湯川秀樹「多数というのは、もはや独創でもなんでもない」
☆mediopos-2334 2021.4.7
蝶は芋虫や蛹を経て
飛翔するようになる
美しい翅の姿以外は
無駄なのかといえば
決してそうではない
美しい翅の姿は
その無駄に見えもする
芋虫や蛹の姿が
メタモルフォーゼしたものだ
人が人として生きる豊かさも
一見無駄そうにも思えるさまざまが
あってこそそこから芽生え育ち
やがて花になってゆくものが準備される
しかも人はほんらい
ひとりひとりが異なった個性をもっている
神秘学的にも人間という存在は
ひとりひとりがひとつの種である
それに対して動物は多くの個体があっても
ひとつの集合的な種として存在している
にもかかわらず人は群れて
「皆同じ」であろうとすることから
ひとと違うことを嫌うことが多い
ひとから評価されたいという欲求も
結局はそこからくるものでもあるのだろう
おそらく動物的な集合魂的叡智への郷愁から
その集合的な在り方でいることで
安心・安全でいられるという感覚もあるのだろう
多数派を嫌いそれを批判する者も
今度はみずからを少数派として
あらたな群れのなかでの新たな評価を得ようともする
どちらも群れであることに変わりはない
そしてどちらも芋虫や蛹であるプロセスにあるような
無駄の豊かさに目を向けることは少ないように見える
無駄の豊かさとは
ひとと比較しようとしたり
ひとから評価を受けようとするものではない
おそらくその無駄こそが土壌ともなり
そのひとだけにしかない花ともなり得るのではないか
湯川秀樹のような個性は
そんな「人生の豊かさ」としての「無駄」によって
また「みな同じようになる」ことをしないで
「我流」ゆえにこそ生まれたのではないだろうか
それゆえにこそその著作などを読んでも
その背景には深い奥行きと豊かさを感じることもできる
昨日ふれた独学と自己教育にも通じるところである
■湯川秀樹「多数というのは、もはや独創でもなんでもない」
(『NHKあの人に会いたい』実行委員会編『あの人に会いたい』
新潮文庫 平成二十年十一月 所収)
{無駄が人生の豊かさ)
「ーーーーおじいさんの前で、4つ、5つの時に漢文の素読をなさっていた、と言ってもほとんど意味はわからないですよね。
「もちろんそうです。わからないんです。わからずに、なんでこんなことをやらされているのかと、非常に悲しく思いました。しかし、それが後になってみますと、いつの間にやらそれなりに、わからないはずのものが身についているんですね。それは不思議なものです。
一口に人間性と言うけれども、人間性というのは非常に豊かなものであって、したがってその現れ方もいろいろあるわけです。人間というものは、何が無駄であるか無駄でないかということは、わからない問題であって、むしろ人生というものは、相当無駄が多いように見えている。その無駄が人生の豊かさでもあるんですね。
私の場合、漢文を小さい時に習ったことはどういう意味をもっていたか。長い目で見ると、それはそれなりに意味があるんで、それは物理学者であることと関係がないとも言い切れないわけです」」
(皆同じではつまらない)
「ーーーー中間子理論というものを発見なさった、つまり学問にとっては常に独創ということが要求されるわけですが、独創的な人間になりたいと考えても誰もがそうなれるわけではありません。
「独創という問題に関しては、独創性、あるいはもう少し広く創造性という言葉を使った方が良いと思うけれども、それを発揮するのはいろいろな方面があるのであって、学問というのも、また学問のなかの専門というのも、それは人間のさまざまな能力のひとつの特殊なあらわれに過ぎないわけです。
私はだいたい、人間がみな同じようになるというのは、いちばんつまらないことだと思うんです。人間が他の動物と違う所はいろいろありますけれど、やっぱりそれぞれ個性をもっていると。今の教育というのは個性をわざわざなくしてしまうような、そういう教育をしているんだとすれば大問題だと思います。
ですから、大学の3年間もだいたいひとりで一生懸命こつこつと勉強していたーーーーこつこつというより、しゃにむに勉強していたという状況です。それ以降も、人と一緒に仕事をした時代もありますけれど、どちらかというと独学流であって、さらにいえば我流ですね。我流的な傾向が非常に強いと思います。」」
(はじめはいつも少数派)
「ーーーー物理学の世界でも、常に少数派?
「ですから、独創的なものと言えばはじめは少数派に決まっているわけです。少数派がいつかは多数派になるわけでしょうけれど、しかしはじめは少数派に決まっているわけです。多数というのは、もはや独創でもなんでもない、できてしまったものです」」
(自分で自分の人生を決める『訪問インタビュー』(1981年(昭和五十五年)放送)より)
「近ごろ様子を見ていますと、相変わらず何かというとお互いに真似ばかりする、外国の真似をする。そういう風潮はなくなってしませんので、これはもうやめてほしいと思うんです。ただ流行を追って満足しているというのは非常につまらない生き方ですから」
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