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【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」 (文學界)/下西 風澄『生成と消滅の精神史』/『葬送のフリーレン(10)』

☆mediopos-3043  2023.3.18

下西風澄『生成と消滅の精神史』はすでに
mediopos-2967(2023.1.1)でとりあげているが
その著者と山本貴光・吉川浩満による鼎談が
「文學界」の四月号に掲載されている

鼎談の終わりの方で下西氏が示唆しているように
あるテーマがあるとして
「真正面から問題を扱うのではなく、
その問題の語り方そのものを考え直」すということは重要である

『生成と消滅の精神史』も「心脳問題」のような仕方で
「心の「本質」や「本性」を探求するのではなく、
私たちは心をどのようなものとして、
あるいはどうあるべきものとして、考えてきたのかを考察」している

つまり「心」をすでに決まったものとしてとらえるのではなく
「心はどこから来て、どこへ行くのか」という視点でとらえることで
はじめて見えてくるものがある

鼎談のなかで山本が
本書に書かれている「心」の変遷についてこのように紹介している

主に第Ⅰ部の西洋編の話だが
「古代ギリシャのホメロスでは、」心は「「特定の場所をもた」ず、
風のように「世界に偏在して分散されたもの」だった。」
「紀元五世紀から四世紀頃のソクラテスになると、
心はひとつの統一体として捉えられるようになる。
しかも心は肉体を管理する働きをもつ」

「デカルトとパルカルの例を検討した後で、
ひとつの頂点のような存在としてカント」し
「カントにおける心は、感性や悟性、構想力といったファンクションから成る。」
そして下西氏はそれを「カントによる心の捉え方をコンピュータに喩えて」いる

その後「現象学を提唱したフッサールや彼に学んだハイデガーの議論では、
カントで輪郭がくっくりしたように見えた心が、
むしろ形を失って環境のなかに綻んでゆく過程が描かれ」
「さらにはヴァレラやメルロ=ポンティを参照して、
身体を通じて環境(世界)とやりとりをするものとして心が捉えられるに至る。

さらに第Ⅱ部の日本編では
「日本では西洋のようにカチッとした概念で
心を把握するというのとはまた違う在り方があった。」
「『万葉集』や『古今和歌集』などの詩歌にあらわれる心」があり
近代では夏目漱石は「心を文学と科学のあいだで捉えようとした」

さて「心と身体」というかたちで「心」が語られることがあるが
このように「心」をとらえると
「心」は「身体」とも「世界」とも
切り離してとらえることはできないことがわかる

そういう意味でいえば
AIに「心」を肩代わりさせるという発想では
ある種の思考パターンのフォーマットをつくることはできるだろうが
「身体」と「世界」はそこに位置付けることは少なくともできない

現代ではあまりに心に過剰な仕事が担わされている
「現代の技術的・社会的な環境が、
私たちに心の過剰な能力を要求する一方で、
私たちの意識はそれに対応しきれていない」

つまりは心と身体と世界が
うまく協働できなくなってきているのだともいえる

ところでコミックス『葬送のフリーレン(10)』がでたところだが
この漫画の興味深いところのひとつに
魔族は「悪」という感情がわからないというのがある

「悪意」や「罪悪感」そのものが存在しない
だから人間から見た悪を躊躇いもなく行うことができ
また人間のさまざまな感情様態を抵抗なく擬態できもする

アシモフのロボット三原則といったものなど
存在しないで働くAIにも似ているが
人間の感情というのも
人間が人間となった時点あるいはそれ以前に溯って
人間と魔族の枝分かれする前においては
潜在的にさまざまな様態をとりえていたのだろう

とはいえ現在の人間も洗脳や黒魔術的な行の末に
通常人間的とされる感情をスポイルしたまま
魔族のように行使し得るのもたしかで
(現在世界中で起こっていることを見るだけでわかる)

「心はどこから来て、どこへ行くのか」を
そうしたことをもふくめて問いなおしてみるとき
「悪」についても
「真正面から問題を扱うのではなく、
その問題の語り方そのものを考え直」すことで
見えてくるものもあるのかもしれない

■【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」
 (文學界(2023年4月号)文藝春秋 2023/3 )所収)
■下西 風澄『生成と消滅の精神史/終わらない心を生きる』(文藝春秋 2022/12)
■山田鐘人(原作)・アベツカサ(作画)『葬送のフリーレン(10)』
(少年サンデーコミックス 小学館 2023/3)

