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金井真紀『世界はフムフムで満ちている/ 達人観察図鑑』

☆mediopos2966  2022.12.31

「仕事の達人」の話
それを「フムフム」と聞く著者

海女・石工・競馬評論家・コンビニ店長・左官
百貨店の販売員・ピアノ調律師などなど

「長時間のインタビューからは
こぼれ落ちてしまいそうな──
話を掬い取って煮詰めた、濃厚なダシ」のような

八十八+十二(文庫化で十二加えられている)の
百の仕事とその人生観がじんわりと沁みてくる

読みながらじぶんは
四十年以上同じ仕事をしてきて
「仕事の達人」といえるほどのことを
してきただろうかと
ふりかえってもみるのだが
「フムフム」と聞いてもらえるような話は
おそらくできそうもないのだが・・・

収録されている達人の話で
思わず共感してしまうのは
「凱旋門こさえた石工の名前なんか残ってない」とか
「個性を殺すという鍛錬」とか
「トラブルこそ大事なの」とかいった言葉だ

おそらくどんな仕事も
「私」がしているにもかかわらず
そこに「私が」を過度に持ち込まず
しかも同時に意識的であり責任を持とうとすることで
はじめて成り立っていく

そしてそういう人たちが世界に満ちているから
「戦争は起こり、差別や分断が広まり、
世界はどんどん生きづらい場になってゆく」なかでも
なんとかかろうじてまわっている・・・・・・

なんだかんだと長く仕事をしてきて
しだいに畏敬を感じる仕事の多くが
職人的な方であることに気づくようになった
長い時間をかけながら
少しずつ技術を身につけてきた達人たち

おそらくそうしたなかでしか
ほんとうの「ポエジー」も
生まれてこないだろうと思えるようになった

世界にいまも満ちている
そんな「フムフム」に
これまで以上に気づけますように

■金井真紀『世界はフムフムで満ちている/ 達人観察図鑑』
 (ちくま文庫 筑摩書房 2022/6)

(「石工」より)

 親指が太い。
 人差し指も太い。
 中指も薬指も、あぁ、小指まで。
 手に視線を注いだまま、老石工の話を聞く。

 十五で石工の見習になってな。
 同級生はみんなきれいな服着て高校行っとるのに、
 わしだけ石の粉まみれ、手はヒビで血だらけや。
 建築現場では、石工がいちばん下に見られてな。
 こさえとるもんも、建築の土台とか玄関石とか、
 みんなに踏まれとるとこやしな。

 なんか、もう生きてんのいらんな、思て。
 ひとりで大阪空港へ行ったんや。
 窓口で「海外に行きたいんです」ってな。

 その日から必死で小遣いを貯め、
 十九歳でパリ、凱旋門の下に立った。

 凱旋門こさえた石工の名前なんか残ってない。
 でもその鑿の跡を見ると、自慢しとるんがわしにはわかった。
 わしがしたいんはこういう仕事じゃ、思た。

 それから半世紀経て。
 あぁ、石工の両の手の十指。太いなぁ。」

(「絵画修復師」より)

「静寂のアトリエ。
 ひとり、イーゼルに立てかけた絵と向き合う。
 手には筆。
 「そのとき、個性を殺すの。
 描くって意識を
 もたないように気をつけるの。
 ボクは絵の作者ではないから」
 あくまで汚れをとる、欠損部を補う、
 というつもりで筆を入れていく。

 個性を殺すという鍛錬。
 その先にあるのは————
 「とうの昔に死んだ作者と出会えちゃうの。
 あぁ、これは
 戦意高揚のために描かされた絵で
 ほんとは描きたくなかったんだね、とか。
 この線が決まったときは
 うれしかっただろうね、とか。
 なんだかいろいろ話してますよ、いつも」

(文庫版増補 「障害者ヘルパー」より)

「人との距離が近づいていくときの
 温かい気持ちを多くの人が知っているだろう。
 相手が笑ってくれるのがうれしい。
 自分も捨てたもんじゃないぜと思う。
 生きている実感がキラキラと降り注ぐ、
 ああだけど、近づけば近づくほど、かならず!
 違和感がにじみ出てくる。
 「友だちや家族だって合わないことあるんだから、
 障害者ろ介助者なんて、そりゃあもう」
 その人は、なぜかうれしそうに言った。

 トラブルを回避するには、どうしたらいいんだろう?
 ちょっと距離を置いてみる?
 だれかに相談する?

