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ジェシカ・ノーデル『無意識のバイアスを克服する/個人・組織・社会を変えるアプローチ』

☆mediopos3190  2023.8.12

「無意識のバイアスを克服する」ことは
「個人・組織・社会を変えるアプローチ」として
重要なことだ
(本書のタイトルにまさにそう表現されている)

著者はこの問題に10年にわたり取り組み
だれもが大切にされる社会をつくるために
無意識的に偏見によってなされる行動を
わたしたち個人の心と行動のレベルから
変えていくためになにが必要なのかを探っていく

そうした取り組みを
認知科学や社会心理学などの科学的研究や
職場や医療現場・教育の場・警察など
さまざまな現場でのインタビュー等を行いながら
「無意識のバイアス」を変化させるための方法を試みる

著者は「自分でも意図しない無意識のバイアスは、克服できる」
とし本書はそのための「最初の一歩だ」としているが

意識的なバイアスもふくめ
バイアスを克服することは
それぞれの現場における課題を克服する
という意味ではある程度可能な側面があるが
「バイアス」そのものを克服するのは困難かもしれない

というのも
世界という現象は
「差異化」によって生成・展開していくからだ
それぞれの「差異」にはさまざまな様相があり
必ずしも正しいか否かを明確に分けることはできない

それは時代や地域の文化や思想などによって
さまざまな価値づけがなされている

そうした「バイアス」は
それぞれの世界観や倫理観を形成するものでもあるから
それそのものを変えることそのもをも問わざるをえない

しかもバイアスは無意識だけではなく
意図的なバイアスもあり
その意図的なバイアスゆえに生きている存在にとって
それを変えることは極めて根源的なことと関わってくる

本書を読みながら繰り返し思いだしていたのは
夏目漱石の『草枕』冒頭である

「智に働けば角が立つ。情に棹さおさせば流される。
意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

「どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、
詩が生れて、画えが出来る。」

「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」

人は論理や思想といった智だけでも
人情といった情だけでも
意気地といった意志だけでも「住みにくい」

けれど「「人の世を作ったものは」
「向う三軒両隣にちらちらするただの人」である
そこから完全に逃げるわけにもいかない

「バイアス」に
智だけ情だけ意志だけの物差しを当てても
ただ住みにくくなるだけだ

それでそうしたベタな生からの解放のために
芸術といった営為も生まれてくる

私たち一人ひとりのバイアスへの気づきから
個人・組織・社会を変えようとする
本書の試みは切実なまでに重要で現実的なものだが
バイアスかバイアスでないかを
判断する視点には特に意識的である必要がある

地域的文化的背景や宗教的歴史的背景
時代や思想によってつくられる世界観
政治的経済的な要請から
とりわけ科学的と称される組織的な方向づけにより
自明とされる意図的なバイアスも強く存在し
それらの根強さと変化のもとで
バイアスとされるものも様相を変えていくことが
意識される必要がある

ともあれまずもって大切なのは
「ヒコクミン」を公然とつくりだすような
「人でなしの国」に住まなくてもすむように
そうなる原因である「バイアス」から
少しでも自由であることだろう

■ジェシカ・ノーデル(高橋璃子訳)
 『無意識のバイアスを克服する/個人・組織・社会を変えるアプローチ』
 (河出書房新社 2023/5)

(「はじめに」より)

「他人のバイアスを突きつけられるのはつらい。そして自分自身のバイアスに気づかされるのもまた、心がかき乱される体験だ。本書を書く過程で、私自身の誤った思い込みや不適切な反応が徐々に視界に入ってきた。まるで見えないインクで書かれた文字が炙り出されるようだった。
 はじめはそれを認めたくなかった。自分の書いた記事にパターナリズムな想定があると指摘さてると、そんなはずがないと否定した。怒りを感じ、自分を正当化しようとした。「そもそもあのインタビューが拒否されたから、推測するしかなかっただけだ」。否認、怒り、交渉————それは悲哀の過程として知られるものにそっくりだった。私は何を哀しんでいるのだろう。罪のない自分を喪失したことだろうか。エリザベス・キューブラー=ロスが悲哀の5段階のモデルを最初に提示したときに意図されていたのは、誰かの死を受容する過程ではなく、患者が自分の病を受け入れる過程だった。社会の病理にどっぷりと浸かっていた私は、その病とようやく対峙することになったのだ。作家クローディア・ランキンが言うように、自分のたちの持つイメージが過去の誤った考えに毒されている事実を頭では理解できても、心で受け入れるのは難しい。本書に取り掛かる前の私は、理解はしていても腹落ちしていなかったのだと思う。
 この数年のあいだに、私のなかの感情は怒りから好奇心へ、好奇心から謙虚さへ、そして切実な希望へと変化した。バイアスは変えられる、という事実を目の辺りにしてきたからだ。
 本書には、他者への誤った接し方を変えた人たちや、より公正であるためにやり方を変えた組織が出てくる。バイアス行動がどの程度減ったかを示すデータもある。私自身も、いったん立ち止まって自分の言動に気づき、それを光にかざすことができるようになった。またバイアスについて深く知った人たちが、バイアスをなくすための運動に駆り立てられる様子も見てきた。ベン・パレスは2017年に亡くなるまで、科学界のバイアスと闘いつづけた。科学者の評価や助成金における差別を減らすように国立衛生研究所(NIH)やハワード・ヒューズ医療研究所に働きかけ、研究環境と科学の健全な進歩のために力を尽くした。
 生態学に、境界(エッジ)という概念がある。異なる生態系が接する場所のことだ。海と陸が接する塩性湿地や、峡谷を流れる川の河岸地帯。そこは豊かで繁殖に適した場所だ。境界は魚の産卵地となり、渡り鳥の中継地となる。そして人と人が出会う場所にも、一首の境界が生まれる。境界はバイアスが発現する場所であり、危害の可能性に満ちている。しかし同時に、そこはバイアスを阻止できる場所でもある。それまでの思い込みとは異なる見方、行動、関わり方が可能になる場所だ。ふつふつと湧き立つ領域で、何か新しいものが育まれる。洞察、敬意、あまりにも長く顧みられずにいた人間相互の関わり合い。
 リスクは大きい。強い反撥もあるだろう。でも問題は解決可能だ。できることはいくらでもある。
 本書はそのための最初の一歩だ。」

