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猪瀬浩平「雁皮は囁く」連載第1回 「死と生の溢れる、世界の片隅の灌木」(生きのびるブックス)

☆mediopos3385  2024.2.23

文化人類学者の猪瀬浩平による
人と雁皮(がんぴ)をめぐる物語
「雁皮は囁く」の連載が始まっている

猪瀬氏はなぜ「雁皮」が「囁く」のを聞こうとするのか
「なぜ雁皮に惹かれているのか問われても、
すぐに明確な答えが出てこない」という

雁皮は楮(こうぞ)・三椏(みつまた)とならぶ和紙植物で
栽培が難しいため主に採集されたものが使われるだけなので
「人の営みに完全に取り込まれることなく生息してきた、
不思議な植物」である

ぼくは高知県の四万十川のあたりで生まれたこともあり
小さい頃から和紙の原料である楮・三椏だけではなく
「雁皮」の名を耳にした記憶が残っている

いま猪瀬氏の庭には
四万十川流域から2022年の11月に持ち帰った雁皮が
育っているそうだが
ぼくの生まれ育ったところに雁皮は自生していたのだ!

雁皮は手漉き和紙の原料であるだけではなく
「機械で漉かれた謄写版原紙は、
謄写版(ガリ版)印刷においてなくてはならないもの」だった

しかし猪瀬氏は
「人の役に立つその性質」というだけではなく
「人にとって有用であるか否かにかかわらず、
生きている雁皮に惹かれる」のだという

現代は「人間による生息環境の破壊や乱獲によって
減少・絶滅する生物種は後を絶たない一方で、
人間の生息域に適応して増加する生物種もある」
そんな「様々な矛盾も溢れているこの地球で、
この世界にあふれてしまった生を、
優劣をつけずにどう肯定するのか、
ともに生きのびていくための思想を編み出すのかが
問われている」

そんななかで
「この大量死と大量生の時代に生きる思想を、
この時代に人の手のなかなか届かないところでしぶとく育ち、
増えていく雁皮が与えてくれることをかすかに願いながら、
雁皮の囁きを追いかけて彷徨おう」という

これから語られていくことになる連載は
「この<わたし>のいる世界にひっそりと存在する雁皮や
その痕跡をめぐるものであり、
雁皮と人や雁皮以外のものたちとのかすかな交わりである。
雁皮と世界がこすれていく中で囁かれる、
その声や、音、言葉に耳を傾ける」
そこから生まれてくる物語になるようだ

だれにでも
「<わたし>のいる世界にひっそりと存在する」
「雁皮」のような存在はいて
さまざまな環境のなかで
「この世界をしたたかに生きのび」ようとしている

それらの存在に気づきそして交わりながら
「その声や、音、言葉に耳を傾ける」こと

喧しいまでの大きな声からは
決して聞こえてこないであろうその「囁き」から
たしかに聞きとることのできる物語にこそ耳を傾けたい

■猪瀬浩平「雁皮は囁く」
 連載第1回「死と生の溢れる、世界の片隅の灌木」
 (生きのびるブックス 2024.2.22)

*「雁皮は、和紙植物として知られる。人間の生活と深く関わりながら、栽培が難しいため人の営みに完全に取り込まれることなく生息してきた、不思議な植物だ。交わり、すれ違い、翻弄し、翻弄され…。雁皮は、調和と征服のあわいで、この世界をしたたかに生きのびる。そのことは一体、何を意味するのだろうか。気鋭の人類学者による、人と雁皮をめぐる探究の〈物語〉。」

*「雁皮。この灌木のことが気になり始めてから、もう何年も経つ。山や森、植物園を歩く時だけではなく、街を歩きながら街路樹や人の家の庭の中に雁皮を探す。雁皮がそこにあることはほとんどない。それでも私はあの濃い茶色の幹の、小さな葉っぱを付けたあの灌木を探し、そしてかすかに似た特徴をもった木に出会ってドキリとする。こんなところにも雁皮があるのかと。そして、それが雁皮でないことを確かめて、平静な気持ちに戻る。雁皮を気にかけることで、木々や林、森とわたしの関係は確実に以前よりも親密になった。
 しかし、わたしは何故に雁皮に惹かれているのか問われても、すぐに明確な答えが出てこない。」
 
