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大島幹雄 『日本の道化師/ピエロとクラウンの文化史』

☆mediopos-2385  2021.5.28

西洋のクラウン(道化師)の歴史を辿りつつ
それが日本にどのように受容され展開してきたのか
それを現在に至るまで概観したのが本書だが
たしかに日本ではクラウンではなくピエロであり
それは西欧におけるピエロのことではない

ピエロのルーツは
イタリアのコメディア・デラルテの召使役である
ペドリーノがフランスへと渡り
ジャン・バチスト・ドビュローという
天才的なピエロ役者によって永遠の存在となったという
マルセル・カルネ監督の映画『天井桟敷の人々』の
ジャン・ルイ・バローが演じたのがこのこのドビュロー

そのドビュローが永遠にしたピエロという存在が
フランスの文学者に大きな影響を与え
それが日本に伝わったこともあって
サーカスの道化師であるクラウンも
日本ではピエロといわれるようになったようだ

著者はこだわりをみせて
「正しくはクラウンと呼ばれるべきである」というわけだが
いちど定着した名前はなかなか変わらない

本書で興味深いのは日本の伝統芸能のなかにも同様に
「道化師の原像」を考察しているところだ

日本全国各地に残っている神楽や民俗芸能にも
猿田彦や猿の面をかぶった道化役が出てくるが
その中でもひょっとことおかめはだれでも知っている

そうした道化たちは中世においては
河原や広場や寺社で
散楽や田楽のなかで演じてゆくが
やがてその末裔たちが歌舞伎の世界で
「どうけ」をさらに進化させていった
郡司正勝は「広袖」というピエロに似た衣装を生みだした
板東又九郎という人物に注目しているという

その歌舞伎における道化だが
やがてその道化役は「三枚目」と呼ばれるようになるが
その三番目という位置づけで思い出されるのが三番叟
千歳の舞・翁の舞に続いて狂言方が行う舞である

ずっと前にこのmedioposでもご紹介したことがあるが
仮面と芸能を研究してきた乾武俊は
日本各地の民俗芸能や人形芝居で演じられる
三番叟の仮面のなかに
日本の道化師の先祖のひとりである「黒い翁」を
翁の原初的なありようとして見ている

道化と翁
芸能と神々を結ぶ視点である

山口昌男が『道化の民俗学』で示唆した
道化の視点もまたそれにつながるものでもある
ギリシャ神話のヘルメス
コメディア・デラルテのアルレッキーノ
アフリカ神話に登場するトリックスター
狂言の太郎冠者などなど
境界を侵犯し常識を覆すことで
文化を活性化させる英雄たち

さてクラウンという道化の基本は
「人を笑わせること、楽しませること。
そしてその先に喜びをもたらすこと」
ソ連のクラウンであるエンギバロフが遺した言葉でいえば
「これは職業ではない
 これは世界観なのだ」ともいう

昨今ではその笑わせ楽しませることを
「不要不急」であるとみなす傾きがあるが
むしろ今こそ
「道化」が必要とされているのではないだろうか

こんな世の中で
賢者だとか先生だとか
みなされたいなどとは思わないが
フールでありたいとは思っている

スーフィーの話にこういうのがある
人を狂わせてしまう水を飲んで
村全体が狂った人ばかりになり
ひとりその水を飲まない者は
村人たちみんなから狂人とみなされたという
その者もやがてその水を飲んで
村人から正気に返ったと言われるのだが…

フールになりたいというのは
その水を飲まずにいる者になりたいということ

道化師/クラウン/ピエロとなると
フールよりも突出した存在となってしまうから
どちらかといえばやはりフール

■大島幹雄
 『日本の道化師/ピエロとクラウンの文化史』
 (平凡社新書 2021.5)

「本書はクラウンと共に四〇年以上にわたって過ごしてきた私が、日本の道化師の歴史を追いかけたものである。西欧でのクラウンの歴史を踏まえ、日本のなかにクラウンにつながるような道化の原像をさぐり、近代以降クラウンは日本にどのように入ってきたのか、美術や学問のなかでどのように受けとめられていたのか、そして本格的なクラウンの誕生から現在までを概観していく。
 ひとつここではっきりしておかなくてはならないのは、本書でとりあげるのは、「道化師=クラウン」ということである。滑稽を演じる職業役者については、コメディアン、ヴォードビリアン、ジョーカーなどいろいろな言い方があるが、サーカスや舞台で道化を演じるのは「クラウン」である。日本では「ピエロ」という言い方のほうが広く使われているようだが、それは日本独自の受容のしかたであり、正しくはクラウンと呼ばれるべきである。」

