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『萩原朔太郎大全』/『萩原朔太郎全集〈第1巻〉』/松浦寿輝『詩の波 詩の岸辺』

☆mediopos-3112  2023.5.26

二〇二二年は
口語自由詩の確立者であり
『月に吠える』や『青猫』といった詩集などで知られる
萩原朔太郎没後八〇年ということで
(一八八六年生誕/一九四二年没する)
昨年『萩原朔太郎大全』なるものが編集されている

「朔太郎と出会う」「朔太郎を読む」
「朔太郎を知る」「テーマで読む朔太郎」
「朔太郎を深く知る」「資料編」からなり
萩原朔太郎について概観ができるものとなっているが

そのなかで「はじめに」を詩人・作家の松浦寿輝が
朔太郎大全実行委員会の編者の一人として書いている

松浦寿輝は一〇年ほど前に
『詩の波 詩の岸辺』という
現代詩に関する講演や講義を刊行しているが
そのなかにも「萩原朔太郎の天才」という章があり

そこで「萩原朔太郎こそまさに、
わたしがほとんど最初に出会った詩人」であり、
萩原朔太郎との出会いがあり。そこから
近代詩・現代詩というものに目が開かれた」
そんな重要な詩人として位置づけている

「重要な詩人」であるというのは
松浦寿輝個人としてだけではない
まさに近代詩・現代詩を開いた最重要な詩人としてである

没後八〇年ということもたしかにあるのだろうが
松浦寿輝が萩原朔太郎をクローズアップしようとしたのは

『詩の波 詩の岸辺』の帯に
「詩はなくなってしまうのか」
という危機感が表現されているように
短歌や俳句がそれなりの仕方で
定着している現状とは異なり
孤立状態にあるともいえる
「現代詩」を「啓蒙」する必要がある
という切なる思いからでもあるだろう

なぜ現代詩は読まれないのか
あるいは現代詩は理解されずにいるのか

現代詩の歴史は百年そこそこしかないというのもあるが
五・七の定型にとらわれない
伝統的な抒情の意識にもレトリックにも寄りかからない
という「「ない」で定義される」ような
「否定的・消極的な徴」しかもたない
ということがあり
それが「現代詩というジャンルそれ自体に根ざした
「業」みたいなもの」ともなっている

「自由律、自由詩で、形式から解放され」はするものの
「何でもやっていいんだよというふうに言われると、
じゃあ何をやっていいのかわからない、
あるいは何をやってみても、単なる言葉の切れ端の
無秩序な垂れ流しみたいなことでしかない
というようなことになったりもする」

そして「詩が詩であること」を保証するものが
「行分けという形式的指標」しかなくなってしまう

しかも行分け形式をもたない詩もあるわけで
詩か詩じゃないかという明確な差異はなく
「詩を読む」ということそのものが
よくわからないというのが現実であり
そのためにますます
現代詩は読まれなくなってしまっているのだろう

現代詩に限らず
俳句や短歌そして小説さらには古文や漢文など
教育上「文学国語」とされ
「論理国語」とに分けられてしまった
日本語という現状があるが

おそらくそのように分けられたのは
「役に立つ」という実用的な日本語か
「役に立たない」といういわば美的機能をもった日本語か
ということだったのではないかと思われる

「役に立つ」言葉がAIに代替され得るのだとしたら
それしか学ばない日本語話者は
美的機能を持った言葉を理解できない存在と化してしまう

その意味では
現代詩というのは
そんな美的機能の可能性を最大限駆使し得るジャンルであり
日本語がますます貧困になりつつある今
それを阻止するためにはまず
現代詩のはじまりをつくったとさえいえる
萩原朔太郎へと目を向けることがきっかけになるのではないか

でき得ればそこからさらに現代詩の困難な営為へと
理解が深まっていくよう方向づけられれば・・・

■朔太郎大全実行委員会 (編)『萩原朔太郎大全』(春陽堂書店 2022/11)
■松浦寿輝『詩の波 詩の岸辺』(五柳叢書 五柳書院 2013/11)
■『萩原朔太郎全集〈第1巻〉』(新潮社 昭和五〇年二月 八刷)

(『萩原朔太郎大全』〜松浦寿輝「はじめに 宿命の詩人」より)

「  そうだ! 宿命からの闘争だ! (「絶望の逃走」)

 萩原朔太郎の宿命とは何だったのか。近代と伝統のはざま、「都会」と「田舎」のはざま、西欧と日本のはざま、無意識と理性のはざま、魂と身体の、聖性と賤性の、美徳と悪徳のはざま、そうしたあまたの二元論のはざまで引き裂かれ、そのどちらの項にも与することができないまま、飢餓に耐えかねて自分自身の足を食べずにはいられない蛸のように、それらのディレンマじたいを糧として詩を書きつづけなければならなかったことだ。

