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ピーター・シス 『ピーター・シスの闇と夢』

☆mediopos2621  2022.1.19

本書は「ピーター・シスの闇と夢」展の図録を兼ね
(2021年から練馬区立美術館、伊丹市美術館などで開催)
出品作品をもとに書籍として編集・制作されたもの

ピーター・シス(1949–)はチェコスロヴァキアに生まれ
自由を求めてアメリカに亡命した絵本作家で
国際的な評価を得ているが
個人的にはこの本ではじめて
ピーター・シスについてまとまって知ることになった

チェコの厳しく重い政治や歴史を
実感としてイメージするのは難しいが
これまでチェコやプラハについてもっていたイメージを
本書を通じて更新することもできたように思える

本書にはシスの絵本の代表作でもある
『三つの金の鍵 — 魔法のプラハ』の訳者・柴田元幸とシスの
特別対談も収録されているのも興味深く
最初にチェコスロヴァキアの芸術の特徴などについて
語られているところを引用紹介してみた

アメリカから見ると
東欧のプラハ・クラクフ・ブダペスト・ウィーンなどは
同じようにみえてしまうけれども
その出身者の眼線からすれば
それぞれのわずかな違いや
街特有の美学があることがわかるという

プラハの街については
「どこか不条理で、場の暗さのようなものを抱えてい」る
そんな特有の感覚がある

チェコでは知性に訴えるスタイルの
ストーリーテリングがなされてきたといい
色彩でいえば
樹木や風景を描く時に使う特別な緑色があるそうだ

またプラハには人形劇の伝統があり
ポーランドにくらべてこじんまりとした国であるため
人形劇団が各地を回って
さまざまなストーリーを演じるような
中世的なところがあったというが
その人形劇がやがては人形劇映画にアニメーションに
そしてイラストへと発展していった

さてシスのアメリカへの亡命にも関係しているのだが
シスは当時のチェコの現状に対する反発として
「周りで起きていたことに逆らって活動」しはじめたといい
「もしすべてが自由だったら、
逆に自分の居場所を見つけるのが難し」かったのではともいう

そしてアメリカに渡ったシスは
外から見えていたアメリカの自由に見える世界も
決してそうではなく
「世の中は実はとても複雑であると」気づいた

自由を求めるのは
自由を制限されているからでもあるが

そのように
光を求めるのは
そこに闇があるからでもあり
善を求めるのは
そこに悪があるからでもあり
夢やユーモアもまた
厳しい現実ゆえにこそ生まれる

チェコの影響を受けアメリカの鏡のもとに
さまざまなことを受け止めたシスの絵本の世界には
「いま・ここを生きることと、
ここではないどこかを夢見ること」という
そんな「闇と夢」がさまざまに描かれている

わたしたちの内にもあるそうした「闇と夢」を
照らしてみるという意味でも
本書はその鏡となってもくれる

そしてじぶんの置かれている状況のなかで
じぶんはどんな自由を求め
そこになにを投影しているのかなど
問い直すこともできるのではないだろうか

■ピーター・シス 『ピーター・シスの闇と夢』
 (国書刊行会 2021/10)

(本書の紹介文より)

「重い歴史と、軽やかな想像力。
厳しい現実と、飄々としたユーモア。
いま・ここを生きることと、ここではないどこかを夢見ること。
拮抗する要素が豊かに高めあい、美しい絵物語に結実する。
ようこそ、ピーター・シスの闇と夢の世界へ。
―柴田元幸」

「共産党統治下のチェコスロヴァキア(現チェコ共和国)に生まれ、自由を求めてアメリカに亡命した絵本作家、ピーター・シス(1949– )。『三つの金の鍵ー魔法のプラハ』や『かべー鉄のカーテンのむこうに育って』の代表作をはじめ、幼い子どもたちへ向けた絵本、広い世界を旅した英雄への憧れを込めた物語、ダーウィンやガリレオなど抑圧に屈することなく意志を貫いた偉人たちの伝記絵本など、繊細で詩的な表現で人々を魅了する。世に送りだした30冊以上の絵本は、国際アンデルセン賞や、三度のコールデコット・オナー賞など、数々の絵本賞も受賞している。
本書は、絵本原画をはじめとして、国際的な評価を得たアニメーションの原画、新聞雑誌の挿絵、地下鉄や空港など公共の場のためのアートプロジェクトなど、シスの作品を幅広く収録。影から光へとたどってきたシスが人生をかけてつむいだ、闇と夢が織りなす作品たちを紹介する。」

(ピーター・シス 巻頭言 (翻訳:柴田元幸)より)

「古来、旅人は村や城を訪れ、焚き火を囲む人たちに物語を語りました。
土地を離れられない人々の想像のなかに、世界の絵を描いてみせたのです。
そうやって私たちはこの世界のことを知ります。

どの子どもたちにもこの能力、この可能性があります。
自分の作ったアートで、みんな信じられないような物語を語ることができます。
人生が進んでいくとともに、大半はこの才能を置き去りにしていきます。
私は賢明な老人たちの物語を聴いて、それに添える絵を作りながら育ちました。

