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『三つの鏡/ミヒャエル・エンデとの対話』(河合隼雄)

☆mediopos-2413  2021.6.25

引用したエンデと河合隼雄の対話は
1989年に行われている

対話のなかでエンデは
「これから二十年、三十年、四十年先に」
という危惧を表明しているが

すでに対話から30年以上が経ち
ここで示唆されている
「自然科学が犯している大きな間違い」が
原子力の問題につづき
今度は生物学的な医療の問題として
いまわたしたちに
「この上なく過酷な教訓」として
投げかけられている

それはmediopos-2411(2021.6.23)でふれたように
「自分で学ぶ」こと「自分で癒やす」ことを
スポイルし続けている結果でもある

そこには対話のなかでもあるように
「自己自身を例外にして外におく」という
「認識論にかかわる問題」が根幹にある

専門家の世界が
「全人的な人間形成をする場ではなく、
単にある分野で有用な人を養成する場」
となってしまったことで
その専門家の権威に従うことが常識化され
しかもその生みだした「結果」に対して
だれも責任を負わない結果を導いてしまう

「自然は問いを受けたと同じやり方で答えを返す」
とゲーテが示唆していたように
現在のコロナ禍が起こしていくであろう「結果」も
専門家は「自分が用いている学問方法自体が
最初から明らかに暴力的であって、それは必ず
暴力的な結果を生み出すということを」自覚しないまま
「そんなはずじゃなかったという顔」をするばかりだろう

「古代の言語はすべて真言」だったとエンデは語っているが
現代の言葉は「奇妙なまでに抽象的で空疎な言葉」となり
そこに言霊は宿らなくなってきている
どんな嘘ももっともらしい言葉でさえ語ることができる
昨今は政治がその先導役とさえなっているが
自分(の真実)を忘れて恥じない言葉は
いったいどこへ向かおうとしているというのだろう

■ミヒャエル・エンデ(井上ひさし・安野光雅・河合隼雄)
 『三つの鏡/ミヒャエル・エンデとの対話』
 (朝日新聞社 1989.11))

(ミヒャエル・エンデ+河合隼雄「「普遍的な父」との闘い」より)

「エンデ/自然科学が犯している大きな間違いは、学者が、いま学説を立てている瞬間瞬間の自分自身を忘れてしまうことです。自分を忘れるということは、時にはすばらしいことです。しかし、認識論にかかわる問題では、それは度しがたい間違いになります。二十世紀は学問という名の権威に盲従する世紀になってしまい、新聞などに「学問が今日示すところでは……」という決まり文句が出てくるとみんなひざまずいて、「ああなるほど、学問の結果だ」と従います。その学問たるや、何でしょう? 私がいつも目にするのは、大体がまず、一つの分野で少なくとも十ぐらいの学派がお互いに争っている実情です。これだけでも盲従する理由はないのに、加えてこの認識論上の問題があるわけです。つまり学説を提供する学者自身、人間であって客体ではない。学者自体が客体だとしたら、世界の進歩もなくなるわけですからね。
 私が尊敬する学者は、自己自身を例外にして外におくのでなく、自己認識をなしつつ学説を立てる学者です。たとえば、「物理学は自然の一部だ。その一部を、あたかも独立したものであるかのように研究する」という物理学者います。その人を私は尊敬しています。二十一世紀に向かう学問は、決定的に変わって行かなければならないと思います。
河合/私は大賛成です。私は自分自身では、さっき言われた科学、ヴィッセンシャフトをしていない数少ない学者の一人だと思っているんですが。(笑)今までの西洋のヴィッセンシャフトというのは自分を除外してやってきた。ところが今度、自分も入れたヴィッセンシャフトというのはやっぱり可能だと思います。しかし、それは大学で育つでしょうか。
エンデ/非常に難しいでしょうね。
(…)
今日の学校制度、特に大学制度は、学生が自分のやっている学問についての考えを巡らすことを許しません。化学専攻の学生は化学的に考えることを学び、物理学専攻の学生は物理学的に考えなければなりません。彼らは、自分の化学とか物理学という学問自体について考えてはならないのです。つまり、今日の学校というのは、全人的な人間形成をする場ではなく、単にある分野で有用な人を養成する場になってしまいました。
河合/だから、たとえば化学とか物理学自体について考えようとする学生は成績が悪くなるんです。その人たちは時には神経症という名前さえ貰います。その人たちが私のところへ相談に来るわけですが、私はその人がノイローゼであるとは思わなくて、この人たちは社会の病を引き受けて来た人だというふうに考えます。
エンデ/同感です。狂ってしまった世界では、狂った反応をする人のほうが、いわゆる正しい反応をする人より多くなりますよ。
(…)
 この自然科学の問題に関して、みんながまだ十分気づいていないと思われることを申し上げます。自分の用いている学問方法がどれほど暴力的であるかに気づいている学者が少ない。自分の研究成果がもとになって原爆のようなものができたと聞いたとき、彼ら自身びっくりして、そんなはずじゃなかったという顔をします。そのときになって「えっ?」と驚くなんて、恐ろしくナイーヴだと私は思います。自分が用いている学問方法自体が最初から明らかに暴力的であって、それは必ず暴力的な結果を生み出すということを自覚すべきだったのです。ゲーテが言っています。「自然は問いを受けたと同じやり方で答えを返す」。自然に対して畏敬の念をもって問いを発したなら、やはり畏敬と尊敬から生まれる答えを自然は返してきます。けれども、私が自然界に歩み寄って、まるで金庫の鍵をグッと開けるようなやり方で対したなら、結果として犯罪的な答えが返ってきます。それに加えて、およそ自然科学者たちは、自分の研究に一体だれがどれだけのお金を注いでいるかすらも、問わないのが普通です。もし学者、特に自然科学者たちが、自分の研究がどういうふうに、だれのお金で賄われているか、知っていれば、最終的には研究結果が軍隊や企業に使われると聞いて驚く必要はないのです。そのことを考えるだけでも、人類がこれから二十年、三十年、四十年先に生き延びるためには、実に多くのことがいま変えられなければなりません。私たちが本当に自発的で自由な洞察をしてこの変革を行わないと、悲劇的な結果がやってきます。それはこの上なく過酷な教訓になるでしょう。」