 障害者に関わる仕事を四十年以上やってきた
 その人の肝の座り方は別格だった。
 「トラブルこそ大事なの。
 人と人とがつきあっていくには、
 トラブルが起きてやっと本当のことがわかる。
 トラブルが起きないと
 いいことも悪いことも表面化しないでしょ」
 はー・・・・・・、にんげんの達人・・・・・・・」

(「単行本あとがき」より)

「自分の持ち場を丁寧に照らしている達人に会うと、うっとりする。腹立たしいこと、嘆かわしいことの多いこの世界だけど、捨てたもんじゃないぜという気持ちになる。

 本書に収めた八十八の断片は、そのささやかな記録である。テレビ番組や雑誌の取材でお会いした達人の忘れがたい風景もあれば、身のまわりの知人から採取したひとことが残しておきたくて、書き留めたものもある。

 十代の頃、スタッズ・ターケルの『仕事!』という本が大好きだった。百を超すさまざまな仕事人のインタビューで構成されているその本を繰り返し読んで、世界はわたしが思っている以上に広いみたいだ。いろんな人がいるのだとワクワクした、あおの大著に比べれば、ずいぶんのほほんとした本だけれど、その頃の自分のように、フムフム、ニヤニヤ、ワクワクを感じてくださる人がいればとてもうれしい。」

(「文庫版あとがき」より)

「このたび文庫化の機会を得て、うれしくて踊っている。十二人分の増補原稿を加えて、達人は百人になった。わかりやすいすごさと、わかりにくいすごさが絡み合って、この世はフムフムで満ちている。」

(金野典彦 解説「フラットに注がれる視線と〝フムフム力〟」より)

「本書は、膨大な時間を掛けて丁寧にひとりひとりの「達人」の話を聞いた中から、金井さんの好奇心が「面白い!」と反応した、その人のエッセンスがギュッと凝縮された、何とも贅沢な本と言える。長時間のインタビューからはこぼれ落ちてしまいそうな、捨てるにはあまりにもったいない魅力たっぷりの話を掬い取って煮詰めた、濃厚なダシのような本がこの「フムフム」なのだ。

 金井さんは、テレビの制作会社で構成作家やリサーチャーの仕事をされていた方だ、本作には、単行本で八十八(今回の文庫版は十二プラスされて百)のエピソードがあるが、当時のインタビューによるものが多く含まれているという。

 その時代から相当鍛えたのであろう、金井さんは人の花詞を聞く達人である。相手に対する敬意と半端ない好奇心が、相手の心を開かせて、その人ならではの話をスッと聞き出してしまう。おそらく相手にしてみれば、「フムフム」と相槌を打ちながら金井さんがしっかりと話を聞いてくれるものだから、話しているうちに気分が良くなり気を許し、気が付いたら話そうと思っていなかったことまでも喋っていたのではと想像する。金井さんの〝フムフム力〟、恐るべし。」

「「自分の持ち場を丁寧に照らしている達人に会うと、うっとりする。腹立たしいこと、嘆かわしいことの多いこの世界だけど、捨てたもんじゃないぜという気持ちになる。」(本文「あとがき」より)————金井さんは、どんな職業でもそれに真摯に取り組んでいる人は、そこに光るものを必ず見出せる「達人」と捉えている。そこに職業による貴賤は一切なく、誰に対してもフラットに接しているのが見て取れるのが気持ちいい。ただ、理不尽な権力に対しては厳しく、行動も起こす。『戦争とバスタオル』では温泉・共同浴場かた戦争の傷跡をたどり、戦争がいかに市井の人を巻き込み不幸にしているかを描き、入管改悪反対運動には、猫のイラストのプラカードを自作して座り込みに参加する。」

「ネット社会で、世界が狭く感じられるようになってきた一方、戦争は起こり、差別や分断が広まり、世界はどんどん生きづらい場になってゆく。

 でも本当は、情報量が増え変化のスピードが増しただけで、世界は変わらず広く多様で面白い。金井さんの初めての著作であるこの「フムフム」が、文庫化を機に、世界の様々な街の本屋で、手に取った更に多くの方の顔を「ふわっと明るく」することを期待している。」

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