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レベッカ・ソルニット『オーウェルの薔薇』/ジョージ・オーウェル『一九八四年〔新訳版〕』

☆mediopos2973  2023.1.7.

『一九八四年』の著者オーウェルは
一九三六年の春 薔薇を植える

そして二〇一七年の一一月上旬
『ウォークス 歩くことの精神史』の著者でもある
レベッカ・ソルニットは
その「もうひとりのオーウェル」を見つける

オーウェルの薔薇はまだ生きのびていたのだ

オーウェルは言う
「植樹は、特に長命な堅い木を植えることは、
金も手間ほとんどかけずに後世の人に残すことのできる贈り物であり、
もしもその木が根づけば、善悪いずれにせよ
ほかの行為の目に見える結果よりも、
はるかにあとまで生き延びるだろう」

オーウェルは庭づくり・庭いじりへの情熱を持ち
美的なものへの積極的な関わりをも語っていたのに
全体主義・権威主義体制の批判者としての政治作家という
オーウェル像が肥大したことによって
そうした側面が見えなくなってしまっていた

レベッカ・ソルニットは
オーウェルの薔薇との出会いをきっかけに
見過ごされてきた彼の庭への情熱に光をあて
化石燃料としての石炭・帝国主義や社会主義と自然
花と抵抗をめぐる考察・薔薇産業のルポ等を経て
未来への問いへと続くオーウェルの精神の源を探っていく

オーウェルはそのガンディー論で
「私たちにはこの地上しかないのだから、
人生をこの地上で生きるに値するものにするのが私たちの務めである」
そう断言しているというが

オーウェルはこの生に喜びと楽しみを与えてくれる
「この地上で生きるに値するもの」を破壊してしまう
全体主義や権威主義的国家に対して
抵抗することを呼びかけていたのだろう
オーウェルにとって庭と薔薇もその大切なひとつだった

『一九八四年』的な時代を迎えているまさに現代
「この地上で生きるに値するもの」を
スポイルしてしまうようなものに対して
私たちは毅然として抵抗する必要があるだろう

■レベッカ・ソルニット(川端康雄/ハーン小路恭子訳))
 『オーウェルの薔薇 』
 (岩波書店 2022/11)
■ジョージ・オーウェル(高橋和久訳)
 『一九八四年〔新訳版〕』
 (ハヤカワepi文庫 早川書房 2009/7)

(「Ⅰ 預言者とハリネズミ 1 死者の日」より)

「一九三六年の春のこと、ひとりの作家が薔薇を植えた。」

「オーウェルはこう述べる。「植樹は、特に長命な堅い木を植えることは、金も手間ほとんどかけずに後世の人に残すことのできる贈り物であり、もしもその木が根づけば、善悪いずれにせよほかの行為の目に見える結果よりも、はるかにあとまで生き延びるだろう」。そう述べて、自身が一〇年前に安価な薔薇の苗と果樹を買って植えたことにふれ、そこを最近再訪したところ、自分自身が後世に対して植物でもってささやかな貢献をしていることを見てとったのだという。「果樹のうちの一本と薔薇の木が一株枯れたけれども、あとはみんな元気に育っている。総計は、果樹が五本、薔薇が七株、すぐりは二株、全部で一二シリング六ペンスになる。これらの木はたいして手間をかけていないし、金も買ったときの費用だけであとは一文もかけていない。たまたま農家の馬が門の前にとまったときに、時折バケツに集めたもの以外には、肥料すらやっていない」」

(「Ⅶ オーウェル川 2「ローズヒップと薔薇の花」より)

「彼は、みずから進んで苦難に向かうこと、苦難や自他の欠点を進んで受け入れようとする意志を、人間らしさのひとつとして、喜びの代価もふくみ込むものとしてとらえた。この世のさまざまな事柄に積極的に関わることもまた、精神的修行や犠牲となる意志の向かう対象になりうる。また彼がガンディーに欠けていると見た温かさを向ける焦点にもなりうる。ある意味では、彼の反聖者的な殉教者であるウィンストン・スミスは、不運な成り行きをとおして十全に人間的になったのかもしれない。そして洗濯女の美しさへの彼の認識は、その一部だったのかもしれない。それは不完全で非理想的な美を見る新しい能力なのだ。オーウェルはガンディー論で「私たちにはこの地上しかないのだから、人生をこの地上で生きるに値するものにするのが私たちの務めである」と断言した。
 彼は自分の墓に薔薇を植えてもらうように言い遺した。何年か前、私が確かめに行ってみたところ、まとまりのない赤い薔薇が一本、そこに花を咲かせていた。」

