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保科英人 (著, 編集), 宮ノ下明大 (著), 高田兼太 (著)  『「文化昆虫学」の教科書:神話から現代サブカルチャーまで』

☆mediopos-2475  2021.8.26

「文化昆虫学」は「人々の精神的活動、あるいは
様々な文化事象に現れる昆虫を対象に、
人々に対する昆虫の影響や昆虫に対する人々の認識
などについて研究する学問」だという

「文化昆虫学」について知ったのは
比較的最近のことでしかないがそれもそのはず
その歴史は半世紀弱しかなく
いまでもあまり知られているとはいえない
だからその「教科書」が書かれたというわけだ

個人的には田舎の少年にありがちなように
ギンヤンマやカブトムシなどをはじめとして
虫採りに精を出していたころから
それなりに関心をもってきて
最近もカメラをもってあれこれ野山で
昆虫探しなどもしているが
「文化昆虫学」的な視点はあまりもたずにきた

読み進めてみるとずいぶんと面白い
とくに「現代サブカルチャー」には疎いので
意外な発見もたくさんある
「役に立たない」でいられるテーマなので
教育色のない「教科書」なのがとてもうれしい

さて本書の巻末には
「昆虫文化史年表」があって
それをながめるだけでもずいぶんと面白い

一番最初には紀元前六世紀の中国の記載がある

「中国の斉の壮公の車の前で、
一頭のカマキリが前脚を振りかざす。
このことから「蟷螂の斧」との故事が生まれる」

そして年表の最後にあるのは二〇二一年のこんな項目

「TVアニメ『蜘蛛ですが、なにか?』放送開始。
 女子高生がクモに転生する異色アニメ」

年表に多く記載されているのは
特に明治期から現代までの項目である

近現代の材料が入手しやすいこともあるが
明治期以降の昆虫についてはこれまで
あまりとりあげられてこられなかったこともあるのだろう

たしかに『源氏物語』や『枕草子』
『堤中納言物語』収録の『虫愛づる姫君』に描かれた昆虫や
江戸期の昆虫図譜
そして江戸城への鳴く虫献上の事情などについては
どこかで目にしたことがあるが
そうした項目以外はほとんど初見ばかりである

さて著者は「日本トンボ学会の会員」でもあるということで
トンボへの思い入れはとくに強いようだ
引用紹介部分ではそこから少し引いてみることにした

興味深く感じたのは
日本人とトンボの関係である

童謡の「赤とんぼ」からイメージされる
「トンボを季節の風物詩とする、現代に近い感覚」は
近代以降になってからのようだ
もちろん欧米のように
トンボを悪魔のように忌み嫌ってきたのではないものの
蛍や蟋蟀ほどには一般に親しまれてはこなかったようなのだ
著者はトンボに思い入れが強いぶんだけ
トンボが蛍や蟋蟀の後塵を拝しているのが悔しいのかもしれない

ともあれ日本人の虫との関係や意識
そしてその変化をみていくといった「文化昆虫学」の視点は
わたしたちの心の底にある見えない意識の姿も垣間見せてくれる

各種昆虫図鑑も必須アイテムだが
文化昆虫学の教科書もその横においておくと
意外な発見へと導いてくれることもありそうだ

■保科英人 (著, 編集), 宮ノ下明大 (著), 高田兼太 (著)
 『「文化昆虫学」の教科書:神話から現代サブカルチャーまで』
 (八坂書房 2021/8)

「文化昆虫学は、一九八〇年代にアメリカのホーグ(Hogue)博士によって提唱された、半世紀弱の歴史しかない、新しい学問である。人々の精神的活動、あるいは様々な文化事象に現れる昆虫を対象に、人々に対する昆虫の影響や昆虫に対する人々の認識などについて研究する学問である。」

「人々は、自然からインスピレーションをえることで昆虫のイメージを様々な文化事象に表象させている。すなわち、文化昆虫学の研究によって明らかになっていくのは、端的に述べれば昆虫に向けられた人々の自然観である。
 では、昆虫に向けられる人々の自然観を明らかにすることには、どのような意義があるのだろうか? 文化昆虫学は基礎学問、趣味的学問であるため、残念ながら人々の生活に直接的に役立つものではない。しかしながら、こういった基礎学問は、何らかの形で人々の生活に寄与するような研究に活かされる可能性はある。たとえば、近年、環境破壊などにより、生物多様性が急速に失われている中で、生物多様性を保全することの重要性が保全生態学などの分野で主張されている。生物多様性の保全を行うには、保全対象となる生物の生物学的な研究が必要となるが、多くの人々に生物の保全に取り組む意識がなければ、実践的な保全は不可能である。したがって、そのためには、保全すべき生物を主体とした研究だけではなく、人々の自然観を理解し、それに応じた教育・普及を行うことが大切である。
 これまでの保全生態学における研究事例の多くは、保全すべき生物を研究主体としたものがほとんどであった。文化昆虫学の研究によって、昆虫を対象とした人々の自然観を明らかにすることは、人々の昆虫に関する教育・普及のあり方や。昆虫の多様性の保全などの分野に応用されていくことだろう。(・・・)
 もっとも、仮に文化昆虫学が社会に何の役に立たなくても、それはそれでいいだろう。」

