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藤田 正勝『九鬼周造 理知と情熱のはざまに立つ〈ことば〉の哲学』

☆mediopos2954  2022.12.19

「ロゴス」は
「ラチオ(理性)」と
「ヴェルブム(ことば)」にわかれて継承された

ヨハネ福音書の
「はじめにロゴスがあった」は
「生きてはたらき、生みだすことば」である
「ヴェルブム(ことば)」であり

それは「新プラトン主義の哲学や
ディオニュシオス・アレオパギテースから、
ヨハンネス・スコトゥス・エリウゲナへと受けつがれ、
ヨーロッパ精神史の底流を形作っていった」のだが

とくに「近代ではラチオの方が前面に出て、
ヴェルブムが背景に退いていった」

「ラチオ(理性)」としての「ロゴス」は
「一方では精密な学問性を哲学にもたらした」が
「そのことによって哲学の「音域」は著しく狭められた」

近現代では「ヴェルブム(ことば)」を継承した
「ヴェルブム・メタフィジーク(ことばの形而上学)」は
ボードレールや象徴主義の詩人・思想家に見いだされるが
日本の哲学者でいえば九鬼周造である

九鬼周造の哲学の魅力は
「生きた哲学」であろうとし
「華やかに燃え、喜び、悲しみ、且つ悩む情の人」
でありながら同時に
「情の海に溺れるにはあまりに明瞭な知性の人」
だったということにある

藤田 正勝の著書の副題でいえば
「理知と情熱のはざまに立つ」そんな
〈ことば〉」で哲学したということにほかならない

理知だけというのはいわば理知に溺れることであり
情熱だけというのは「情の海に溺れ」ることである
「生きた哲学」はその両者の矛盾のなかを
生きんとすることによってはじめて成立するものだろう

九鬼周造の最後の著書『文芸論』は
決して成功した著作とはいえないだろうが
日本語の押韻を扱った音韻論など
まさにその矛盾を泳ごうと試みた著作だろう
「音楽的可能性を発揮させて
詩の純粋な領域を建設する」ことをめざしていた

■藤田 正勝
 『九鬼周造 理知と情熱のはざまに立つ〈ことば〉の哲学』
 (講談社選書メチエ 講談社 2016/7)
■坂部 恵・鷲田 清一・藤田正勝『九鬼周造の世界』
 (ミネルヴァ書房 2002/10)

(藤田 正勝『九鬼周造 理知と情熱のはざまに立つ〈ことば〉の哲学』より)

「九鬼は、哲学が現実に対して目を向けず、現実から切り離された世界に閉じこもりがちになることに批判的であった。(・・・)九鬼は『「いき」の構造』の「序」のなかで次のように記している。「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。・・・・・・現実を有りの儘に把握することが、また、味得されるべき体験を論理的に言表することが、この書の追ふ課題である」。哲学は論理の世界に閉じこもるのではなく、現実に関わり、現実をありのままに捉えるものでなければならない。そのような意味で哲学は「生きた哲学」でなければならない、というのが九鬼の確信であった。」

「九鬼の教えをもっともよく受け継いだ弟子の一人である澤瀉久敬が、「九鬼先生を偲んで」と題した文章のなかで、九鬼の人となりについて次のように記している。「単に冷たい灰色の知性人であるよりも、華やかに燃え、喜び、悲しみ、且つ悩む情の人であろうとされたのです。そこに詩人九鬼周造があります。が、それでいて、先生はただ情の海に溺れるにはあまりに明瞭な知性の人でした」。
 九鬼は、具体的な現実が有する豊かな内容に密着しようとする生き生きとした意志をもった人だったが、しかし同時に、その「有りの儘」を厳密に分析して論理的に表現しようとする透徹した知性をもった人でもあった。一方では、古代ギリシアから現代に至るまでの西洋哲学の展開についての確かな知識をもった人だった。そして自ら厳密で抽象度の高い思弁的な思索を行う人だった。しかし同時に、その背後には、確実にあふれでる情熱があった。生き生きとした詩的感覚があった。『「いき」の構造』や『偶然性の問題』における概念の緻密で論理的な分析は前者を代表するものだろうし、詩集『巴里心景』(甲鳥書林、一九四二年)や晩年にその刊行に心血を注いだ『文藝論』などは後者を代表するものであろう。」

