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ボクの学校は山と川 Coyote 特別編 矢口高雄 最後の授業(Coyote No.74)

☆mediopos-2445  2021.7.27

道草ばかりして
生きてきた
すべては
道草から学んできた

いまもすべてが
道草かもしれないし
道草以外の道があるかと
あらためて見わたしてみれば
そんな道は見当たらない

いまこうして
書き記していたりするのも道草

だからこの矢口高雄のように
道草から学んだ話には
ついつい耳を傾けてしまう

学校で学ぶ知識は
教科書的な知識にすぎないけれど
道草で学ぶのは
じぶんで学ぶ生きた知恵だからだ
そこには自由の風が吹いている

知識が生きたものになるためには
それをじぶんで身につける必要がある

学校の知識は評価され数値化されることで
それを使って賢く生きる道具にはなるけれど
道草で学ぶ知恵は
評価されるようなものでも
数値化されるようなものでもないから
賢く生きるためにはむしろ邪魔になることもある

それでもその知恵はおそらく
魂そのものの養分ともなってゆく

さて今回のCoyoteの特集は「矢口高雄に学べ」である

矢口高雄は奥羽山脈の山間の
大自然のなかで育ったという
三十一歳までは銀行に勤めていたそうだが
その後少年時代にあこがれたマンガ家になり
『釣りキチ三平』など自然を背景にした物語を
次々に生みだしてゆくことになる
その矢口高雄が八十一歳で亡くなったのが
昨年の十一月のこと
最近では書店でも作品のコーナーができていたりもする

同じ場所に生まれていても
矢口高雄のように道草をするなかで
「川を渡る風、海の音を聴く」ことで
自然から生きた知恵を学ぶ人もいれば
まったく逆の生き方をする人もいるだろうように
それぞれの魂が求めるようなかたちで生きているけれど

子どもの頃に
「昆虫少年」や「釣り少年」
宮沢賢治風にいえば「石っ子」に
なったりするような経験がないとき
魂は必要な養分を得られないないまま育ってゆく

人間の五感そして十二感覚が
バランス良く育っていくためには
即物的な感覚だけではなく
自然のなかで得られる感覚を働かせる必要がある

どんな環境にいても
どんな年になったとしても
そんな「道草」で遊び学べるならば
精神の自由をなくすことはないはずだ

■Coyote No.74 特集 川を渡る風、海の音を聴く The Sound of Fishing
 (スイッチ・パブリッシング 2021/7)

(「ボクの学校は山と川 Coyote 特別編 矢口高雄 最後の授業」より)

「ぼくの子どものころは、授業が終わって学校から帰るときに、先生は必ずこう注意しました。ぼくたちはそんな注意なんて耳に入らなかった。ぼくらは毎日のように道草を食いながら学校から帰りました。そのころを考えてみるとぼくは大変忙しいガキだったと思うんです。
 忙しいというのはまず一つは、「釣り少年」でした。ぼくはこのころから大変釣りが好きだったんですね。それでぼくの代表的な作品は釣りのマンガなわけです。
 荷番目には、「昆虫少年」でした。小学校三年生ぐらいのときに夏休みの宿題での自由研究をやることになって、最初、昆虫採集を選びました。
 三番目が、「マンガ少年」でした。とにかくマンガを読むことが好き、そしてマンガを描くことも好きで、マンガ家になるのが夢でした。マンガと出会ったいちばん最初は、小学校三年生の冬休みに村の若い人がぼくのところに一冊のマンガの本を持ってきてくれたんです。その前からぼくはマンガが好きだったもんですから、「高雄にマンガの本を一冊買ってきてやったから」と言って、ふいに持ってきてくれたのです。それが手塚治虫の「流線型事件」というマンガの本でした。昭和二三年のことです。

 ぼくらは学校帰りにいろいろな所を通っては食べて、とにかく空腹を満たして帰るのがぼくらの少年時代でした。この学校帰りの道草が、すごく無駄な時間を費やしたことだったかといえば、ぼくには決してそうではなかった。それはなぜか、ぼくのマンガを見ればすぐにわかる。その道草で得たことを、ぼくはすべてマンガにしているわけです。道草で養われたこと、そういうものがぼくのふるさとを愛する気持ちにもなって、ふるさとマンガを描くようになりました。そのいちばんのもとが、道草にあったんです。
 例えばみなさんは、カエルは卵からオタマジャクシになり、その尻尾がとれて、手足が生えてきたのがカエルだってことは知っているだろうけれど、実際にそういうのを見たことはありますか? そういうことは学校でも教わるだろうけれども、ぼくたちは春に学校帰りの道草で、それを自然観察していたわけです。
 セミが生まれる、トンボが生まれるというのも、別に学校の理科の時間に習わなくたって、自分たちの目でちゃんと確かめて覚えていたわけです。
 秋になると、赤トンボが突然のようにウジャウジャとこのへんに降りてきますよね。あれは、いつ生まれるんだろうかということを考えたことはありますか? 生まれるのを見たことはありますか。
 みんなが見たことがなくても、赤トンボは生まれています。それもこのすぐ近くで生まれているんだ。秋になってふわっと突然出てきたように思うんだけど、実はこの奥の栗駒山に夏に登山してみるとよくわかります。夏は里が暑いから、暑さを避けてトンボがいっせいに山に避暑に行っているんだね。夏の間は山の高い所で暮らしているんだ。
 もともとこの里で生まれた何万匹も何百万匹もの赤トンボが、夏の間は山の高い所で涼んでいるんだね。それで秋になると里もだんだん涼しくなってくるから降りてきて、急に赤トンボが出てきた感じになるんです。そういうものを、ぼくたちは子どものころに実際のこととして道草で知っていたわけです。だから、道草ってとっても大切だと思うんですね。」

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