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松岡正剛監修『情報の歴史21』

☆mediopos-2377  2021.5.20

松岡正剛監修の『情報の歴史』は
人類の誕生から今日に至るまでの歴史を
「人類はどのように情報を編集してきたか」という視点の下
「世界同時年表」によって
「見える化」される関係のダイナミズムなど
斬新な構成で作られた唯一無二とってもいい年表である
(ちなみにかつてこの本の画期的な「造本設計」を手がけた
戸田ツトムは昨年の7月に亡くなっている)

初版は1990年に
「日本の電話100年」の記念事業として刊行され
1996年の増補版がでてその後絶版となっていたが
その後の2020年までの情報が新たに追加され
今回『情報の歴史21』として刊行された

1995年までの紙面は再録
新たに1996年~2020年の年表と
その時代を象徴する「情報の文明」についての
解説とダイアグラムなどが加えられている

はじめてこの『情報の歴史』が刊行されたとき
この本を読むための『情報の歴史を読む』といった
関連したものもいろいろあって
この「世界同時年表」という
「同時代」の世界に起こっていることを見ることが
思いがけない視点を与えてくれることに
ひとつひとつ驚いたことを覚えている

本書では次のように
各時代ごとに情報に関するテーマが
1章から今回加えられた8章まで記載されているように
時代ごとに情報が生きて成長しているのがわかる

1 情報の記録(BC6000以前〜BC600)
 われわれはどのように情報を記録し、伝達しはじめたのか。
2 情報の分岐(BC600〜999)
 経典と写本と図書館が、古代世界のデータベースを準備する。
3 情報と物語(1000〜1599)
 航海術と印刷術は、情報文化の表現を多様に変えていく。
4 技術と情報(1600〜1839)
 産業革命が社会と技術を近づけ、人々の世界観を変質させる。
5 情報の拡大(1840〜1899)
 資本と労働が対立し、世界は激しい情報の多様化をおこす。
6 戦争と情報(1900〜1939)
 宗教は後退し、資本の矛盾が情報文化に辛い試練を迫る。
7 情報の文化(1940〜1989)
 環境危機をかかえたグローバル・コミュニケーションの時代へ。
8 情報の文明(1990〜2029)
 情報の多様化、大量化、高速化が築く新たな文明の姿。

今回の新版には1996年~2020年の年表などが加えられていて
まさにここ15年の「情報の文明」を
年表を見ながら振り返っている
もちろんその最終ページは2020年で
「緊急事態宣言」「新型コロナウイルス」
「テレワーク拡大」「五輪延期」「香港国家安全法」
などといった項目が記載されている

次の『情報の歴史』が15年後に刊行されるとすると
その2036年だがその頃から過去の15年を
年ごとの同時代年表で見ると
どんな景色が見えてくるのだろうか
そんなことを思ったりもするが

この『情報の歴史』を見ながら思うのは
記載されている情報の関係性云々以上に
そこに記載されていない背景にある
情報の奥にあるもののことだ
ある意味ではそのことを読み取ることが
この本のいちばんの生きた活用の仕方なのかもしれない

さらにいえば「情報」ではなく「精神」の歴史が
「世界同時年表」として書かれるとしたらどうだろう
おそらくそれこそが人類のかけがえのない
見えない歴史とも言えるのかもしれない
たとえそれが「愚行の歴史」としてあらわれているとしても

■松岡正剛監修 編集工学研究所&イシス編集学校構成
 『情報の歴史21』
 (編集工学研究所 2021.4)

