らしくも多様なものとして見る観点を、私のような新参者に示してくれます。今日の世界には恐ろしい事態が進行していますが、それが唯一のありかたではありません。さらに、現在のありかたは未来のありかたではありません。一寸先の未来に何が起こるか、私たちはまったく知らないという事実を受け容れること————これが、私に何よりも身に染みる仏教の教えなのです。未来の不確かさが、希望の基礎になります。何が未来に起こるかは、部分的にしろ、何を私たちがするのかによります。

 私たちは語り部です。ところが、ともすれば既知の物語が、岩のように不動で、日の出のように必然であると信じてしまいます。どのようにして古い物語を解体するのか? 解体するだけで終わらず、どのような新しい物語を語れるのだろうか? そう私は自問するようにしています。物語は私たちを陥れもするし、解き放ちもします。物語によって生かされもし、死にもする私たちですが、聞き手で終わる必要はなく、みずから話し手にもなれます。ここに記す私の物語の目的は、あなたがあなた自身の物語を語るように励ますことなのです。」

(第三版への序文(二〇一五年)「希望が拠って立つもの」より)

「あなたの敵は、もう希望はないとあなたが信じることを願っている。無力で、立ち上がる理由もない、もう勝てないのだ、そうあなたが思い込んでしまうことを。希望とはギフトだ。だれにも譲り渡す必要はない。そして力だ。捨ててしまう必要はない。」

「希望をもつことは、こうした現実を否認することを意味しない。希望をもつことは、それらを直視し、それらに取り組むことを意味する。そのために、二一世紀が私たちにもたらしたそれ以外のもの、つまりさまざまな運動や英雄的な人びとや、今それに取り組もうとするに至る意識の変化といったものを思い出すことを意味する。」

「希望は、私たちは何が起きるのかを知らないということ、不確かさの広大な領域にこそ行動の余地があるという前提に中にある。不確かさを認識することは、その帰結に影響をもたらせるかもしれないと気がつくことだ。それはあなたが一人でやることかもしれないし、数人、数百万人とともに行うことかもしれない。希望とは未知や不可知のものを受け容れることであって、確信的な楽観主義や悲観主義とは違う。楽観主義者は、私たちが関与しなくても物事はうまくゆくと考える。悲観主義者はその逆だ。どちらも自分の行動を免除する。希望とは、いつ、どのように意味が生まれ、だれや何にインパクトを与えるのかあらかじめわからないとしても、それでも私たちの為すことに意味があると信じることだ。そんなことは事後になってもわからないかもしれない。しかし、それでも意味があることに変わりはない。歴史には亡くなった後のほうがよほど大きな影響力を発揮した人物がいくらでもいる。」

(「1 暗闇を覗き込む」より)

「未来だけではなく、いまこのときさえ暗闇に包まれているのではないかと思えることがある。」

(「5 影の歴史」より)

「世界を劇場としてイメージしよう。舞台の中心を占めているのは権力者や公のお芝居だ。伝統的な「歴史」として語られるお話。かわり映えのしないニュース発信者に促されるままに、私たちの視線はその舞台に釘付けになっている。まぶしいスポットライトのせいで周りの暗がりはまったく見えない。客席の人と目をあわせることも難しい。客席を抜け出して、廊下に出て、舞台裏や劇場の外へ、暗闇の中へ、そんな別の力が蠢いている場所へたどり着く道も見えない。世界の命運の大部分は舞台の上で、スポットライトの中で決定される。舞台の役者たちは、そこにあるものがすべて、ほかの場所はないと語りかけている。

 細部や結末がどうあれ、舞台で演じられているのは悲劇だ。権力の不公正な配分という悲劇。芝居の代償を払い、閑却であることに甘んじている者の沈黙というありふれた悲劇。代表民主制は、閑却が役者を選び、役者は私たちを文字通り代弁するという考えにもとづいている。現実には、いろいろな理由で選択に参加できずにいる人びとが少なくない。別の力、たとえば金銭が選択を捻じ曲げることもある。そして舞台上では、あまりに多くの役者があれこれと理由を見つけては————ロビー活動とか自分の利益とか迎合とか————有権者の代表になりそこねている。

 舞台の外で政治的な力が発揮されていたり、主演集のドラマの中身の書き換えが起こっている場所、そんな創意にあふれる領域に目を向けよう。世界を変えるストーリーが生まれているのは、無視するように促されてきた場所、あるいは見えないものとして扱われてきた場所だ。そこでは文化が政治を動かす力をもち、普通の人びとが世界を変える力をもっている。そして路上が舞台になったり、非公認の登場人物が舞台に上がってお芝居の邪魔をするとき、舞台の上の役者は当惑し、狼狽した表情を見せる。」

(「20 疑い」より)

「花は暗闇で育つ。「私は信じる」と、ソローも記した。「森を、草原を、トウモロコシが育つ夜の闇を。」」

【目次】
日本のみなさんへ 
第三版への序文(二〇一五年) 希望が拠って立つもの 
1 暗闇を覗きこむ 
2 私たちが敗北したとき 
3 私たちが勝ち取ったもの 
4 偽りの希望と安易な絶望 
5 影の歴史 
6 千年紀の到来 ―― 一九八九年一一月九日 
7 千年紀の到来 ―― 一九九四年一月一日 
8 千年紀の到来 ―― 一九九九年一一月三〇日 
9 千年紀の到来 ―― 二〇〇一年九月一一日 
10 千年紀の到来 ―― 二〇〇三年二月一五日 
11 変革のための想像力を変革する 
12 直接行動の間接性について 
13 もうひとつの歴史の天使 
14 カリブーのためのバイアグラ 
15 楽園からの脱出 
16 大いなる分断を越えて 
17 イデオロギーの後に ―― あるいは時間の変容 
18 グローバルなローカル ―― あるいは場所の変容 
19 テキサスの三倍大きな夢 216
20 疑い 
21 世界の中心への旅 
振り返る平凡な人びとの非凡な偉業(二〇〇九年) 
すべてがばらばらになり、すべてがまとまりつつある(二〇一四年) 
あとがき後ろ向きに、前向きに 
謝辞 
巻末注記 
訳者あとがき 東辻賢治郎 
解説 ネガティヴ・ケイパビリティのなかの希望 小川公代

◎レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit):プロフィール
1961年生まれ。作家、歴史家、アクティヴィスト。カリフォルニアに育ち、環境問題・人権・反戦などの政治運動に参加。アカデミズムに属さず、多岐にわたるテーマで執筆をつづける。主な著書に、『ウォークス歩くことの精神史』(左右社)、『オーウェルの薔薇』(岩波書店)がある。

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