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野本 寛一『言霊の民俗誌』

☆mediopos-2505  2021.9.25

口誦・口承の文化が
次第に失われてきている

かつて日本は
「言霊の幸はふ国」だった

言霊は呪言でもあり
そこに込められた霊力・呪力によって
病や災いを遠ざけ
安寧な暮らしをもたらそうとし
それが「口承されやすい口誦句」として
庶民の知恵を伝えていくメディアともなっていた

それらの言霊は
文字や記録ではなく
口誦・口承によって伝えられてきた
やがて江戸時代にもなると
文字が使われるようになってはきたが
「山深いムラ・海辺のムラ・離島などにおける
文化伝承の主流は、口誦により、口承によっていた」

本書で紹介されている資料は
「明治二十年代生まれから、昭和十年代生まれ」の方が
語り聞かせてくれたものだそうだが
それ以降の時代に生まれた世代では
「活字・ラジオ・テレビ・ファックス・インターネット」
といったメディアが浸透するにつれ
そうした口誦・口承は急速に衰退してゆく

たとえかつての口誦・口承が
記録として残されるとしてもそれはすでに
「言霊」としての力を持ちえなくなってくるだろう

もちろん失われるものばかりではなく
新たに得られるものもあるだろうが
現代の人たちの多くはそうした口誦・口承の文化ではなく
さまざまなメディアによって発信されたものだけを
世代ごとに共有していくかたちでの
生活文化しか持ちえなくなってきている

政治家やメディア人たちの使う言葉をみるだけでも
現代の言葉がとても軽々しいものであることがわかる
「言霊」としての言葉という観点からすれば
言葉の力はあまりにも貧しく刹那的だ

言霊が大きな力をもっていた古代
仏陀はみずからの言葉を書き記さなかった
イエスや孔子もまた同様である
その時代にはすでに
文字で記録することもできたはずだが
弟子たちによる言行録というかたちでしか
記録としては残されていない

現代的に考えるならば
教えを正確に伝えようとすれば
みずからの言葉そのものを記録するほうが
誤解をうけずにすむと考えられそうだが
そうはしなかったということに
深い意味があったのではないだろうか

「言霊」は働きそのものであって
生きた働きとしてそれを伝えようとすれば
それは直に働きかける必要がある
かつて文字をもたない南米の先住民は
西洋からもたらされた文字を悪魔ととらえたそうだが
たしかに文字はすでに死んだ言葉でしかない
死んだ言葉である文字を使うのは悪魔の仕業なのだ

その意味からすれば
「言霊の幸はふ国」であるためには
生きた働きとしての言葉でなければならない

参考までに本書から
「無言の物忌み」のところを引いてみたが
ある神事においては
「人間の言語だけ」ではなく
「〈万象の言語〉を忌む」ことさえ行われた

「言霊」の力をたしかなものにするためには
現代のような言葉の垂れ流し状態の対極にある
「無言」「沈黙」が必要だということだろう
そうしてはじめて
「言霊の幸はふ国」は可能となるのだが・・・

現代にあらたに
〈ことばの力〉を甦らせるためには
なにが必要なのだろうか

■野本 寛一『言霊の民俗誌』
 (講談社学術文庫 2021/7)