(「第10章 社会の傷を修復する」より)

「個人の考えや気持ちや習慣を変化させるのは、バイアスを変えていくためのひとつの方法だ。もうひとつの道は、すでに見たように、プロセスや構造、組織の文化を変えていくことにある。この両者はもちろん、密接に絡みあっている。人が集まってプロセスや構造や企業文化を作り、そうして作られた文化が今度は人の考えや行動を方向づけていく。
 ただし私たちが影響を受けるのは、所属する組織や集団の文化ではではない。もっと広い文脈で、私たちが日々生きている環境も、人の考えや行動に大きな影響を与えている。」

(「おわりに」より)

「自分でも意図しない無意識のバイアスは、克服できるのだろうか?
 このプロジェクトに取り組もうと思ったのは、答えが知りたかったからだった。
 今ならこう言える。答えは、イエスだ。」

「考え方を変えるのは、けっして楽な道のりではない。どんなに善意に満ちた人でも、つまずきながら進むことになる。それはまた、万能薬でもない。個人のバイアスを減らしたところで、社会の不平等や格差がなくなるわけではないからだ。昔から続く排除、不平等なチャンス、搾取的な経済政策、社会の不当なシステムは、腐敗した基礎の上に立っている。長い歴史を持つ社会の不公正を解消するためには、警察や刑務所の制度改革から経済の立て直しまで、大がかりな構造的変化が必要になるだろう。
 それでも、人が本心から変わることができたなら、それはけっして小さな変化ではない。法律や制度は、人の意識や感情から出てきたものだ。人が制度を作り、人がそれを実行し、人がそれに従う。システムを解体したとしても人の考えは残り、そこから次の制度が作られる。内面の変化をともなわない政治的・社会的なアクションは、そもそもの過ちを生みだした抑圧的で階層的な思考をふたたびなぞるだけに終わるかもしれない。それを避けるためには、自分の心にひそむ有害な思考の癖を解きほぐし、新たな目で相手と自分を見つめると同寺院、人の変容を支えられる文化を作っていく必要があうr。そうやって地道に基礎を固めれば、より大規模で根本的な修復が可能になるはずだ。」

「私たちはおたがいのなかに、おたがいを通じて存在している。私たちの人間性は、他者に人間性を認めるとき初めて可能になるのだ。この真実を通して見たとき、バイアスを終わらせることは単にビジネスの問題ではなくなる。それは文化の問題であり、正義の問題である。私たちは他者のために、そして自分のために、バイアスを終わらせるのだ、
 幻想や否認を手放したとき、私たちはどうなるのだろう?
 私たちは人間になるだろう。信頼できる人になるだろう。
 そして私たちはみんな、自由になるだろう。」

【目次】
はじめに
PART Ⅰ バイアスを理解する
第1章 バイアスの追跡者
第2章 脳は違いをどう見るか
第3章 微小なバイアスの重大な帰結
PART Ⅱ 思考を書き換える
第4章 習慣を断ち切る
第5章 生死を分ける瞬間
第6章 ロス市警のジグソーパズル
PART Ⅲ 新たな場所にとどまる
第7章  不完全な人間のためのデザイン
第8章 多様性の存在証明
第9章  インクルーシブな環境をつくる
第10章 社会の傷を修復する
おわりに
訳者あとがき

◎ジェシカ・ノーデル Jessica Nordell
サイエンスライター、科学・文化ジャーナリスト。バイアスと差別の問題に長年取り組み、ニューヨーク・タイムズ、アトランティック、ニュー・リパブリックほか多数の有名メディアに記事を寄稿。初の著書である本書で、王立協会科学図書賞をはじめ数々の賞にノミネートされた。 本書は世界経済フォーラムで年間ベストブックに挙げられるなど注目を集め、スタートアップ企業から大学や医療機関まで様々な組織でバイアスの問題を解決するために活用されている。ハーバード大学卒業、ウィスコンシン大学マディソン校修士課程修了。ミネソタ在住。

◎高橋璃子 Rico Takahashi
翻訳家。京都大学卒業、ラインワール応用科学大学修士課程修了。カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』、クリステン・R・ゴドシー『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』(共に河出書房新社)、オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』、グレッグ・マキューン『エッセンシャル思考』(共にかんき出版)など訳書多数。

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