「かつて筆者は坂部恵、鷲田清一の両氏とともに、『九鬼周造の世界』(ミネルヴァ書房、二〇〇二年)と題する論文集を編んだが、そこに収められた論文「九鬼周造の魅力」のなかで坂部は、九鬼を近代のラチオナリスムの音域から閉め出されたものに対する感性をもちあわせていた思想家として描き出している。
 坂部によれば、古代後期、そして中世のラテン語世界は、ギリシア・ヘレニズムの「ロゴス」を「ラチオ(ratio)」とヴェルブム(verbum)という二つの言葉を通して継承した。両者は、そのまま訳せば「理性」と「ことば」ということになるが、「ヴェルブム」には単なる「ことば」以上の意味が纏綿している。その背景には、『ヨハネによる福音書』冒頭の「はじめにロゴスがあった」といった表現がある。単なる「ことば」ではなく、「生きてはたらき、生みだすことば」という意味がそこに見られていた。その「ヴェルブム」を重視する精神的伝統は、新プラトン主義の哲学やディオニュシオス・アレオパギテース(五、六世紀頃)から、ヨハンネス・スコトゥス・エリウゲナ(八一〇頃−八七七年頃)へと受けつがれ、ヨーロッパ精神史の底流を形作っていった。この流れを坂部は、やはりこの「ヴェルブム」の伝統に注目するハンス=ゲオルク・ガダマー(一九〇〇−二〇〇二年)の理解に示唆を受けながら「ヴェルブム・メタフィジーク」(強いて訳せば「ことば形而上学」となる)という言葉で呼んでいる。
 しかし、近代ではラチオの方が前面に出て、ヴェルブムが背景に退いていった————もちろんヨハン・ゲオルク・ハーマン(一七三〇−八八年)やヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(一七四四−一八〇三年)といった例外を挙げることはできるが————。そこに生まれたラチオナリスムは、もちろん一方では精密な学問性を哲学にもたらした。しかしそのことによって哲学の「音域」は著しく狭められた。それに抗う「ヴェルブム・メタフィジーク」の後継者を坂部は、本書でも触れるシャルル・ボードレール(一八二二−六七年)や象徴主義の詩人・思想家のなかに、そして九鬼周造のなかに見いだしたのである。」

「九鬼周造の主著を挙げるとすれば、やはり『偶然性の問題』になるだろう。」
「この『偶然性の問題』において九鬼は、(・・・)「いき」についての考察とはまったく異なる問題について論じているように見える。確かに論じられている内容は異なる。しかし問題に取り組む九鬼の姿勢は両者において決して違ってはいない。
 (・・・)九鬼は「思考は存在全体を満たさなければならない」というメーヌ・ド・ビランの言葉を引き、また自ら「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ」と記していた。ロゴスによっては汲み尽くすことのできないhaecceitas(個物性、これ性)に迫ることを九鬼は追い求めた。具体的経験に立ち返り、その脈動に触れる「生きた哲学」を作り上げることが九鬼のめざしたことであった。
 その意図は『偶然性の問題』でも貫かれている。同一律や因果律という論理では捉えられないもの、特殊なものを普遍に包摂し、事実をこの普遍に還元しようとする概念的認識の網の目からはもれでるものにどこまでも迫ることを九鬼はここででもめざしている。概念的認識は特殊なもの、あるいは現実のなかに存在する非合理なものを排除して、言いかえれば「偶然を出来得る限り除去する」ことによって普遍的な知の体系を作りあげようとするが、そのこと自体が学的認識の「限界」を作り出している、というのが九鬼の理解であった。九鬼はまさにこの「限界」を超えることによって哲学を「生きた哲学」にすることをめざしたと言える。(・・・)「ラチオナリスムの音域」から閉め出されたものに耳を傾けようとしたと言える。
 京都大学に提出した博士論文「偶然性」では次のように言われている。「認識の限界に思索を透徹し、潜匿した問題を注視して「驚異」することは哲学に与へられた自由であり特権である」。」

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