「道化論の決定版と言われる『道化と笏杖』の著者ウィリアム・ウィルフォードは、(…)クラウンの意味を「元々はclod(ぬるぬるした塊)、lump(塊)を意味しながら、これらの語同様に(中略)多くの言語で、無骨な田舎者をも表すようになっていった言葉がこれだというのは明瞭であろう」(『道化と笏杖』)と解説している。
 一方、道化を意味する言葉に「フール」がある。シェイクスピアの「リア王」に登場する有名な道化は、「フール」である。クラウンとフールの違いについて『道化と笏杖』で、ウィルフォードは次のように論じている。

  「フール」の方が内包の広い語であって、それが特殊な意味で使われる場合には、馬鹿な人間のものの見方の不適当ぶり、奇妙さを言うのである。賢者としてのフールという観念が今だに生きているが、「クラウン」という語が「叡智」を暗示することはない。むしろ「クラウン」という言葉は、自分のため、他人のため、彼の馬鹿さ加減を公けに見せびらかす人間を指す。「クラウン」は、「フール」よりももっと具体的な人間としての存在を喚起する語だ。こういう意味で私は、その人間が単に奇妙なものの見方をする人であるというばかりでなく、また賢人聖者で第一義的にはあるのではなくて、彼の愚行を故意に見せびらかす人であるという時、これに時として「クラウン」という語をあてはめるのである。(前掲書)

 この無骨者を意味したクラウンが、いつ舞台に出現したかは定かではないが、近代サーカスが誕生したときから、その世界ではなくてはならない存在としてリングに登場することになった。
 クラウンが最初にサーカスに現れるのは一七八〇年、フィリップ・アストレイという元騎馬隊員がロンドンのテームズ川のほとりに「フィリップ・アストレイ半円形劇場」を解説したときだった。」

「文化人類学者の石毛直道(国立民族博物館元館長)が、あるエッセイで「日本でサーカスの道化師をピエロとよぶが、ピエロとは喜劇やパントマイムなどの舞台芸における道化役のことだ。サーカスの道化師はクラウンというのが正しい」と書いているように、日本で道化師はクラウンではなく、ピエロと呼ばれ、クラウンという言葉はほとんど使われていない。」

「ピエロのルーツはイタリアのコメディア・デラルテの召使役ペドリーノ Pedrolino に求めることができる。ペドロリーの劇団が一五七六年に存在し、この四年後フェラーラ公爵夫人が館でこの一座の芝居をおおいに楽しんだという記録が残っている。」
「このペドロリーノがフランスに渡り、ピエロとなったのである。」
「民衆の人気者となったピエロが、ある天才的なピエロ役者の登場によって、永遠の命を得ることになった。ジャン・バチスト・ドビュローである。マルセル・カルネ監督の映画『天井桟敷の人々』(一九四五年公開)でジャン・ルイ・バローが演じた白塗りのパントマイム役者である。」
「ドビュローがつくりだしたピエロは、フランスの文学者に大きな影響を与える。一九世紀後半、ロマン派、象徴派の文学者たちが次々にピエロをテーマにした作品を書き始めるのだ。さらにボードレール、ラフォルグ、アポリネールらがその延長に独自の美学を重ね合わせて、ピエロを謳っていた。そうした詩が、西洋の美学を我が物にしようとヨーロッパの新しい美学移植のために夢中になった日本の詩人たちによって、紹介されていく。ピエロは、まずは日本の文学の中に入り込んでくるのである。」

「ピエロを最初にとりあげているのは、大正一四年に刊行された『最新現代用語辞典』である。そこではただ「道化役者」とある。ちなみにこの辞典の監修者は小山内薫である。「道化役者」とだけ記載している辞典は他にも六冊あった。」
「宮廷愚者(フール)をルーツと書くこよで、本来のピエロの意味から逸脱し、さらにはサーカスで幕間に演じるクラウンをピエロとしていることで、日本ではこの頃からクラウンがピエロと呼ばれるようになっていたことがわかる。」
「日本でサーカスの道化師は、こうしてクラウンではなくピエロとして受け入れられ、そしてサーカスで道化を演じる芸人はピエロと呼ばれることになった。」