*「雁皮は、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)とならぶ和紙植物である。栽培が普及した楮、三椏と比べ、栽培は困難とされ、もっぱら人びとが採集したものが和紙の原料として供給されてきた。漉くと独特の黄味がかかる。繊維の細かい雁皮紙は銅版画や万年筆と相性がよく、日本ではひらがなを書くのに適しているとも言われる。」

*「雁皮は和紙になるだけの植物ではない・・・・。
 雁皮の性質は、人間に対して様々な役割を果たす。たとえば、雁皮を使った紙は手漉き和紙だけでない。機械で漉かれた謄写版原紙は、謄写版(ガリ版)印刷においてなくてはならないものである。紙だけではない。」

「(樹木研究の第一人者である)有岡(有岡利幸『和紙植物』法政大学出版会)は、朝鮮半島から紙漉きの技術が伝えられた時代に、人びとが雁皮の性質を知っていた、だからこそ、その性質を応用し、雁皮で紙を漉いたのだと推測する。人びとは、紙に漉く以前から雁皮と出会っていた。雁皮は人と交わり、紙だけでなく、紐にもなりえる。そして紙や紐以外にもなりえる。そして、ただ雁皮のままに留まることもできる。

 わたしが心惹かれるのは雁皮が人の役に立つその性質だけではない・・・・・・。人にとって有用であるか否かにかかわらず、生きている雁皮に惹かれるである。人と雁皮は時に深く交わる。しかし多くはすれ違うか、あるいはそもそもすれ違うことすらない。それでも、雁皮はこの世界で息づいている。」
 
*「子どもの頃に暮らしていた団地の家の、父の部屋のことを思い出す。

(・・・)

 ガリ版印刷機があり、鉄筆があった。だとしたら、父の机やガリ版印刷機の箱の中には謄写版原紙があったはずだ。そうであるならば、父の部屋には、わたしの家には、雁皮を原料にする製品があったということになる。謄写版原紙のほとんどは雁皮を原料としているから。

 わたしの世界の片隅に、雁皮はひっそりと存在していた。覚えていないだけで、もしかしたらわたしはそれにふれていたのかもしれない。

(・・・)

 わたしの記憶のなかには、雁皮の痕跡がある。わたしはその傍らで生きており、そしてもしかしたらそれが何かわからないまま、捨ててしまっていたのかもしれない。」

*「わたしがこれからつづっていく物語は、そうやってこの<わたし>のいる世界にひっそりと存在する雁皮やその痕跡をめぐるものであり、雁皮と人や雁皮以外のものたちとのかすかな交わりである。雁皮と世界がこすれていく中で囁かれる、その声や、音、言葉に耳を傾ける。
 
 雁皮は、人が関心を持とうと、持つまいと、山の中にひっそりと生えている。雁皮は砂礫の多いやせた土地で、太陽の光をあびて育つ。大木にはならない。その匂いや筋張った繊維は多くの生き物にとって、食物としてそれほど魅力的なものではない。春が過ぎる頃に、黄色い、小さな花をつける。

 本来、人と植物との関係は素っ気ないものが主だった。人が濃密に付き合う――つまり、採集し、食べ、育て、その属性を自分に都合のいいように改変していく――植物は、この地球に生きる植物のごく一握りでしかなかった。薬草師やシャーマン、あるいは植物学者以外の多くの人間にとって、その暮らしにかかわる植物はわずかだ。
 雁皮もまた多くの人にとって、それほど深いかかわりのある植物ではない。