「(「Ⅶ オーウェル川 3 オーウェル川」より)

「オーウェルが成し遂げたたぐいまれな仕事は、ほかのだれもしなかったような仕方で、全体主義が自由と人権にとってのみならず、言語と意識とによって脅威であることを名指し、記述したことだ。それを彼はかくも説得力のjある仕方で果たしたので、彼の最後の本は現在に影を——あるいは進路を指し示す灯台の光を——投げかけている。しかし、その達成は、その動力源となったコミットメントと理想主義によって豊かにされ深められたものだ。彼が価値あるものと考え、欲したもろもろ、欲望そのものに、また喜びと楽しみに彼が価値を見出したこと、そしてそうしたことども〔欲望、喜び、楽しみ〕が、権威主義的国家とそれが私たちの魂を破壊するべく介入してくることに対して抵抗する力となりえるのだという彼の認識、それが彼の仕事に活力を与えたのだった。
 彼が果たした仕事は、いま、すべての人の仕事だ。これまでもつねにそうなのだった。」

(ハーン小路恭子「訳者解説1/『オーウェルの薔薇』と自然の主題」より)

「二〇二二年九月八日のこと、英国王エリザベス二世が死去した。そのニュースが報じられると同時にメディアを席巻したのは、バッキンガム宮殿の上空にかかる二重の虹の写真だった。SNSを中心に、人びとは虹の意味をさまざまに読み込んだ。虹は哀悼や弔いのしるしだという基本的な読みがあり、この世を去ってもなお女王が国民とともにあることを示していると言う者もいれば、二重の虹は女王から息子のチャールズ三世への王位継承の象徴だという解釈まであった。自然現象としての虹は、空気中を漂う水滴に太陽光が反射したり屈折したりすることで形成される独特の模様を指しているが、この日の虹は、女王を讃え、その死を惜しみ、なおかつ王制のもとでの英国のさらなる繁栄すら表すような、政治的な虹だった。それは王室廃止論や植民地主義の延長線上にある英連邦の構成といった、女王の死が不可避的に喚起するはずの数々の事柄を、一時的にしろ覆い隠していた。

 自然の政治性、それはレベッカ・ソルニットによる本書『オーウェルの薔薇』の主題でもある。多作なソルニットの作品のなかでも、本書はどちらかといえば、『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)の系統に属しているといえる。すなわち、特定の主題(たとえば「歩行」)を持ちながら、時には大胆に脱線しつつ縦横無尽に古今東西の事象について深い思索をめぐらせるタイプの著作である。『オーウェルの薔薇』もまた、ソルニットが敬愛する作家のひとり、ジョージ・オーウェルの伝記の体裁をなかばとってはいるが、オーウェルとは関係のない事柄に話が及ぶこともしばしばだ。そのような思考のそぞろ歩きを経て小宇宙のような多彩な広がりを見せながらも、一冊の本としての統一感は保たれているという、ソルニットの書きぶりの真骨頂がそこにはある。さらにいえば、自然とは、ソルニットが繰り返し著作のなかで採り上げてきた主題でもある。(略)

 そんなソルニットがこの最新作で注目したのは花、それも薔薇だ。花のなかでも薔薇にはどこか特別なところがあるという思いは、広く共有されているものではないだろうか。薔薇は古くから人びとを魅了し、多岐にわたる品種改良の歴史を経て、世界中で身近な存在でありつづけている。それは文学や絵画などの芸術において繰り返し採り上げられ、時に美そのものの象徴のようにも考えられてきた。美しいもの、自然であるもの、それらは人間の所業であるところの政治に対して超越的な価値を持つと考えられがちだ。だが本書を通じてソルニットが明らかにしているのは、薔薇は、そして自然は、政治的でもあるということだ。」

「一九三六年にオーウェルが薔薇を植えたことの意味、そしてその薔薇が生きのびて二〇一七年にソルニットの眼前に現れたことの意味は、さまざまに問われなければならないだろう。オーウェルは自分の一族が英国の負の歴史に積極的に加担してきたことをよく知っていただろうし、その年には『ウィガン波止場への道』のための取材で、過酷で搾取的な労働の現場である炭鉱の地下世界を訪れたところでもあった。それでも彼は、地上にもどって薔薇を植え、大地を耕し、それによって小さくてもよいことをひとつなし、自然や他者との関わりを見直そうとした。」

