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尼ヶ﨑 彬『利休の黒 美の思想史』

☆mediopos2899  2022.10.25

千利休は大永二年(一五二二年)生まれ
今年二〇二二年は生誕五〇〇年にあたる
その記念として本書『利休の黒』は出版されている

利休にとって「黒」とは何か
利休の考えを知るための史料は乏しいが
著者の尼ヶ崎彬はその真意に迫ろうとする

利休は一五八七年
博多から来た神谷宗湛にこう語っている
「赤は雑なるこころ也、黒は古きこころ也」

そしてその「黒」を
長次郎の黒楽茶碗に見出すことになる

赤は変わりゆく「随縁」の心であり
黒は「こび」ない
そして「偽善」のない「不変」の心

利休は珠光や紹鷗の
核心にあるものを明らめようとし
「偽善」である「軽薄」を排除しようとした

無論「偽善」とは倫理的な有り様だが
それを感性的な美的なもののなかで
「こび」(媚び)の要素をなくすことによって
表そうとしたのだろう

そこには中世の日本における
仏教思想の影響がある

茶の湯という日常世界から脱した
「脱俗」の空間において
色眼鏡を外した覚醒した眼で
世界の真実を見ようとしたのだ

しかもそれを
俗につながる倫理的なもののなかではなく
非日常としての脱俗的な場において
感性的な美を通じて表現した

それは「精神における自由」を
「感性における自由」「美における自由」
へと展開させているとでもいえるだろうか

■尼ヶ﨑 彬『利休の黒 美の思想史』
(尼ヶ崎彬セレクション 花鳥社 2022/7)

(「第10章 利休の黒」〜「4「こび」と「異風」」より)

「ここからは私の推測を含めた仮説を語ることにする。
 利休は革命をやろうとしたわけではなかった。茶の湯の歴史を溯れば、華麗な道具ショーとは異なる一筋の道があるように見えた。知覚は紹鷗が、遠くは珠光がしていたと思われるやり方である。利休はその後継者であろうとした。そのために、それまで漠然としていた珠光や紹鷗の核心にあるものを利休は明確にしようとした。いや、再発見しようとしたのだと言った方が近いかもしれない。
 利休は「軽薄」を排除しようとした。それはロドリゲスのいうように一種の「偽善」であるからだ。だが「偽善」がよくないという判断は人の行為についての倫理的判断であって美的判断ではない。だから「軽薄」か否かという判断を茶室の設計や道具の選択の場面に適用するとき、それを美意識による判断に変換しなければならない。そして倫理的な言葉を感性的な言葉へと翻訳しなければならない。当時、その美的特徴を表す言葉の一つが「こび」(媚び)であった。」

(「第10章 利休の黒」〜「5 利休の理想」より)

「茶の湯において「こび」とは道具について言われる言葉だったようだが、利休は茶会のあらゆる要素から「こび」をなくそうとした。大名たちの社交あるいは権勢誇示のための茶会は仕方ないとして、「数寄」の茶会からは「こび」や「偽善」の要素をなくそうとしたようである。それは客をうわめだけの豪華さや精神を眠らせる快楽で喜ばせることはしないという形であらわれた。」

「そもそも日本の遊宴の歴史は、日常からの脱出のための仕組みを積み重ねたものだった。まず冒頭の式三献の儀礼からして、これは「ハレ」の時間であって、日常とは違うものだという意識をもたらす。だから衣装もこの日のための特別に誂えたりする。合間には主人と客との間で高価な贈物が交換され、能や相撲などの余興があり、いよいよ勝負事などのメインプログラムがあり、その後場所を代えて酒宴となる。酔って日常の秩序を踏み破っても許され、「無礼講」という言葉さえ生まれる。「乱酔乱舞」は遊宴の最後を記述する決まり文句となる。宗教行事としての祝祭の日が「聖」なる時間として「俗」なる世界の秩序から解放される風習は世界的に見られるが、遊宴とはいわば小さな祝祭なのだと言えるだろう。
 けれども中世の日本には、日常世界から脱出するもう一つの方法が提唱された。それは酔うこととは反対に、いわば醒めた眼で世界を見ようというものである。しかも市中にあってふだんは俗世界を生きつつも、私的な時間には「脱俗」の空間にこもり、醒めた眼で世界の真実を見ようというものである。
 この背後には仏教思想がある。それによれば、私たちはふだん色眼鏡で世界を見ており、真の世界を見ていない。色眼鏡とは、私たちが生まれてこのかた頭と身体にたたき込まれてきた世界観である。それは世間を渡る道具としてとても便利であるものの、ほんとうの世界のあり方を見ないで生きてしまうことになる。もし私たちが色眼鏡を外して人や自然や事物を見たらどうなるのか。それは覚醒した眼で世界を見直すということなのだが、そのとき見える世界(真如実相)はじつに感動的なのだそうだ。
 おそらく利休がやろうとしたことは、全ての人と物から肩書や「こび」や「偽善」などの表皮を剥ぎ取って、ありのままの姿となった人や物とあらためて出会ってみるということだったのではないか。そのために「もの」からは由緒といった意味や、感情を操作する要素を排除し、人からもまた貴賤の未分や職業などの付随的意味を排除して、いわば裸の個人として、ただ互いに敬意をいだきつつ相対することを理想としたのではないか。それは日常の社交の場では不可能になことだ。なぜなら日本の伝統では、社交の場では常に相手との身分差を考慮して対応しなければならないから。ただ茶の湯という場だけは特別だ。その短い時間と空間だけは非日常であることが許される。そこでは誰もが日常の「我」を脱ぎ捨てることができる。」

「なぜ利休は黒という色にこだわったのだろう。そのヒントになりそうなのは一五八七年に博多から来た神谷宗湛に語った「赤は雑なるこころ也、黒は古きこころ也」という言葉である。赤はさまざまな心を表し、黒は昔からある心を表すというこの対比は、まさに紹鷗の章で述べた「随縁」と「不変」にあたるだろう。私たちは世の中に花だの波だの多様な色と形を見いだして愉しむ。しかしそれらはすぐに消えてゆく仮の現象であり、その根底には色をもたない存在が常にある。とすれば究極の道具はつい人の眼を捉えるような「こび」た色を持ってはならない。不変の「古きこころ」は黒くある他はない。マットで光を反射しない長次郎の黒楽茶碗はまさにそのような物質であった。利休は紹鷗を偲びつつ、こう思ったのかもしれない。五四歳で死んだ紹鷗が手に入れられなかった「ただ一つの道具」を自分はついに手に入れた、と。」

《目次》

序 「生の術」としての茶道
第1章 日本の奇妙な文化 宣教師の見た「茶の湯」
第2章 「茶の湯」前史 遊宴と貴賤
第3章 婆娑羅と闘茶 「雅」から「数寄」へ
第4章 『山上宗二記』のストーリー 秘伝と禅
第5章 珠光の美意識 「雲間の月」と「藁屋に名馬」
第6章 都市の隠者 「侘び」と「中隠」
第7章 紹鷗の開眼 「不変」と「随縁」
第8章 秀吉のかき回し 茶の湯と政治
第9章 茶道具の誕生と変容 「飾り」と「見立て」
第10章 利休の黒
終章 その後とこれから
/引用文献/参考文献/登場人物略記

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