「いよいよ『情報の歴史』最新版を刊行することになった。旧『情報の歴史』が1995年(平成7年)までの出来事しか扱っていない。阪神大震災やオウムのサリン事件がおきた年だから、だいぶん前だ。まだデジタルカメラやPHSが発売されたばかり、タランティーノの『パルプ・フィクション』が公開されたあたりだった。」
「かくてご覧の通りに、2020年ぎりぎりまで入れることになったので、21世紀の流れを追い、2021年春に刊行するということを記念して『情報の歴史21』と銘打つことにした。サブタイトルは「象形文字から仮想現実まで」に変更した。これまでエディトリアル・デザインを一手に引き受けてくれた戸田ツトム君が病没したので、若い穂積清明君が表まわりから細部までを手がけた。
 つくりあげてみると、1996年からの4半世紀は、たいそう重要な変貌を象徴していた。たとえばマクロなところでいえば、スーパーカミオカンデがニュートリノ振動を発見し、ビッグバン以前のヒッグス粒子のアリバイがわかってきた。環境問題ではほぼあらゆる領域でレッドカードが出続けていた。ミクロなところではゲノム編集の技術が進歩して、iPS細胞(万能細胞)の活用などが見えてきたし、そのぶんSARSから新型コロナウイルスまで、クローン羊から狂牛病・鳥インフルエンザまで、いずれも「見えない情報現象」が“見える化”をおこしていた。ミドルウェアの動向でも「うつ」や「いじめ」、あるいはPTSDやLGBTQといった、それまで内面にどっぷり沈んでいた微妙な経緯が次々に“見える化”に向かって浮上してきた。そういう4半世紀だった。
 しかし他方では、あまりにマネーゲーム寄りのグローバリズムが社会と市場に駆動して、ほとんどの組織が(企業から大学まで)成長神話とコンプライアンスにがんじがらめになっていた4半世紀でもあった。金融工学がもたらしたリーマンショックに代表される出来事は、アントロポセンのもうひとつの過剰を物語っていたと言わざるをえない。大量の「難民」が大移動することになったのも、過剰と欠乏が極端に非対称になってたからだった。
 歴史の展開にはそこで想定できていたことがおこることもあれば、とうてい思いもつかないこともおこる。私のばあいは、たとえばAIがディープラーニングを得意にし、3Dプリンターやドローンや美容整形が台頭するだろうことはなんとなく予想していたけれど、日々のツイッターを大統領が政策のリークに使ったり、二次元少女に「萌える」日本男児が出てくるとはまったく思ってもみなかった。けれども、そうした出来事を含め、歴史的現在にいながら大小の事件や現象を世界同時のリズムを刻みつつ克明に並べていく作業は、なんとも得がたい「世界情報の観相学」ともいうべきパースペクティブを
もたらしてくれるはずなのである。
 本書の初版本は、1985年に電電公社がNTTに生まれ変わり、電話100年がやってきたのを記念して、設立間もないNTTに生まれ変わり出版から刊行されたプレミアム本だったが。私がこの企画を組み上げたときは、まだ「情報」という概念が統合力をもっていたかった頃で、それゆえ何をどうするか、取捨選択しながら数千年にわたる歴史を「情報アイテムだけで編集してみる」という作業が、とても新鮮だった。それがいまでは、情報が関与しないものなど、どこにもないほどだ。脳もウイルスも、資本も政治も、ポップカルチャーもアートも、情報まみれになった。
 情報まみれどころではない。ビッグデータはゴミのようにたまり、工業製品の大半にICTが押し寄せ、ほぼすべての消費生活と医療生活がIDをともなう情報システムの一部になっていったのだ。以上のこと、本書の25年分のクロニクルから大胆な察知を試みてもらいたい。」