(川端康雄「訳者解説2/そぞろ歩きの「オーウェル風」より)

「『オーウェルの薔薇』と、タイトルに作家ジョージ・オーウェル(一九〇三―五〇)の名前が冠せられているのだが、著者の断り書きによれば、本書はこれがすでに多く出されているオーウェルの「伝記」の書棚に付け加えられるものではなくて、彼が一九三六年に薔薇の苗木を自宅に植えたエピソードを「取っかかり」とした「一連の介入(a series of forays)」だという(一九)。「介入」と意訳した原文のforayは、字義どおりに言えば「(不慣れなことへの)手出し、ちょっかい、進出」(『ランダムハウス英和大辞典』第二版の定義より)ということで、もっと古くからある「略奪的侵略」の語義から派生して、本来の専門領域から逸脱して、不案内な問題に突入・介入するというニュアンスがある。いまでは少なくないオーウェルの伝記作者、研究者を念頭に置いて、「専門外」の著者によるオーウェル論を本書で展開しているとする謙遜をこの語で示唆していると見てもよいだろう。

 写真家ティナ・モドッティの活動を焦点とする章(Ⅲ―1、5)、スターリンによるソ連における「新ラマルキズム」推進の悲惨な顚末を扱った章(Ⅳ―2、3)、コロンビアの薔薇工場の潜入ルポルタージュ(Ⅵ―2、4)などがそうだが、本書はオーウェルと直接には関わらないトピックを多くふくみ、一般的な見方からすればひとりの人物の伝記とは呼べない著作であるのは確かで、その点でソルニットの前述の断り書きはそのとおりだと言える。

 とはいえ、本書はオーウェルの生涯と仕事についてソルニットならではの独自の視点を提示しており、オーウェル研究という枠のなかで見てもきわめて貴重な貢献を果たしている。自分の住処の庭に薔薇の苗木を植えたひとりの作家、というタブローを著者は本書の出発点にしている。没後七〇年以上を経ているが、冷戦初期に作られて以来いまも根強くあるステレオタイプ的な「オーウェル」像に、ソルニットはこの「薔薇を植えるオーウェル」というイメージを対置してみせて、そうした紋切り型のイメージに馴染んでいる人から見ればおそらく意外と思われる作家像を描き出している。(略)
 確かにオーウェルは喜びを(また美的なものへの積極的な反応を)多く語っていたのに、全体主義・権威主義体制の批判者としての政治作家オーウェル像の肥大によってその側面は影が薄くなっていた。そこに光をあて、「喜ばしきことどもの明細目録」(Ⅶ―1の章題)を細かく検討し、それを政治作家オーウェルの仕事と併せ見ることによって、より十全な作家像を示し、オーウェルの生涯と仕事がいかに私たちにとっての世界への対し方にかかわりを持つかを示唆している。それらの喜びのなかでオーウェルが最上位に置いていたのが「ガーデニング」すなわち庭作り、庭いじりであった。」

「ソルニットは、オーウェルが一九三六年に植えた薔薇を(おそらく二〇一七年の一一月上旬に)自分の目で確かめたあと、彼の著作の再読にかかって「もうひとりのオーウェル」を見つけることになる。再読によって「いかにたくさん彼が楽しみを語っているか」を印象づけられ、そうした喜びが『一九八四年』にさえも多く見出されることを確認する。併行して関連書を読んだ彼女は、それらが概してオーウェルについての「荒涼として陰鬱なポートレイトをグレイの色合いで描いていた」と評する。(略)
 確かにオーウェルは喜びを(また美的なものへの積極的な反応を)多く語っていたのに、全体主義・権威主義体制の批判者としての政治作家オーウェル像の肥大によってその側面は影が薄くなっていた。そこに光をあて、「喜ばしきことどもの明細目録」を細かく検討し、それを政治作家オーウェルの仕事と併せみることによって、より十全な作家像を示し、オーウェルの生涯と仕事がいかに私たちにとっての世界の対し方にかかわりを持つかを示唆している。それらの喜びのなかでオーウェルが最上位に置いてたのが「ガーデニング」すなわち庭づくり、庭いじりであった。オーウェルは一九四〇年に「〔作家としての〕仕事以外での私の最大の関心事は庭いじり、特に野菜の栽培である」と書いた。この言明を前面に据えてオーウェルを考えてみるというのは、(…)彼についての根深い先入観から自由にならなければできない。私の知るかぎりでは、それを試みて一書をなしたのは、本書が始めてなのである・」

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