 みずから選んだ途ではなかった。それは悲運によって、あるいは恩寵によって、わが国の近代史の、そして近代詩史の、ある決定的な一点に立つことになった朔太郎が、否応なしに引き受けなければならなかった宿命である。もちろん彼はそこから「逃走」したかった。そんな宿命をやすやすと担いきることのできるような膂力の持ち主など、誰一人いりはずもないからだ。しかし、この逃走はむろん挫折せざるをえない。

   日はすでに暮れようとし
   非常線は張られてしまった
   ・・・
   ああ逃げ道はどこにもない
   おれらは絶望の逃走人だ

 宿命を逆らいようのない天命と思い定め、懼れも疑いもなく唯々諾々とそれに従おうとする者に、宿命を完遂する力はじつはない。宿命を厭悪し恐怖し呪詛し、それから逃れようとする必死の試みに生涯を捧げる者のみが、かえってその宿命の途を果ての果てまで歩き通せる。藝術家の仕事において、宿命はそんな異様な逆説のかたちで立ち現れる。『月に吠える』から『青猫』へ、さらに『氷島』へ、変貌に次ぐ変貌を重ねつづけた朔太郎の詩は、この逆接の、そのつど新しくまためざましい具現の連鎖にほかならない。絶えずよろめきつつ、行き当たりばったりのように遂行された彼の決死の遁走は、後代のわれわれの目に、ただこのひと筋しかなかったとしか思われない。必然的にして宿命的な軌跡を描いていると映る。

 朔太郎からこの宿命のバトンを受け取って走り出す、二一世紀の詩人の出現を言祝ぐ日が、遠からず訪れるに違いない。わたしは密かにそう信じている。」

(松浦寿輝『詩の波 詩の岸辺』〜「Ⅰ 現代詩————その自由と困難」(講演)より)

「日本では俳句、短歌という非常に有力な詩の器が、ずっとまだ生き延びていて、たくさんの愛好者がおり、またご存じのように新聞などでも毎週のように、俳句や短歌の投稿欄というものがあって、賑わっているわけです。さらに天皇も短歌を詠むというような古来の慣習もあり、伝統的な詩型としての五七五、あるいは五七五七七という形が今日でもなお広く愛好され、隆盛を極めているという状況があるわけです。

 実は現代詩という場合の「現代」とは何かと言いますと、とりあえず短歌でも俳句でもない詩を指しているというふうにご理解いただければいいと思います。つまり五七五のリズムに囚われずに詩を書こうという意識を、日本の詩人が、歴史上のある時点で持ち始めたわけです。これはかなり新しい出来事であって、ほんのここ一世紀ほどのことにすぎません。だいたいのところ一八八〇年代ぐらいからというふうに言っていいかもしれません。では五七五でなく、どういう詩なのかと言いますと、これはわたし自身の書いてきた詩もそうなんですけれども、「ひさかたのひかりのどけきはるのひに」というような。日本語を母語とする者であれば誰の耳にも快く響く五七のリズムを使わずに、「別の」リズム、「別の」メロディー、「別の」音楽を日本語で作ることはできないのかと、そういう模索から始まったものが現代詩であるわけです。」

「これはほんのまだ百年ぐらいの歴史しか経っていないわけです。つまり、現代詩というのは非常に新しい詩のジャンルなんですね。万葉集以来の日本の定型詩の歴史から考えると、ほんの生まれたばかりの詩のジャンルと言っていい。ともあれ、この詩のジャンルが生まれたことで、わたしも詩を書くので、われわれという言いかたをさせていただきますけれども、われわれ日本の詩人が非常な自由を獲得したということは間違いのない事実です。では、この「自由」とはいったいどのようなものなのか。

 まず、形式の桎梏からの自由ですね。五七五という音律に言葉をいちいち当て嵌めなくてもいいんだ、と。
(・・・)
 しかし、もっと重要なのは、こうした音律の自由というものが、精神の解放と結びついていたということです。」

「というわけで、伝統の桎梏から解放されて何でも自由に語れるようになった、五七の音律の規範から解放され封建的なしがらみからも解放されて、何でも書けるようになったとしても、しかしそれがはたして良いことなのか悪いことなのか、これは一概には言えないことでもあるわけです。実はそのあたりに、今この現代詩というジャンルが陥っている困難と言いますか、袋小路みたいな状況がある。五七から離れた詩というのはなかなかやはりうまく逝かないのかなあというようなペシミズム、あるいは絶望感みたいなものが、自由律の詩を書いている詩人たちの間にそこはかとなく漂ったりしているというのが、実は現在の状況なんですね。

