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小田原 のどか『近代を彫刻/超克する』

☆mediopos-2583  2021.12.12

「彫刻」という言葉は
「芸術」という言葉とともに
一九世紀の終わり・明治時代にそれぞれ
〈sculpture〉〈art〉の訳語として生まれたが
それは「日本が近代を指向したために生まれた」

はじめは西洋文明を受け入れた「技術」を
意味していたのだが
一五〇年ほどのあいだに
特に「彫刻」において
その基本的な意味が変化している

本書の『近代を彫刻/超克する』というタイトルは
太平洋戦争勃発直後の一九四二年
雑誌『中央公論』および『文学界』において
論じられた「近代の超克」に由来している

「彫刻」とは彫り刻まれたものであるにもかかわらず
「それは掘り刻まれたものではない」

そのように彫刻は
「「それ」を「それ」たらしめる中心義を否定する」
そんな「彫刻を彫刻たらしめる沈黙と拒絶」という
「自己否定」をこそ「超克」するために
著者は「思想的課題」としての「彫刻」を語ろうとする

近代が生み出した「彫刻」は
きわめて「政治」的な産物なのだ

「為政者の威光をとどめておくため、
共同体における事物の記念、宗教神を祀るために」
彫像は造られ
政体の変化とともに
「指導者の彫像が民衆の手で引き倒され」たりもする

旧ソ連時代を象徴するレーニン像は破壊され続け
記憶に新しいところでは
ブラック・ライブズ・マター(BLM)による
彫像の引き倒しなどもあった

日本では「同一の台座の上で軍人像が
平和の裸体像へと転じた」ことさえあり
また露骨なまでの事件として
あいちトリエンナーレ2019での
《平和の少女像》についての騒動もあった

事例はさまざまだが
「彫刻」は政体によって造られ規定され
政体等が変わると破壊されもするように
「冠されたものに遅れて」「彫刻は事後的に存在する」
彫刻は「発見」され「拒絶」される存在なのだ

その意味で「彫刻」は
近現代の政体・共同体という名の偶像を
如実に映し出す思想的「偶像」としてとらえられる

そのように近代について云々する前に
「偶像」とはなにかを考える必要もあるだろう

「出エジプト記」に
「あなたはいかなる像も造ってはならない」
とあるように

『涅槃経』のなかで釈尊がアーナンダに自らの死後は
「法に依りて人に依らざれ、義に依りて語に依らざれ、
智に依りて識に依らざれ、
了義経に依りて不了義経に依らざれ」
そして「自らを依りどころとせよ」と示したように

イスラームにおいては偶像を禁じているように

禁じられているはずの「偶像」が
「彫刻」として造られ破壊される

わたしたちはさまざまなかたちで
「偶像」を作り上げている
そして「社会」「世間」の変化とともに
それをすげ替えたりもしている

その意味で「彫刻」をはじめとする
さまざまな「偶像」に映じているものこそが
わたしたちが問い続けなければならないものだ

まずは「偶像」が「偶像」であることに気づくこと
そこからはじめる必要がありそうだ

■小田原 のどか『近代を彫刻/超克する』
 (講談社 2021/10)

※巻頭のエピグラフより

「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない −−−−出エジプト記20:4、新共同訳」

「彫像はいつまでも沈黙のままにとどまっているので、ことばとエクリチュールの一神教は、まるで地獄を避けるように、彫像を避け、彫像を排除し、自分の信奉者たちに、偶像を憎み偶像を破壊するように命ずる。このようにして言語は、彫像の本来の場所を取り上げる。同様に、歴史的にも伝統的にも、彫刻もしくは肖像についてのいかなる哲学的・包括的な概論も存在しない。言語は沈黙について語ることはないからだ。 −−−−ミッシェル・セール(『彫像−−−−定礎の書』米山親能訳)

※以下、本文より

「彫刻、この困難について語りたい。彫刻とはなにか。それはどのようなものの名か。
「彫刻」とは本邦における sculpture の訳語である。明治の世、一九世紀の終わりに生まれた。sculpture とはなにか。それはラテン語scalpere(動詞・爪で掻く、彫る、刻む)に由来する。ゆえに sculpture とは技術の名称である。ゆえに彫刻とは彫り刻まれたものの名である。と、ひとまず言っておく。
 sculpture の訳語としての彫刻と同時期に、art の訳語としての「芸術」もまた定着する。アートの語源、ラテン語の ars (才能、技術、学問)はギリシャ語techne(技術)に相当する。そしてまたpictureは「油彩」、「洋画」、「絵画」と訳されるが、pictureが由来するラテン語picturaはpingere(動詞・着彩する)から派生した。さらにこの時期「日本画」という呼称も生じるが、これは「洋画」に対照された造語である。これら技術の名である訳語と造語は、日本が近代を指向したために生まれた。これが重要だ。
 一五〇年ほどが経つ。技術の呼称であったそれらの基本義が変わる。artisan(職人)とatrist(芸術家)が区別されるように、いまやアートとは技術の称ではない。彫刻も同様である。しかし彫刻の困難はartやpictureの比ではないのだ。どういうことか。それは掘り刻むという名において、まったくそれではないものが内包されているということにある。一例を挙げる。ロダンのブゾンズ彫刻は彫り刻まれていない。それでもなお、われわれはロダンのブロンズ彫刻を彫刻と呼ぶ。sculptureと呼ぶ。
 「それは掘り刻まれたものである」と言いながら、「それは掘り刻まれたものではない」と同時に言うこと。「それ」を名指しながら「それ」を「それ」たらしめる中心義を否定すること。そのようなことが果たして可能か。ゆえに彫刻は沈黙する。言語を拒絶する。だからこそミッシェル・セールが言うように「歴史的にも伝統的にも、彫刻もしくは肖像についてのいかなる哲学的・包括的な概論も存在しない」のだ。彫刻のこんなとはこのようなことである。
 わたしは彫刻を語りたい。
 言語によって、書くことによって彫刻を超克したい。彫刻を彫刻たらしめる沈黙と拒絶を、それを引き起こす当のものによって表したい。これはたんに芸術の一領域について記述するということを意味しない。
 歴史とは言語によって記述されたものを指す。哲学も同様である。それを拒絶し続けてきたのが彫刻だ。「それである」ことと「それでない」ことが一致する地点に彫刻は立っている。すなわち彫刻を語ることとは、そのような自己否定をこそ超克することである。(・・・)
 いまからここに書くものを、わたした「近代を彫刻/超克する」と名づける。これは「近代の超克」という名のとある座談会に由来する。日本が近代を指向したために生まれた名前、それが彫刻だ。ゆえに彫刻を語ることは、本邦の近代化とその困難について照射することに等しい。」

