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ミヒャエル・エンデ/ヴィーラント・フロイント『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』・ミヒャエル エンデ『だれでもない庭 ― エンデが遺した物語集』

☆mediopos2878  2022.10.4

ミヒャエル・エンデが
三章まで残した物語を書き継ぎ
児童文学作家ヴィーラント・フロイントが
全一六章の物語として完成させ
ドイツで二〇一九年に刊行された作品が
こうして翻訳されて読めるようになった

「悪」と「おそれ」の真の意味を教えてくれる
盗賊騎士ロドリゴ・ラウバインと
少年クニルプスのメルヘン

すでにエンデの残した三章までの物語は
ロマン・ホッケ編・田村都志夫訳で二〇〇二年に
『だれでもない庭 ― エンデが遺した物語集』に
収録されているがその物語はまだ序章

どんな物語として展開されるかは未完のまま
エンデの心のなかにしか存在しなくなっていた

こうして書き継がれ刊行された物語は
エンデの意図をどれだけ反映できているだろうか
少しばかり心配もしながら読みすすめたが
それは杞憂だったようだ
(エンデのじっさいの意図がどうだったのかは
永遠の謎のままでしかないけれど)

しかも訳書にはこのmeioposでもとりあげた
エンデ『鏡のなかの鏡——迷宮——』へのオマージュ作
『ENDE』の作者junaidaの挿画も
60点以上添えられている贅沢な一冊だ

本作のテーマはおそらく「悪」と「おそれ」

はじめはまったく「おそれ」を知らずにいた
主人公の少年クニルプスはそれゆえに「悪」を知らない
ということは「善」もまた知らない
そしてやがて「おそれ」を知ることによって
「善」と「悪」を知ることになる
そして「善」のためにこそ
「勇気」が必要であることを知る

おそらくエンデが実際にこの物語を展開させていたとしたら
そこらへんのテーマ展開がもう少し
陰影のある両義性をふくませたものに
なっていたのかもしれないけれど・・・

そんなことをいろいろと想像してみるのも
本書を読みすすめる楽しみのひとつになるのかもしれない

■ミヒャエル・エンデ/ヴィーラント・フロイント(木本栄訳/junaida絵)
 『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』
 (小学館 2022/7)
■ミヒャエル エンデ(ロマン・ホッケ編・田村都志夫訳)
 『だれでもない庭 ― エンデが遺した物語集』
 (岩波書店 2002/4)

(『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス 13 盗賊騎士と従者見習い、まちがった場所で正しいことをいう』より)

「クニルプスはさらに興奮したようにつづけた・
「それでぼくは思ったんあだ。きっと、ちゃんとおそれを知っている騎士こそ、ほんものの、一人前の騎士なんだって。おそれは。善と悪を区別することを教えてくれるから。どうやってそれを乗りこえたらいいのか、っていう勇気についても教えてくれる。そうでしょ、ロディおじさん? 悪のためには勇気はいらない。勇気は、善のためだけに必要なんだ、って」」

(『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』〜「訳者あとがき」より)

「ほんとうは心優しくこわがり屋なのに、表向きは世にもおそろしい盗賊騎士に見せかけているロドリゴ・ラウバイン。そんな彼のもとへ、こわいもの知らずの少年クニルプスが従者にしてくれとおしかけてきらのだから、さあこまった! ろ、はじまるこの物語。ところが、『モモ』や『はてしない物語』などで世界的に知られ、日本とも縁が深かったあのミヒャエル・エンデは、三章まで書いたきり作品を完成させることなく、あまりにもはやく世を去ってしまった。
 のちに遺稿集『Der Niemandsgarten』(邦訳『だれでもない庭 ― エンデが遺した物語集』、岩波書店)に収録されることになるこの断片を、エンデの長年の編集者であり友人でもあったロマン・ホッケが発見したとき、これほど完成度の高い作品が存在していたことにおどろいたという。晩年に書かれたこの物語は、手書きの草稿をもとにきちんとタイプして清書されており、作者が念入りに推敲を重ねた文章であることがうかがえた。ただ。エンデは物語性だけではなく、作品により深い意味をあたえる理念をもとめていた。本作品でも、テーマとなっている「悪」や「おそれ」が真に何を意味するかについてずっと思索していたものの、理念(イデー)が見つからなかったために未完のまま残されたのだろう、とホッケは述べている。(Zeit誌インタビューより)つねにじっくりと納得するまで考え、執筆に五年も十年もかけるエンデにもっと時間があたえられていたら、どんなふうに書きあげただろうか。
 それがもはや本人の手ではかなわないかわりに、二十余年後に完成させたのがヴィーラント・フロイントである。彼は十歳のときに『はてしない物語』を夢中になって読んで以来、その読書体験が人生の指針になり、やがて自らも児童文学作家への道を選んだ。フロイントは、エンデが語り始めたストーリーを引きつぐという難題に着手するにあたり、ロドリゴとクニルプス以外の重要な登場人物に、馬車のなかにぶらさがりあやつり人形————姫、王、魔法使い、馬、竜や騎士————をエンデからすでにあたえられた顔ぶれとして生かしたという。そうしてしっかり者の姫、メランコリックな王や邪悪な魔術師など、個性的なキャラクターたちがそろった。また、物語の行方をおって飛びまわるオウムのソクラテスは、次の展開を模索しながら執筆したフロイント自身と重なるのだという。かくして。こわいもの知らずの少年とこわがり屋の盗賊騎士はふたたび動きだしたのである。ちなみに、言葉遊びを好んだエンデがつけた主役たちの名前だが、ラウバイン(Raubein)は粗野な人や無骨者を、クニルプス(Knirps)は少年やちびっ子を意味する。」

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