 ここには一首の逆接があるわけで、自由律、自由詩で、形式から解放されるのだと言うけれど、自由になるということは、今まで書けなかったことが何でも書けるようになり、旺盛な文学生産が可能になったかというと、実はそうではない、あまりそうは言えないところがある。これは文学のパラドックスみたいなもので、何でもやっていいんだよというふうに言われると、じゃあ何をやっていいのかわからない、あるいは何をやってみても、単なる言葉の切れ端の無秩序な垂れ流しみたいなことでしかないというようなことになったりもするわけです。そこに非常な困難がある。」

「詩が詩であることを何によって保証されるかというと、これは行分けという形式的指標だけになってくるわけです。

 何でも自由に書いても良いという自由な詩が、かえって一種の閉そく感に追いやられるという逆接があるというお話を、先ほどしたわけですけれども、自由に何でも書いて良いということになると、じゃあ、それが詩であるということは何によって証明されるのか。単に形式的に、ぽきぽきと行が分けられてゆくということしかないんじゃないか。そういうペシミスティックな認識が生まれることにもなるわけです。

(・・・)

 現代詩が生まれた直後から、現代詩を詩として認識するための徴というのは、実は何もなかったわけです。五・七の定型にとらわれない、これがいちばん大きい徴ですね。それから伝統的な抒情の意識にもレトリックにも寄りかからないということもある。しかしこういうのはみんな「ない」で定義される。つまり否定的・消極的な徴でしかない。ポジティヴには現代詩はどう定義されうるのか。単に行分けの言葉で成り立っているという、それだけのことしか言えないのかもしれない————そういうアイロニカルな自嘲というか、徒労感ないし疲労感が、現代詩には、その誕生以来、ずっとまとわりついてきたわけでし。現代詩というジャンルそれ自体に根ざした「業」みたいなものと言ってもいい。」

「ここ百年ほどの日本の現代詩の歴史とは、そういう「引き裂かれ」の歴史だったと言ってもいい。その「引き裂かれ」の中に日本の現代詩人の戦いはあり、その熾烈な闘いは今もって現在進行形で継続しているわけです。」

(松浦寿輝『詩の波 詩の岸辺』〜「Ⅱ 詩をどう読むか」(特別授業)より)

「詩の中でも特に、「日本の現代詩は難しい」という通念のようなものがあります。皆さんの中にも、おそらく詩になじみのある方は少ないのではないでしょうか。しかし、わたしが思うに、詩は難解だとかわかりやすいだとか、そんなことは別に何でもないんで、単にそてを読み、読者一人ひとりの好みや感性に基づいてそこから何かを受け取ればいいだけのことなのです。「わかる」必要などないのです。詩の読み方に正解・不正解なんてありません。」

「詩の言葉はなんの役に立つのでしょうか。実用的な視点でいえば、なんの役にも立ちません。言葉の最も大きな実用的機能は、いうまでもなくコミュニケーションです。なんらかのメッセージを伝達し、それが意味を伴って相手に届けばそれで言葉の役割は終わります。ただし、言葉の機能はそれだけではない。

 役に立つ、立たないということとは別に、人間に喜びをもたらす、あるいは悲しみや怒り、複雑な感情をかき立てるための言葉というものがあります。意味を伝達するだけではなく、言葉が人間の鑑賞に堪え得る、ある「美しい形態」をとってそこに存在し、紙の上に、記憶の中に、心のひだの間にとどまり続けるということがあるわけです。繰り返し眺めたり、読んだり、口ずさんだりすることで、そのときの年齢に応じて読者の心にさまざまなエモーションをかき立てる。そういう言葉こそが詩なのだと思います。

 日本の場合、詩といえば江戸時代までは短歌と俳句でした。ただし、五・七・五でつくり出された日本の詩歌は、十七文字や三十一文字で完結するほんの短い詩型でしかない。ですから、そこに盛り込める内容には限界があります。微妙なニュアンスを持つ思いや高度に抽象的な思考を表現することも不可能です。しかし、近代に入って社会が複雑化し、人々の心にさまざまな陰影を伴った思考や感情が生まれるようになったとき、五・七・五の形式にとらわれない自由律が書かれはじめるようになったのです。」

「現在、情報空間はめまぐるしい勢いで進化しています。そういった意味では、詩は大変古風な、いわば次代に乗り遅れたジャンルかもしれません。しかし、やはり紙とペンの触覚的な触れ合いこそが、詩の持つ最終的な魅力であり、日本語の一つ一つの言葉が持つ色や匂いにじかに触れるという体験を可能にしてくれるものが詩だと思うのです。その体験がなくなってしまうと、日本語という言語自体がどんどんやせ細り、貧しいものになっていってしまうのではないか。そういう意味で、若い皆さんにも、ちょっと縁遠い感じがするかもしれませんが、何十年も前に書かれた近代詩・現代詩の名作にぜひ親しんでいただきたいと思います。」

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