「日本で文化昆虫学が紹介されはじめたのは、一九九〇年代初期から二〇〇〇年代初期にかけてのことである。その当時、日本において文化昆虫学をけん引してきたのは、三橋淳、小西正泰、奥本大三郎、松香光夫、梅谷献二、田中誠、加納康嗣らであった。」
「しかしながら、彼らが文化昆虫学を紹介するにあたっては、古典的な文化や上位文化(教養的文化)を大きく取り上げる傾向にあり、近代や現代の大衆文化にはほとんど目を向けていなかった。ざっくばらんにいうと、二十一世紀初頭で既に高齢だった世代は、振興文化のマンガやTVゲームに関心を持てなかった。また、それぞれの研究事例は、その多くが各文化ジャンルにおける文化事象を紹介するに留まっていた。」

「『源氏物語』や『枕草子』、平安後期以降成立の『堤中納言物語』収録の『虫愛づる姫君』に描かれた昆虫、江戸期の昆虫図譜、江戸城への鳴く虫献上の事情などについては、従来よく調べられていた。しかし、明治・大正・昭和戦前期の日本人と昆虫との関係や、現代アニメやゲームにおける昆虫の役割は、ろくすっぽ研究されてこなかったのである。」
「筆者の強みは近現代の材料にある。その近代期は明治以前よりも、はるかに多くの文献資料が残されている。維新以後に生まれた新聞紙や大衆雑誌はその事例だ。」
「現代サブカルチャーも同じである。どの特撮、どのアニメ、そのゲームに昆虫が登場するかを手っ取り早く知る方法はない。一本でも多くの作品を見て、片っ端にメモを取るしかないのだ。なお、筆者に特撮を見る趣味はない。それは宮ノ下氏の担当である。」
「ただ、本書は文化昆虫学の教科書だ。近現代の材料とだけ向き合うわけにはいかない。そこで、筆者は日本最古の歴史書『古事記』『日本書紀』に始まり、平安・鎌倉・室町前期の勅撰和歌集、そして江戸期の文学などなど、広い時代の文献を漁った。」

(「第1章 トンボ」より)

「筆者は日本トンボ学会の会員である。また、福井県環境審議会野生生物部会長でもある。そのおかげで、絶滅危惧種のトンボの生息状況の悪化は否応なく耳に入ってくる。人口や国際的地位と同様、我が国のトンボの生息状況は絶賛右肩下がり中である。では、トンボの文化的な地位はどうか? トンボはその形状からして、安価な日用品のモチーフにはなりにくい事情がある。」
「一方で、トンボを嫌い、気持ち悪いと感じる日本人は極めて少数派だろう。トンボはずいぶんと数が減ってしまったが、それでも大都市の公園に池さえあれば、シオカラトンボぐらいなら生息している。」

「上田哲行編『トンボと自然観』には、古今東西のトンボの民族、芸術、方言、俳句などに関する概説が収録されている。(・・・)よって、本章は『トンボと自然観』との重複を避け、近代新聞と陸海軍、そして現代サブカルチャーという、従来とは異なった観点で文化蜻蛉学の考察を試みた。」

「筆者は日本トンボ学界の末席を汚す身、トンボに肩入れしがちである。だが、日本人とトンボの関係については一考を要する、と考えている。日本神話には雄略天皇と蜻蛉の故事あり、戦国期にはトンボが描かれた陣羽織あり、近代にはトンボが詠まれた短歌・俳句少なからず、童謡『赤とんぼ』は世界のトンボ学者が愛する日本屈指の名曲、現代アニメでは赤トンボは秋の情景に一つである、よって日本人は常にトンボと歩みをともにした民族なり、と単純に結んでよいのかは疑問を残す。
 日本人が庶民レベルでトンボを夏ないし秋の季節の象徴とみなし、郷愁を覚え始めたのは、近代以降であると筆者は認識している。その理由は、近世の文学諸作品にどこかトンボへの冷淡さが読み取れるからだ。もちろん、人にとっては、俳句や連歌が流行した室町時代には、トンボを季節の風物詩とする、現代に近い感覚が民間に確立していた、と反論される人もおられるだろう。それはそれでよい。しかし、日本文化史上で大きな重みをもつ平安王朝文学では軽視され、近代陸海軍ではヘボ虫扱いされたトンボ。古代から現代に至るまで、一貫して季節の風物詩としてあり続けたホタルや鳴く虫と比較すると、日本人とトンボの関係は決して平坦な道のりではなく、紆余曲折があった。
 現代人は童謡『赤とんぼ』で描かれる、故郷と季節への強烈な想いが日本人のトンボへの伝統的な感性であると思いがちである。しかし、そうではない。トンボに郷愁を重ねる感覚は、意外と年季が入っていないのだ。日本人から向けられる愛情との点で、トンボは、ホタルや鳴く虫の後塵を拝しているというのが筆者なりの結論である。」

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