 しかし、一部に深くかかわる人がいる。そして人が行った様々な営みが、雁皮の暮らしを大きく変えてしまう。人の営みによって雁皮は時に減り、時に増える。

 国破れて山河在り――。社会に大きな悲惨な出来事があったとしても、山も川もかわらない、と人はどこかで信じている。そのような信念こそが、実は人類がこの地球を劇的に変えてしまっていることに対し、鈍感でいることの一つの理由なのかもしれない。人は、山や川を劇的に変えてしまう。しかし、意のままに変えることはできない。意に反した変化があり、思わぬ帰結がある。人の営みは山や川やそこに生きる植物や生物を翻弄することがあるが、同じように、そして山や川やそこに生きる植物や生物が人を翻弄することもある。調和と征服のあわいで、まだかろうじてともに生きている。」
 
*「身近な人や気になっている人、尊敬する人の訃報に接することが多い。超高齢化社会、多死社会ということを強く感じる。

 2023年の暮れが押し迫った頃、わたしが会うこともなく、そして直接やり取りをしたこともない、ある知識人(立岩真也)の追悼のために文章を寄せることなり、その人の書いたものを読み直し、そしてその人のやっていたことはなんだったのかを人と語った。死の溢れる時代にその人が亡くなったという言葉を受信し、その言葉について考えていた。

 しかし、その人の書いてきた生の思想の先に考えるべきは、今は生が溢れる時代でもあるということなのではないか。わたしはそう気付いた。人類の人口は、人類史上、今もっとも多い。人間による生息環境の破壊や乱獲によって減少・絶滅する生物種は後を絶たない一方で、人間の生息域に適応して増加する生物種もある。環境汚染や温暖化によって異常繁殖する植物プランクトンのように人類の営みが間接的、直接的に増殖させてしまう生物種もある。人口が増えただけで、固有名で接する人はどんどん少なくなっているリアリティがある。そして大量に増えていくのは生態系や人類の健康にとって望ましくないという価値判断がある。

 ただ、問うべき(≠否定すべき)なのはその発想そのものなのだということを、今、わたしは強く思う。疫病も戦争も、そして様々な矛盾も溢れているこの地球で、この世界にあふれてしまった生を、優劣をつけずにどう肯定するのか、ともに生きのびていくための思想を編み出すのかが問われている。

 わたしがふれたいのは、雁皮が人にとって役にたつのか、たとえば和紙や謄写版原紙の原料になるのかどうかということにとどまらない、時に華やかでありながら、時にぱっとせず、冴えない雁皮自体の生である。この大量死と大量生の時代に生きる思想を、この時代に人の手のなかなか届かないところでしぶとく育ち、増えていく雁皮が与えてくれることをかすかに願いながら、雁皮の囁きを追いかけて彷徨おう。」
 
*「2022年の11月に四万十川流域から雁皮を持ち帰った。わたし以外の仲間二人が持ち帰ったきょうだい苗はそれぞれその冬や、次の夏に枯れてしまったけれど、わたしが持ち帰った苗は、我が家の決して豊かではない土壌に根付き、日の光を浴びて育ち、2メートルを超えた。2017年1月にはじめて持ち帰った雁皮は、その頃住んでいた家の横に置いた小さなプランターで芽吹き、花をつけたが、わたしがあまりにも水をやりすぎてしまったため、枯れてしまった。ひとまずわたしは庭に根付いた雁皮から、紙を作ろうとはおもっておらず、ただそれが育つに任せていたいと思っている。わたしの家には雁皮があり、その傍らでわたしの家族や隣人たち、小鳥や虫、菌類は日々の花鳥風月に接しながら、あるいは花鳥風月そのものとして生きている。
 雁皮と人をめぐる物語、この雁皮のきょうだいたちが育つ森との出会いから始めることにしよう。」
 
○猪瀬浩平(いのせ・こうへい)
1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教授。専門は文化人類学、ボランティア学。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発――窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波ブックレット)、『野生のしっそう――障害、兄、そして人類学とともに』(ミシマ社)などがある。

■猪瀬浩平「雁皮は囁く」
 連載第1回「死と生の溢れる、世界の片隅の灌木」
 (生きのびるブックス 2024.2.22)


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