「彫像は、為政者の威光をとどめておくため、共同体における事物の記念、宗教神を祀るために造られる。ここには安定させること・固定させることへの希求がある。しかし歴史上、彫像はつねに破壊とともにあった。政体の変化は指導者の彫像が民衆の手で引き倒されることによって表される。あるいは物神崇拝と聖像破壊、そして近年ではブラック・ライブズ・マター(BLM)における彫像引き倒しを挙げてもよい。人の歴史とは、自らに似せたものを自らの手で壊し続ける道程であった。かようにわれわれの歴史は、われわれの像の破壊とともにある。」

「戦意高揚の彫刻、平和の彫刻、反戦の彫刻、建前はなんでもよい。冠されたものに遅れて彫刻はある。いつも、つねに、彫刻は事後的に存在する。だからこそまったく忘れられる。しかし彫刻がある意味はそこにある。否定され破壊されるとき、はじめて彫刻は発見される。拒絶が超克の標となる。

  文明の毒は「平和」の仮面のもとにはびこるのである。
  戦争よりも恐ろしいのは平和である。平和のための戦争とは悪い洒落にすぎない。[・・・]奴隷の平和よりも王者の戦争を!

 『近代の超克』に収録された亀井勝一郎による巻頭論文の結語である。ここで強調された「戦争」と「平和」とは表裏一体だ。その証左が同一の台座の上で軍人像が平和の裸体像へと転じたという事実である。かような変遷を彫刻は経験し続けている。彫刻の困難とは本邦が抱える困難とほとんど位相を同じくすると言ったのは、そのような意味においてである。だからこそ、本邦において平和の彫刻は可能かと問うことは、敗戦国における「平和」の欺瞞を検証する作業と等しい。
 彫刻、それは日本画近代を指向したために生まれた名前だ。「それである」ことと「それでない」ことが完全に一致する地点に立つものの名前である。彫刻はその場にとどまっている。しかしつねに否定されることで見いだされる。叩き壊され、爆破され、引きずり倒される。それでも何度でも舞い戻る。
 そのようなありようを、導きの糸にできないか。わたしたちの似姿がほかでもないわたしたちによって破壊され続けているということ、それこそがわたしたちの歴史だったのだと受けとめることはできないだろうか。
 そうであるとすれば、それが否定されることは何ら嘆くべきことでも、恐れるべきことでも、恥ずべきことでもない。彫刻は変わらない。彫刻を見る「わたしたち」が変わるのだ。彫刻は沈黙してはない。つねにこう言っている。あなたたちは変われる、と。そのことを、否定と衝突と破壊を繰り返しながら、わたしたちは今日も確かめ続けている。そのような作業を「近代を彫刻/超克する」とわたしは呼ぶ。」

「二〇一九年の夏、《平和の少女像》といくつかの作品をめぐり、様々な出来事が起きた。あいちトリエンナーレ2019によって、本邦の分断が加速したともいわれた。
 そうだろうか。これは表現の問題でありながら、本邦の戦後教育の問題でもある。本書でも確認したように、彫刻がどのように見られるかということは。社会と彫刻との関わりが問われることろ等しいからだ。「公共絵画」とも「公共工芸」とも「公共写真」とも人は言わない。しかし、「公共彫刻」と人は言うのである。それを見る者たちとその時代を鏡映しにするものが彫刻なのだ。彫刻の解釈や評価が時代を経て変わっていくのは、それを見る/論じる「われわれ」が変わっていくからにほかならない。
 そしれここで本当に問わねばならないのは、「われわれ」とは誰かということである。本書で取り上げたように、彫刻を見る「われわれ」をめぐって、いくつもの衝突が起こっている。これは、彫刻が「歴史」の定点観測装置としてじつに有効であることの証左だ。街頭に確かにありながら、平時はさして注目を集めず、あってないようなもの。にもかかわらず、破壊されてもこの地上に降り立ち続ける。そのような彫刻のため、これからもわたしは言葉を尽くしたい。
 そのはじまりが本書である。」

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