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君塚洋一『選曲の社会史/「洋楽かぶれ」の系譜』

☆mediopos-2452  2021.8.3

人の集まる場所の多くでは
よく音楽(BGM)が流されている

その質も環境もさまざまだが
なんらかのかたちで
音楽を「選曲」している人が
そこには存在している

BGMは半世紀ほど前から
あたりまえのように流されるようになり
はじめはただ賑わいづくりなどのため
適当に流されている音楽だったのが
どんな音楽を流せば効果的なのかが
戦略的に考えられ始めるようになってきてもいる

かつてエリック・サティは1920年代
『家具の音楽』といわれる室内楽曲を作曲したが
それはそこに流れていても日常生活を妨げず
意識的には聴かれることのない
まさにそこに置かれている「家具」のような音楽であり
BGM(バックグラウンドミュージック)の祖とされている

どの時代のどんな場所に
どんなBGMが流されてきたのかを一覧にすれば
人々の意識の変化が見えてくるだろうし
それがこれからどのように変化していくかも
示唆するものとなるだろう

この半世紀ほどのあいだ
音楽に対する意識は大きく変化してきた

いわゆる「洋楽」といわれる音楽が
ヒットチャート的な現象を生み
そうした音楽によって
その時代が甦ってくることにもなっている

しかしかつて特に六〇年代には
政治運動や芸術運動などとも
関わり合ってきた音楽が
時代を追うに従って
そうした文脈から切り離されて
受容されることが多くなってゆく

そしていまでは音楽はデジタル化し
インターネットと結びつき
「音楽を手にする人は誰もが「選曲」をしている」
という状況となっているが
かつて時代とともにあった音楽から
時代が抜け落ちたまま受容されるようにもなっているのだ

かつてはあまり自覚的ではなかった
店舗等でのBGMの「選曲」も
最近ではさまざまな取り組みが
なされるようになってきている
それには実際的な効果があるのだとしても
人の集まる場所の多くで
BGMが流されているということ
そのものへの問題意識はまだ稀薄のようだ

ごく個人的にいえば
聴きたい音楽は聴きたいように聴きたいものの
いつでもどこでも聴いていたいわけではない
そのために人の集まるところを避けて
「家具」としての音楽さえ
流れていない静かな場所で過ごしたり
自然の音だけしか聞こえない場所にも行きたくなる

音楽が夥しいまでに
溢れている時代だからこそ
そうした音楽のない環境をも考慮した
「家具の音楽」ならぬ「無音の音楽」ともいえる
音環境も「選曲」として
考えていく必要があるのではないだろうか

■君塚洋一『選曲の社会史/「洋楽かぶれ」の系譜』
 (日本評論社 2018/3)

「極東の国のありふれたスーパーマーケットに、亡命先のロンドでのやるかたなき思いを謳ったアーティスト、カエターノ・ヴェローゾのカヴァー曲が流れている。「A Little More Blue」。こよなく愛した静かな浜辺や椰子の木の木陰を後に収監され、祖国ブラジルを追われた。でもなぜ、今の自分があの時より少しばかりブルーなのか、ぼくにはわからない・・・・・・。
 一九六〇年代、地方の伝統的なブラジル音楽を再評価し、ロックやR&Bなどを大胆に取り入れた革新的芸術運動「トロピカリズモ」を主導したカエターノらは、反体制運動を首謀したかどで軍事政権から国外追放処分を受けた。もちろん、地球の裏側のこの国に、半世紀近く前の彼の憂鬱を気にとめる買い物客などいようはずもない。
 陳列棚にひしめくブランド・パッケージの列に壮大な蛍光灯の光が瞬き、夕餉の菜を思う客たちの気分に満ちた都市空間にカエターノの物憂い調べが織り合わされるとき、そこには特別の時間が流れる。ヒット曲のインストゥルメンタル、スムース・ジャズ、バロック音楽、どんな居心地の流れを作るかは、有線放送のチャンネルひとつで意のままだ。
 店舗だけではない。オフィス、エレヴァーター、コミュニティ、発車間際のプラットフォーム、居間のテレビ番組のエンディング、楽隊とローカル放送の整った軍駐屯地、オーケストラ・ビットを使った舞台の上演。音楽が生のさまざまな時間と空間を横断する現在、そのような場に充たされる音は、二一世紀の現実を生きる私たちの人生を固有の瞬間にする。
 作曲家やミュージシャンは音楽のクリエイティヴィティを制御する。だが、音楽そのものと、それが流れる時間や空間は織り合わされ、そこを通り過ぎる人々の生の流れを充たす「場の空気」の一部となる。人々が立ち現れふるまう折々の場に充たされる音楽、そして、そんな場の空気の制御にかかわる音楽群をデザインする人々。そう、そこには「選曲家」たちがいる。」