(【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」〜「「心」は発明された」より)

「下西/私たちが「心」として思い描いてきたものは、時代や場所によって異なるのだから、心の「本質」や「本性」を探求するのではなく、私たちは心をどのようなものとして、あるいはどうあるべきものとして、考えてきたのかを考察しなければならない。普通は百年、二百年ぐらいを遡ってみるのでしょうが、僕は執念と無謀で二千年ぐらいを遡り、歴史的に見ていくことにしました。その出発点には、現代では心には、あまりに過剰な仕事が担わされているのではないか、という直感がありました。心は外界の溢れかえる情報を適確に処理し、自分の感情や身体を統御し、合理的に真偽や善悪を判断し、意思決定をすることを常に求められています。僕の本で書いたように、すでにソクラテスが心をそのような仕事を担うものとして発明していたのですが、現代にあっては、心に求められる仕事の量が増え、その精度も高くなっている。現代人はみんな文字の読み書きができて、高度な思考能力を備えていて当然と思われていて、膨大な量の情報が入ってきます。そのような環境では、心の仕事は増える一方です。つまり、現代の技術的・社会的な環境が、私たちに心の過剰な能力を要求する一方で、私たちの意識はそれに対応しきれていないのではないか。でも、心にここまで過剰な仕事が背負わされていなかった時代も当然あったはずで、その時代まで遡ってみることで、心について一から考え直す作業が必要なのではないか。心が過剰な仕事を荷下ろしできる道筋はないか。そんな問題意識から出発しました。」

(【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」〜「西洋編と日本編にした理由」より)

「山本/本書の第Ⅰ部は西洋編でした。古代ギリシャのホメロスでは、現代とはかなり違ったかたちで心が捉えられていた。下西さんの表現をお借りすると「特定の場所をもた」ず、風のように「世界に偏在して分散されたもの」だった。それに対して紀元五世紀から四世紀頃のソクラテスになると、心はひとつの統一体として捉えられるようになる。しかも心は肉体を管理する働きをもつと考えられます。
 では心にはどのような機能が備わっているか。これが探求すべき課題となる。このほ本ではデカルトとパルカルの例を検討した後で、ひとつの頂点のような存在としてカントが登場する。カントにおける心は、感性や悟性、構想力といったファンクションから成る。ただし、そうした機能には限界もあることをカントは指摘している。面白いことに下西さんは、カントによる心の捉え方をコンピュータに喩えていて、これは腑に落ちる論じ方だと思いました。
 あとはこのモデルがどんどん精緻になっていく、というストーリーかと思えば、話は思わぬほうへ進みます。現象学を提唱したフッサールや彼に学んだハイデガーの議論では、カントで輪郭がくっくりしたように見えた心が、むしろ形を失って環境のなかに綻んでゆく過程が描かれます。さらにはヴァレラやメルロ=ポンティを参照して、身体を通じて環境(世界)とやりとりをするものとして心が捉えられるに至る。
 そこから第Ⅱ部の日本編に繋がっていきますね。日本では西洋のようにカチッとした概念で心を把握するというのとはまた違う在り方があった。『万葉集』や『古今和歌集』などの詩歌にあらわれる心、あるいは近代において心を文学と科学のあいだで捉えようとした夏目漱石の話も出てきます。」

(【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」〜「心が悲鳴を上げている」より)

「吉川/現代人はあまりにも過剰な役割を心に持たせてしまっていて、もはや個人では負いきれなくなっている。それゆえその仕事の一部を外部にアウトソースしたいから、AIにどんどん夢を託す状況があるんじゃないか、と下西さんは指摘されている。(…)