「文献記録によらない、口頭伝承によって伝えられた常民の生活文化を研究対象とする民俗学の使命を考えるとき、「口誦民俗」という分野に注目しなければならないのは当然であろう。
 本書に収めた諸資料を語り聞かせてくれた人びとは、明治二十年代生まれから、昭和十年代生まれにまで及んでいる。明治二十年代から三十年代にかけて生まれた方々の場合、両親が江戸時代生まれであることが考えられるし、子守りをしれくれ、日常生活をともにした祖父母・曾祖父母は確実に江戸時代の生まれであった。
 もとより、江戸時代には文字も記録も存在したのであるが、山深いムラ・海辺のムラ・離島などにおける文化伝承の主流は、口誦により、口承によっていた。その方法は、基本的には太古以来のものだと言ってもさしつかえなかろう。時を遡るほどに口承の色あいは濃かったのである。口承という方法に頼らなければならず、それに重きを置いてきた人びとと、活字・ラジオ・テレビ・ファックス・インターネット時代に生きている人びととの間には、口誦・口承に対する認識において大きな隔たりがある。
 口承に重きを置いた人びとの、ことばの生活の豊かさは、活字と電波メディアに漬かって育った世代には想像もできないほどである。伝承・伝達を、口誦・口承に頼らざるを得なかったからである。口承の定着をより確かなものにするためには、まず、事象の核心を要約し、正確に示すことのできる、快適で効果的な口誦句を生み出さなければならない。口承された口誦句には、先人たちのくふうと、対句・対語・同音反復・音数律・縁語・掛詞などの多様な表現技巧が自然のうちに積み重ねられている。庶民の知恵と言語感覚の集積が、さらに時の流れの中で濾過され、口承されやすい口誦句となったのである。文字記録の徹底、マスメディアの浸透・公教育の普及、さらには、生産集団としての家庭の崩壊、地域共同体の紐帯の弛緩、経験重視の作業形態から、能率重視で機械化・画一化の著しい生産製造方法への転換----こうした状況の中で、口誦・口承要素が急速に衰退してゆくのは当然のことである。
 右に見た通り、口誦は口承・伝承の大前提なのであるが、口誦の力はそれのみではない。口誦することによって、ことばに内在する霊力・呪力を発現させ、呪的目的を達成したり、口ずさむことによって暮らしや行為に折り目をつけるといった「ことばの民俗」も多様であった。日本人は、おのが国を「言霊の幸はふ国」と自任し、長い代打、ことばとそれにかかわる文化を守り育ててきたのだった。
 先にふれた通り、現今の社会状況は、口誦・口承の衰退を招く条件がそろっているのであるが、わが国のことばの生活は、衰退にとどまることなく、さらに悪化の状況を呈していると言ってもよい。無節操な外来語や略語の氾濫・粗野で稚拙な表現を電波に乗せて流行させるもの、省みることなくそれに追随するものの数の多さ、各層・各分野における「ことばの誓い」の軽々しさ、先人達が畏怖し、守ってきた言霊を自ら衰弱させるような傾向が著しい。このことは日本文化の衰退以外の何ものでもなかろう。日本は、急激な近代化の中で実に多くのものを失ってきたのであるが、文化の根幹にかかわることばの分野においても喪失したものは少なくなかった。」

(「五 言葉と禁忌/(一)無言の物忌み」より)

「益田勝実氏は、「言挙げせぬ」ということについて次のように述べている。「言挙げせぬ」ということが重視されるということに関しては、神事で物忌みの方法として沈黙がことに重きをなしていることも視野に入れておきたい。忌み籠もる人びとが終始物を言わないだけではないのである。出雲の佐太神社の御忌祭、長門の住吉神社・忌宮神社の御斎祭が数十年前までは、十五日間にわたって、近隣の集落もろとも一切の音曲停止を守ってきていた例なども考えに入れたい。神事で忌むのは人間の言語だけではない。〈万象の言語〉を忌むのだ」−−−−。」
「各地の神社で神事に奉仕する神職や神役達が口に榊の葉を銜えている様子が思い出される。これはもととり、捧持する御神体や御神宝に息や唾がかかることを防ぐものであるのだが、さらに重要な点は、榊の葉を口にくわえることによって無言・無声を証明することになっているということである。熊本県の阿蘇神社御田植神幸式に登場する「ウナリ」の覆面や、山形県庄内平野の覆面「ハンコタナ」などの起源は、邪視防止だと考えることができるのであるが、さらに古い時代、覆面で、特に口を覆うということが、無言を証明することになっていたとも考えられてくる。「耳ふたぎ」に対して、「口ふたぎ」の習俗が存在したことは否定できまい。」

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