「原始古代から産業革命をへて電視ネットワークに及んだ「情報の歴史」全般を通して眺めてみると、いったい情報文化というものが何によってどのように編集されてきたのか、そこにいくつかの画期があったことに気がつく。5点に絞って説明しておきたい。
 第1には、文字と記号が出現したことが大きかった。声と視覚と接触によるコミュニケーションに満足できていた社会が、文字をともなう言語によって情報を記録し、交換し、読み書きできるようになったことは、その後の長きにわたる情報文化の土台を築くものとして特筆できる。もしも文字と記号がなかったら、その後のタイプライターもワープロもパソコンもできなかったのである。おそらくプログラミング言語もヒトゲノムの解析もセキュリティ技術もできなかったであろう。
 第2に、物語という様式をつくりあげたことが大きい。ストーリーやプロットがあって、そこにキャラクター(登場人物)やナレーター(語り部)が加わるという物語構造のフォーマットには、どんな情報が組み合わされた事件や現象であっても、それを人々が斉しく共有するためのまことに有効な情報保存様式が発現していたのである。物語がなかったら、小説から演劇やオペラや映画はもちろん。マンガやテレビドラマも、スポーツの実況中継も30秒のCMも生まれなかったはずである。
 第3に、活版印刷と写真技術と録音技術が登場したことが大きい。ここにコピーマシンを加えればすぐわかるように、これらの技術は情報を大量に自動複製するという革命をもたらした。しかもこのことは、生命系がDNAなどによって自己複製を“発明”したことを人工的に継承したものでもあって、情報本来の「複製と再生」という潜在性を引き出すものとなったのだった。それとともにこれらの技術は、のちにマルチメディアとかニューメディアとかICTとかよばれるような「言語と音声と映像とを同期させる可能性」をも孕んでいた。
 最近では、これらは「コピペ」という出店を広げに広げるようになった。ベンヤミンが「複製」を問題視していたことなど、いまやすっかり昔日の懸念になたつぃまった。
 第4には、情報の記録媒体として「四角形」という形状を活躍させたことが、かなり大きい。たいへん不思議なことだろうが、われわれはノートも本も、絵画も写真も、フィルムもプリントも映像スクリーンも、テレビもコンピュータ画面も、すべて四角形に収めて作成し、流通させ、鑑賞しあってきたのである。これは建築物がウィトルウィウスのこかた矩形をユニットにしたこと、窓とタブローを同一視できたこと、われわれが暮らしたり仕事をしたりするスペース(部屋)が四角形で、家具の大半を矩形にしたことにもつながることで、情報のすべては四角形をめざしてフォーマット化されることを望むようになったのだ。いまはそのすべてが四角形(スクウェア)なスマホで容易に覗けるようになっている。ところが、社会のほうはスクウェアではなく、ひたすら流動化(リキッド化)をおこすようになってきた。なんということだろう。
 第5には、ほとんどの計算においては十進法が、電子処理のもとでは二進法がそれぞれ君臨したことが、そうとう大きかった。ふつうはこれを、アナログにおける十進法、デジタルにおける二進法というふうに理解しているが、私はここにはリアルな脱進装置とヴァーチャルな脱進システムとそれぞれに併用できる情報社会が確立していったのだと見ている。その確立にあたっては、ニュートンとライプニッツの微積分法と、ブール代数の応用とチューリング・マシンの構想が最大の寄与をもたらした。けれども現状のデジタル社会では、こうした恩恵の意味など一顧だにしないですむように、すべてがICT化され、クラウド化されている。
 このように「情報の歴史」の未曾有の展開にあたっては、これを支える技法と様式がさまざまに与り、相互に鍵と鍵穴を求めあうかのように結びついてきたのだった。
 とはいえ、以上のような見方だけで「情報の歴史」が成立するわけではない。一方で、ここには人類の「観念と表象の歴史」というものがずっと併走してきたのである。そこにゲーテから大友克洋までの、ターナーから椎名林檎までの、世阿弥からウォシャウスキー兄弟(姉妹)までの、つまりはアルタミラの洞窟から仮想現実空間までの、メディエートされたコンテンツというものがずらっと積層してきたのだった。
 これらにはまた、プラトンから宮崎駿におよぶ「思いの丈」(表現への恋)というものが重なっているとも言わなければならない。私は『情報の歴史』初版本を膨大な情報事項の各国同時表示とジャンル同時表示というフォーマットによって構成することで成立させてはみたが、それを通して訴えたかったのは、この人類のやむにやまれぬ「思いの丈」がどういうものかということだった。それらはめくるめく著作と作品の変遷をへて、どんな錯綜をも辞さない相互重畳の光景として、古来このかたまったく色褪せずにわれわれの前に表示されたままなのだ。ウンベルト・エーコはこう言った。「世界中のどんな現象にも共通しているのは、ただひとつ、情報である」と。本書はそこをもう一度問い直すものである。」

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