「CMソングや放送局のジングル、番組テーマ曲など、繰り返し流され、頭に焼き付いて離れない音楽を人は不快に思う、と言われる。だが、定説とは反対に、脳裏を離れなくなった歌を好きだと言う人は比較的多くを占める、というデータもある。そして、楽しい思い出と関係のある歌は何度聞いても飽きないという。」
「忘れがたくすり込まれ、人生や生活のある場面とわかちがたく結びつけられる、そんな音楽が身のまわりにはくつもある。そしてそれは、必ず「誰か」によって選ばれている。」

「音楽を手にする人は誰もが「選曲」をしている。
 音楽を手にする人は、曲を選び、発掘し、聴き、響かせ、並べ替え、語って、どこかで誰かに必ず影響を与えている。アーティストであれ、DJであれ、選曲家であれ、音響技師であれ、叔父や同級生や隣のお姉さんであれ、あるいは一人のリスナーであるあなた自身であれ、誰かが音楽を手にする行為は、そんなふうに大なり小なり「選曲をすること」にほかならない。
 では、いったいどんな音楽が選ばれるのか。この「極東」の国の場合、それは海を渡ってやってきたのがどんな音楽だったのか、そしてそれを私たちがどんなふうに受け止めてきたのか、その顛末に大きく左右されている。
 誰かが選んだ音楽にどこかでさらされることで、私たちは、不都合なことを忘れ、日常生活のかりそめのバランスを保ち、音楽に包まれた商品や空間に価値を感じ、モノやサーヴィスを滞りなく買い求め、言葉で語れない人生を記憶する手がかりを得、さらに、人に聴かせたいと願う自分自身の音楽のかけらを手に入れることになる。」

「生活のなかに鳴り響く音楽と人とのかかわりは、二〇世紀末にジョゼフ・ランザが大著『エレベーター・ミュージック−−BGMの歴史』で示したような世界が、さらに高度に現実化していくさまを見せている。
 この国だけでも数千万曲に及ぶといわれる膨大な楽曲がクラウド・システムから「降りてくる」時代には、個々の楽曲を生んだ人々やいきさつはたやすく捨象され、人手であれ、プログラムであれ、それらを等しなみに、そして人の嗜好に添うように並べ返す営みをますます必要とするようになるし、そうした音楽を原体験とする新しい聴き手や作り手が生まれていることもあきらかである。
 洋楽や、洋楽の影響を受けた邦楽、あるいは邦楽の影響を受けた「洋楽」がどこからやってきたのかということにさして頓着なく音楽を楽しむ昨今のリスナーの姿勢にも、そのなによりの兆候をみてとれるかもしれない。
 かつて、雪崩を打ってすすむアメリカ社会の都市化に背を向けるように、アンドリュー・ワイエスはメイン州の片田舎にたたずむ農家の姉弟を素描と水彩に描き続け、ジョーン・ディディオンは「中心が保てない」社会の到来を告げるような、カウンター・カルチャーの嵐吹き荒れる一九六〇年代のサンフランシスコ、ヘイト。アシュベリ地区で起こりつつあったことを凝視していた。自分自身を作った社会秩序の崩壊や変転に対する複雑な心境を、いつの時代にも人は感じてきたし、そのことが過去と現在を何らかのかたちでとどめておこうとする衝動を生むのも、もちろんどんな世紀にもみられることだろう。
 おこがましいかもしれないが、本書を書きながら私自身が感じていたことは。もうひとり、かの国の作家をあげれば、アラム・サローヤンが書き記してくれている。
「この時代(一九六〇年代)には、過ぎゆく場面の任意の詳細な事実のなかに歴史のどよまきをとらえたと思われた瞬間があった、貝殻に耳をあてると海の轟音をとらえられるように。そのような瞬間にふくまれるうきうきした気分−−−−それも、いわば、時代の潮流とともに変化する−−−−があり、そして六〇年代以降の年月がそのような瞬間はいかに稀であるかと明らかにした。生涯にそれが起こったとすれば。よきにつけ悪しきにつけ、それは私的な面と公的な面が溶け合っているその出来事を通過したという特別な記憶をその人に印する」」(中上哲夫訳『ニューヨーク育ち−−−−わが心の六〇年代』」

◎カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso):A Little More Blue
Released on: 1971-01-01



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