これこそ私の秘密の庭だと、早いうちからわかりました。
私の記憶のなかにある、さまざまな絵や物語、人生が辛くなったら、ここへ逃げてくればいい。
鍵を持っているのは私わけでした。けれどみんなにも知ってほしかった。
自分の愛する人たちと、特に子どもたちが生まれてからは彼らと、いろんなことを分かちあいたかったのです。
そんなとき、この庭は大いに役に立ってくれました……。

長年にわたって、出版社に植物をどっさり持っていかればいま、
私はこの庭を、細心の注意を払って守っています。

子どもたちは大きくなり、庭はあらゆることをめぐるたぐいの物語で混みあってきました……。
でもそこに行くのに、実は鍵を探す必要もありません。
ペンを、インクに浸すだけでいいんです。そして、想像するんです!」

(「特別対談 ピーター・シス×柴田元幸「闇のプラハへの旅」〜「チェコスロバキアのストーリーテリング」より)

「柴田元幸:『三つの金の鍵 — 魔法のプラハ』を翻訳することになった2003年当時、プラハをめぐるもう一冊の美しい本に出会いました。アンジェロ・マリア・リペリーノの『Magic Prague(魔法の街プラハ)』です。両者とも豊かな歴史の奥行きを感じました。これに似た感覚をヤン・シュヴァンクマイエルなど東欧やヨーロッパの作品に触れる時にも感じます。東欧、中欧をひとからげにしてしまって申し訳ないのですが。

ピーター・シス:プラハで育つと、街に特有の感覚を身につけるようになります。石畳、壁、教会。だからシュヴァンクマイエルのようなアーティストには強い親近感を感じます。ダダ。シュルレアリスムの運動などもそうですね。どこか不条理で、場の暗さのようなものを抱えていて。リペリーノの『魔法の街プラハ』は今でも読み直すことがあります。プラハをめぐるさまざまな物語や哲学が語られているからです。こういうものはなかなか説明が難しい。私はアメリカに行きついたわけですが、アメリカから見ると、プラハ、クラクフ、ブダペスト、ウィーン、大きな歴史の記憶のなかではみな同じに見えてしまう。けれども、この地域の出身者であれば、同じように見える街にもそれぞれ、わずかな違いやその街特有の美学があることがわかるのです。

柴田:チェコスロヴァキアの芸術にはどんな特徴がありますか。

シス:非常に微妙で説明しにくいのですが、敢えていうなら、チェコは傾向として、知性に訴えるスタイルのストーリーテリングをしてきたというところでしょうか。しかしたとえばウィーンのリスベート。ツヴェルガーなどとは大いに通じるものがあると思うし、ポーランドにも友人が沢山いますが、彼らの作品にも似たものを感じます。ハンガリーもしかりです。とはいえ、確かにわずかずつですが違いはあります。例えばアートスクールにいた時ですが、樹木や風景を描く時に使う特別な緑色がありました。その緑はとてもチェコ的でした。ゴシックアートを見ても違いがわかります。チェコのものは他に比べて丸みを帯びているのです。ちょっと田舎っぽさがあるというか。オーストリアはもう少しゲルマン的で、ポーランドはロシアの影響が窺えます。

柴田:素晴らしい人形劇の伝統がプラハで生まれたのも、偶然ではないのでしょうね。

シス:その通りです。人形劇はとても重要な位置を占めています。このアートが発生した要因のひとつには、チェコがこぢんまりした国だということがあります。例えばポーランドはずっと大きな国ですから、劇団が巡回の旅をするんには距離があり過ぎました。人形劇団は各地を回り、殺人などの大事件を扱うストーリーを演じました。時には伝統的なグリム兄弟の話よりずっと残酷な話も面目になり、どこか中世的でした。
劇団が旅をして興業するなかでアートとして磨かれ、この人形劇がやがて人形劇映画となり、アニメーションとなり、イラストへ発展していったのです。そして、カレル・チャペックのようなストーリーテリングのスタイルが生まれました。ここには連続性があります。

柴田:私が翻訳しているアメリカの詩人で、セルビア出身のチャールズ・シミックがいます。
以前、彼がこんなことを言ったのです。「ヒトラーとスターリンは私の旅行案内業者だった」と。つまり、ヒトラーとスターリンがいなかったら彼は今でもずっとセルビアにいただろうということです。これを聞いて、なるほどこれは東欧、中欧ヨーロッパ出身の多くの人に共通して言えることかなと思いました。

シス:そうですね。今振り返ると、現状に対する反発としていろんなことが起きたのだと気づきます。何かをしちゃいけない、こういう絵を描いたら、こういう詩を作ったりしてはいけないと言われたら、逆にやりたい気持ちが湧いてくるものです。やってはいけないからやりたくなる。あの時代を生きた同世代は、アングラ的な活動に向けて創作意欲をそそられていたのです。
私は音楽のポスターを作ったり、ドラムスに絵を描いたりしていました。思うのですが、もしすべてが自由だったら、逆に自分の居場所を見つけるのが難しいのではないでしょうか。私の場合、周りで起きていたことに逆らって活動していた気がします。その後、35歳でアメリカに渡って、アメリカ映画やウッドストック・フェスティバルのドキュメンタリーで見ていた世界そのままだろうと思っていたらそうではなく、世の中は実はとても複雑であると気がつきました。そんなふうに人生から学んできたんです。」

2 三つの金の鍵(表紙)

3 三つの金の鍵−1

4 三つの金の鍵−2

5  かべ Kf0


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