「エンデ/最初の私に日本旅行で思い出すことがあります。ある公園で大きな木に注連縄が巻いてありました。「こういう注連縄をどうして木がつけているのか」と案内の人に尋ねますと、「この木が神だからです」。善意あるヨーロッパ人としての私は「なるほど、この木の中に神がすんでいるのか?」と。(笑)すると「いいえ、木自身が神なのです」。ヨーロッパ人が自動的にしてしまうこの反応が、アジアにはないことに、そのとき初めて気がつきました。私たちはいつも分けてしまう。彼岸と此岸というのも分けてしまう。それがアジアにはない。
 意味なきファクトの上にのっかる世界像のことを私はマテリアリズムと名付けています。ヨーロッパでも中世にはすべてが意味を持っていて。食べ物の一つ一つにも、日常の仕事の一つ一つにも、全部意味がありました。その意味の関連を壊してしまったときに、ヨーロッパでも問題が始まりました。事実というものがみんな意味を失ってしまう方向に、二十世紀まで進んできたわけです。ヨーロッパの典型的なニヒリズム、つまりすっかり空虚さを感じる地点にまで至ってしまいました。そういうことからヨーロッパとアジアは相互に補完しあう世界だと思います。
 日本の仏教にも「真言」という言葉があるようですが、もとはと言えば古代の言語はすべて真言でした。ギリシア語にしてもヘブライ語にしても、古高ドイツ語にしても、音そのものがすでに意味の世界そのものと結びついていました。十八世紀でもまだ、ゲーテやヘルダーリンの言葉は少なくとも心とそのまま直結していた。ところがその後、奇妙なまでに抽象的で空疎な言葉になりました。抽象概念を使って哲学するには役立つが、生のリアリティーを表現することのできない言葉になった。(…)
河合/さっきの「木の中の神」でおもしろかったのは、ヨーロッパの人は木の中の神をファンタジーとして書けるんです。日本人は木がそのまま神でしょう。木を書いているのか、神を書いているのか、分からなくなるんです。
エンデ/だからアジアにはヨーロッパの神学に似たものはないわけです。あの恐ろしいほどの神学大系と同類のものは、仏教にないし、まして神道の場合にはありえないわけです。
河合/神道は本来的には教理なんかないんです。

エンデ/理由は、感覚世界と超感覚世界との切り離しがアジアにはないからです。二つの世界が相互に浸透しあっている。いわゆるはっきり五感で知覚できる世界と、知覚できない世界というものを、そんなにはっきり分けて考えなくても、混じり合っています。ヨーロッパの場合は、。その切り離しの前提があるために、詩人は二つを一つにしようとする試みを続けます。ヨーロッパの芸術のそもそもの努力目標は、いつも知覚できる事実と意味の世界とを一つにしようとする試みです。
(…)
 要するに、ヨーロッパ人たちは、宗教の真理と自然科学の真理という二つの真理を持つことになって、それが一つの屋根の下に納まらない状況下に生きています。この二分極性の典型的な例がルターです。彼はこの問題をしっかり見ていて、一方には啓示の真理があって。それは理解するのではなく、信じるしかない。他方には、いわゆる合理的で理解できる真理があるが、こっちを神の啓示の真理と混同してはならない、と言っています。以来、ヨーロッパはその相克を引きずりつづけています。」

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