下西/僕たちはもう考える主体でなくともいいのではないか、ということが、AIの出てきたときに最も喚起される僕たちの感覚なんじゃないかと思います。その問題意識と同時に僕が考えたかったのは、AIは突如として登場した技術ではない、ということです。つまり、僕たちの意識には、外界で起きていることを表象して、内面に持ち込み、それらを情報として処理する機能があるんじゃないかと考えたからこそ、じゃあ情報処理するような機械を作れば意識がそこに生まれるんじゃないか、と進んでいった。この順序が重要だと思うんですね。じゃあこの思考を情報処理として捉える発想がどこから出てきたかというと、直接的にはアラン・チューリングで、もうちょっと遡ればライプニッツになるわけですが、僕は本に書いたように、その発想をソクラテスのなかに見出しました。ほとんど誰も読まないようなプラトンの『ピレボス』という対話篇のなかで、ソクラテスは「プシュケー(魂)」とは紙のなかに文字を書いたり、イメージを描いたりするようなものなんじゃないかと述べているんです。人間にはある種のメモリーがあって、そこにデータを書き込んでいく、そのデータの書き込み装置こそが「心」と呼ばれるものなのではないかと。ソクラテス以前のホメロスの叙事詩では、「プシュケー」には魂だけでなく、風とか大気の意味もありました。ホメロスの時代では、心はまだ人間の内側に閉じ込められてはいなくて、刻々と変化する環境のなかで、人間と環境の間にその都度、生起し、移ろい消えていくような出来事や現象としてあった。日本的な感じで言えば、それは「鳥と共にある」とか「風とともにある」とかいったかたちで発生するものだった。でも、ソクラテスは自分のなかに外界の出来事が書き込まれていくデータの情報処理プロセスこそが「心」だと考えた。そこからの必然的な帰結として、身体への侮蔑が始まります。」

(【鼎談】下西風澄×山本貴光×吉川浩満「心はどこから来て、どこへ行くのか」〜「人間の認識の歴史を辿りたい」より)

「お二人にうかがってみたいことがあります。『心脳問題』では議論を進めていくうちに、心や意識の問題を哲学か科学かという形而上学的な問題として扱うこと困難に陥る、という結論になっていきますよね。面白かったのは、その議論の後で、「心脳問題は社会へ向かう」と書かれていることです。そこから実際にエンハンスメント(心身への医学的・科学的介入、増強)の問題とか、精神疾患の問題とか、社会的な制度の問題に展開していくじゃないですか。僕の場合、同じような認識から、意識の哲学史みたいな方向に進んでいったんだなと思ったんです。

吉川/なるほど、我々は袋小路の先で社会に、つまり横に向かったわけだけど、下西さんは縦というか、歴史に向かったわけですね。そして、どちらも現在の我々を規定する条件をあらためて考えようとした。

下西/ええ。おうかがいしたかったのは、「社会へ向かう」となったときに、山本さんであれば、西周や漱石の作品そのものを対象にするのではなく、あえて「文学論」を取り扱うなど、人間が意識を表出するときのテキスト的な環境に注目し、あるいはそれを博物学的な視野で捉えて議論を展開されていった。吉川さんであれば、『理不尽な進化』(ちくま文庫)で、進化論そのものではなくて、人間がいかに進化論を受容していったのか、進化論がいかに生命観や人間観を変えたのか、という問いを立てて、考察を展開されている。つまり、お二人とも真正面から問題を扱うのではなく、その問題の語り方そのものを考え直さなければならないのではないか、これまでとは別の語り方を発明しなければならないのだ、という問題意識を持たれて活動されてきたと僕は捉えているのですが、その点をご自身ではどのように考えられているのでしょうか。

吉川/完全におっしゃる通りです(笑)。ときどき想像するわけですよ。私が別の関心、別の能力、別の資質を持っていたら、専門家になって神経科学の研究をしたり、DNAを解析したりしていただろうなと。でも、私はそういうんじゃないんだよなぁというところから、自分なりのやり方で人間の脳や心や意識について語ってみたいと思っているんです。山本くん、どうですか?

山本/下西さんのご指摘のように、吉川くんにしても私にしても、ある問題に関心を持った場合、その語り方や条件に遡って考え直すということをしている気がします。私は「専門は何ですか」と聞かれると、このところは「学術史です」と答えています。言い換えると、分野を問わずさまざまな学術において人があれこれ対象についてどのように認識してきたかについて認識したい。人間が過去に何を認識してきたか、その認識のあり方を辿り直すことに興味があります。なにかそのような視点から見えてくるものがあるんじゃないかと思ってのことでした。」

(『葬送のフリーレン(10)』より)

「なんの感情も
 湧いてこない。
 やはり俺には
 理解できない
 感情なのか?」

「なるほど
 〝悪意〟や
 〝罪悪感〟か。

 きっと魔族は
 〝悪〟という
 概念自体が
 わからないん
 だろうな。

 そのほうが
 幸せだ。」

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