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ルドルフ・シュタイナー「精神科学の光に照らした健康熱」

☆mediopos2901  2022.10.27

○○を食べれば健康になる
○○をすれば健康になる
というように
健康を死んだ標本のようにしてしまうのは
むしろ健康からはなれてしまうことになる

癒やしにとらわれたひとが
「みんな、このように呼吸しなければいけない。
癒やされなくてはならない」というのも
健康的であるとはいえない

まして健康について
「君はこうすべきだ」ということはできない

「各人に固有の健康状態がある」からだ

禁欲も不健康である
禁欲という外的な強制が
「外的な印象と内的な生命との
不調和を生み出」してしまうからだ

禁欲とされることを絶対化することはできない
ある人にとって禁欲に見えることも
当人にとっては快適なのかもしれない

快適であればいいというのではなく
たとえそうではないものに対するときでも
それに対する内的な力を強めることで
それを調和的なものにすることが重要なのだ

そうすることで心魂が不調和を克服できれば
それは高次のありかたのなかで大切な養分となり
ひとを健康へと導くことになる

アストラル体に調和がもたらされるとき
そこからエーテル体(生命体)や
物質的身体へと働きかけることで健康的でいられる

しかしアストラル体は往々にして
快・不快のなかでさまざまな葛藤を抱えている
その葛藤を調和させることは
「言うは易し、行なうは難し」なのだが・・・

■ルドルフ・シュタイナー「精神科学の光に照らした健康熱」
 ※1907年12月9日の公開講演(GA56所収)
 (ルドルフ・シュタイナー(西川隆範訳)
 『身体と心が求める栄養学』風濤社 2005/1 所収)

「私たちの生活は非常に多様なので、私たちは今日、健康について一般的な決まり文句を語ることはできません。人によって、さまざまです。人間のなかで発達したものは、ある意味で、外界をとおして発展したものです。それで、各人に固有の健康状態があるのです。ですから人間は、身体の経過にいたるまで、周囲に耐えることができるようにならなくてはなりません。」

「外的な印象と内的な生命との不調和を生み出すものは、すべて不健康です。まさに大都会で、外的な印象の強さゆえに生じているものを、私たちは見ることができます。雑踏、騒音、慌ただしく人々が通り過ぎるのに私たちは対処・対抗しないと、私たちは不健康になります。そのような状況に対して知的な態度をとることが大事だ、と思ってはなりません。私たちの感受・心魂の態度、身体の活動が大事です。
 特に今日現れている、昔はなかった病気を考察すると、そのことが分かります。多くを受け取ることに慣れていない、心魂の貧しい人が、あらゆる印象に導かれ、理解できない外界に向かい合います。このような状態が、特に多くの女性に見られます。内面が弱く、しっかりと構成されていないので、すべてを消化することはできません。多くの男性にも、この状態は見られます。その結果、ヒステリーになります。ヒステリーの原因はこれです。
 外界で私たちに立ち向かうものを理解しようとしすぎると、別の病気が現れます。病的に「因果律」に苦しむ男性に、よく現れる状態です。」

「精神科学は禁欲に努めるべきだ、と人々は言います。毎晩、大衆酒場で踊ったり、ビールを八リットル飲むのを大きな喜びにしている人は、もっと高次のことがらに喜びを見出している人々のことを「彼らは苦行している」と言います。
 そうではありません。彼らは毎晩酒場で遊興しなければならないなら、苦行していることになります。大衆酒場で踊るのを喜びにしている人かた喜びを取り上げるのは間違いでしょう。それを楽しむなら、健康でしょう。
 享楽・満足を純化するために、人は働くべきです。神智学者は、高次世界について語るのだ辛いから集まるのではありません。高次世界について語るのが最高の楽しみだから集まっているのです。彼らにとって、席についてトランプをするのは、恐ろしい忍耐でしょう。彼らはあらゆる点で生活を楽しんでいます。ですから、彼らはそのように生きているのです。
 健康についても、「君はこうすべきだ」と言うことが大事なのではありません。喜びと満足を得ることが大事です。この点で、精神科学者は完全な生活のグルメです。健康に関して、だれかに何らかの処方をするときは、その人のアストラル体に喜び・楽しみ・歓喜を与えるものにしなくてはなりません。アストラル体からエーテル体・物質的身体に作用が及ぶからです。しかし、これは「言うは易し、行なうは難し」です。」

「今日、癒やしに凝っている人々がいます。その人にも何らかの病気を見出すことは、非常に容易です。さまざまな器官が、他人と同じようには見えないということを、人は発見します。癒やしにとらわれた人は、「みんな、このように呼吸しなければいけない。癒やされなくてはならない」と言います。恐ろしいことです。型に嵌まった健康の概念を目標にすることが大事なのではありません。「それは健康によくない」と言うのは、非常に安易です。」

「私たちは内的に強くなると、健康な生活方法を獲得できます。複雑な状況に、強い内面を対峙させると、健康に生活できます。人間が健康そのものに向けて努力しなくなったとき、「健康熱」は止みます。自分が健康かどうか、感じることを学ばねばなりません。そして、心地よさの欠如を、たやすく耐えることができるようにならねばなりません。」

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