「クラウンは明治以降日本に入ってきたものだが、それ以前にヨーロッパと同じように民衆を楽しませていた道化師たちはいたはずである。サーカスや舞台でクラウンと呼ばれる道化師たちとつながっていく、彼らの先祖にあたる日本伝来の道化師の原像はどこに求められるだろう。」
「日本全国各地に残っている神楽や民俗芸能には、猿田彦や、猿の面をかぶった道化役が多数出てくる。その中でも一番なじみが深いのはひょっとことおかめであろう。」
「民俗芸能で生まれた道化たちは。中世河原や広場や寺社で演じられた散楽や田楽の中で生き延びていく。そうしたこうした道化師の末裔たちが、さらにはっきりとした役割をもって歌舞伎の世界に入ってくる。それが猿若だった。」
「郡司によると、「どうけ」という役柄が歌舞伎に登場するのは、和歌集歌舞伎が禁止されたあとではないかという。つまり「どうけ」が、喜劇俳優を指すものとして用いられたのは、歌舞伎が、その揺籃期を終えた頃からになる。」
「さらに郡司は、もうひとつこの「どうけ」をさらに進化させた人物として板東又九郎に注目する。(…)
 板東又九郎が生みだしたという「広袖」という衣装が、どうけの芸風を一変させることになった。(…)
 ドビュローが白く広い袖の衣装を身につけたことで、広い袖とパンタロンがピエロの衣装として定着したことが思い出される。
 歌舞伎における道化だが、当初は演目の構成のなかで、重要な一場面を担当していたが、戯曲の構成が複雑になるにつれて、脇役的存在になっていく。そして道化役は、「三枚目」と呼ばれるようになる。」
「三番目という位置づけで思い出されるのが、三番叟である。
 三番叟は、能の「翁」に出てくるもので、千歳の舞・翁の舞に続いて狂言方が行う舞のことである。白い翁に続いて、黒い面を被って踊る黒い翁に、道化的なものを見て、芸能の深層に迫ったのは乾武俊である。
 乾は、日本各地の民俗芸能や人形芝居で演じられる三番叟の仮面のなかにある共通性を見出す。それは、黒く、ゆがんだうそふき型と呼ばれるものであった。色が黒いだけでなく、容姿が悪いことを強調している中に、ゆがみや醜さに仮託した民衆の想いへと迫るとともに、道化役の「黒い翁」こどが翁の原初的なありようではないか、と問いかける。」
「黒い翁はまぎれもなく、日本の道化師の先祖のひとりである。」

「一九六九年一月、人類学者の気鋭山口昌男が「アルレキーノの周辺」を『文学』(岩波書店)に寄稿、この後計八回にわたって「道化の民俗学」が連載される。
 ギリシャ神話のヘルメスからコメディア・デラルテのアルレッキーノ、アフリカ神話に登場するトリックスター、さらには狂言の太郎冠者などをモデルにして、茶番の付属物だった道化が、境界を侵犯し、常識を覆すことで、文化を活性化させる英雄であるとして、学問の世界に道化という新たな視点を提示し、知の世界にゆさぶりをかける。」
「学問の世界で道化がとりあげられたのと軌を一にして、道化をテーマとした映画が公開され、さらにはヨーロッパの一流の道化師たちが日本でもみられるようになるほど、日本における道化ブームはさらに増幅されていくことになる。
 その先陣を切ったのが、フェデリコ・フェリーニの『フェリーニの道化師』の上映だった」

「クラウンの基本は人々を楽しませることである。人を笑わせること、楽しませること。そしてその先に喜びをもたらすこと。これがクラウンの最大の使命なはずである。」
「人々が共に、生きる、笑わせ、笑う、喜ばせ、喜ぶ、この関係をつくることが人間として、社会としてとても大事なことになっている。その時笑いの、喜びの演出家となるのがクラウンなのだ。
 日本で本当の意味でサーカスや舞台にクラウンが登場して、まだ五〇年も経っていない。やっと日本の大地に蒔かれたクラウンという種が芽をふきだしたばかりだと言っていいかもしれない。この芽がどう育っていくのか、そして日本の中にどんなクラウン文化がつくられていくのだろうか。」

「最後にソ連のクラウン、エンギバロフが遺した言葉を紹介したい。

 クラウン
 これは職業ではない
 これは世界観なのだ
 私は人々に喜びや微笑み
 そして悪にうちかつ善への信頼をもたらすのだ」

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