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ウェンディ・ウィリアムズ『蝶はささやく』

☆mediopos-2393  2021.6.5

子供の頃には
いまよりもまだずっと田舎にいて
それなりの自然が残っていた
虫や魚を追いかけ自生の植物を採り
岩石や鉱物を探していた日々の幸福

小さな頃にふれたそんなものたちと再会するように
ここ二〇年以上前ほどから
ふれる機会を持つようにしている
少しはなれた野山や川に出かけるだけで
貴重な体験ができるたいせつな時間

本書の著者が蝶愛好家の友人の
「月面に人を送ったあとで、ようやく
オオカバマダラがどこへ行くかがわかったんだよ」
という言葉を紹介しているように
「月面に人を送る」とかいうよりも
自然のなかにはずっと深い秘密が隠されている
それに気づいたとき
著者のいう「「蝶に目覚めた」体験」ということで
象徴される目覚めを持つことができるのだろう

本書ではもちろん
蝶の霊的な働きについて示唆しているわけではないが
深いところでそれにふれることができたことで
「蝶に目覚め」ることができたのではないだろうか

ここから話は本書の視点からは離れ
神秘学的なものになるが
ルドルフ・シュタイナーに
蝶について語っている興味深い講義が残っている
蝶は地上的なものを霊化して
宇宙に渡す役目をもっているというのだ
その神秘学的な視点を少し辿ってみることにしたい

蝶は最初からひらひら飛び回っているわけではない
最初は卵でありそれが孵化して幼虫になり
さらに蛹になり羽化して蝶になるのだが
それは物質からエーテル体へ
そしてアストラル体から自我へという
宇宙進化プロセスを辿っているのだという

卵は大地に生みつけられるが
そこから孵った幼虫は大地を拒むようになり
しだいにじぶんのまわりに繭をつくり蛹となって
やがて物質的な地球との関係を断ち
その内部にアストラル的な力を持つようになる

そのアストラル的な力によって
蛹から羽化した蝶は光のなかを飛び回るようになるが
その光はほんらい自我なのだという
私たち人間は自分のなかに自我を有しているが
蝶はそれを光としてじぶんの外にもっている
その自我としての光が蝶に色をつけているという
蝶はそんな自我の光を受けて
色とりどりに輝きながら飛び回っているのだ

なんという驚くべき自然界のポエジーだろうか

「蝶に目覚め」るように
そんな「新しい世界」を見るようになったとき
あたりまえのようにみていた身近にある自然も
あたりまえのものではもはやなくなってくる
それは「月面に人を送る」ようなこととは
比べものにならないほど人を豊かにしてくれるような
深い叡智に満ちたことだとはいえないだろうか

その意味でいえば
身近にある自然に関心を持てずにいることは
宝の山に囲まれていながら
それに気づけずにいるようなものなのだ

■ウェンディ・ウィリアムズ(的場知之訳)
 『蝶はささやく/鱗翅目とその虜になった人びとの知られざる物語』
 (青土社 2021.6)

「たいての人がそうだと思うが、わたしの人生も蝶と無縁ではなかった。ロッキー山脈の合間やバーモント州の花が咲き乱れる野原を馬に乗って進んでいたとき、そばにはいつも蝶がいた。わたしが生まれ育ったペンシルバニア州の草地ではあちこちで姿を見かけたし、セネガルに住んでいたときも、ジンバブエやケニアや南アフリカに旅をしたときもそうだった。どこにいても、雑草と野花のなかを歩くたび、蝶が舞い上がった、アパラチア山脈のトレイルを踏みしめたときも、ケープコッドの砂浜をぶらついたときも、そこには蝶がいた。
 もちろん姿は見ていたし、昔から蝶は好きだった。嫌いな人なんでいるだろうか? でも当たり前のものとして、わたしは気にも留めていなかった。本当の意味で、じっくりとは見ていなかったのだ。かれらはどこから来たのだろう? どうしてここにいるのだろう? この地球上で何をしているのだろう? そしてかれらのいったい何が、ヒトの心をこれほどまでに鷲掴みにし、財産や時には命を投げ打ってでも、絶対に捕まえたいと思わせるのだろう?
 好奇心の赴くまま、わたしは世界を旅した。実際に現地を訪れ、文献を読み、たくさんの研究者たちと電話で話した。かれらはみな、わたしが話す「蝶に目覚めた」体験がどんなものかをよくわかっていた。眼前の霧が晴れるにつれ、まったく新しい世界が姿を現した。
 わたしは理解した。蝶の言語は色の言語だ、目の眩むような鮮烈さで、かれらはたがいに話しかける。時々わたしは、蝶こそが世界で最初の芸術家ではないかと思う。幸いわたしたち人間も、同じ色の言語に親しみを見いだせる。わたしたちはこの六つ足の生き物たちと、太古の昔からパートナー関係を結び、そのおかげで二〇万年にわたってこの星で生きながらえてきた。
 蝶と人の関係はいまなお続いている。一七世紀の蝶の研究は、わたしたちの自然観に革命をもたらし、現在は生態学と呼ばれている科学の一分野の礎を築いた。(・・・)
 蝶の秘密を紐解くことで、わたしたちは進化のしくみをより深く理解するようになった。それだけでなく、蝶とほかの生物との関係は地球の生命維持機能を担い、蝶はいまもさまざまな実用的な形でわたしたちを支え、さらには医療技術の画期的な新モデルを提供して、わたしたちの生活を改善している。例えば蝶の鱗粉から着想を得た材料工学者たちは、ぜんそく患者に役立つ装置をデザインした。
 こうした数々のサプライズが、わたしの好奇心をさらに刺激した。本書のプロジェクトを始めたとき、わたしは蝶について書くだけならシンプルだろうと思っていたが、大間違いだった。蝶はすばらしく複雑な生物で、一億年以上にわたって進化を続けてきた。かれらの謎を解き明かすわたしたちの試みは近年大きく進展したとはいえ、ユニークな特徴のなかにはまだまだ理解が進んでいないものも多い。
 悲しいかな、さまざまな理由で蝶と蛾の個体数は減少しており、なかには激減している種もいる。減少要因は多岐にわたるが、これ以上の現象を防ぐためにできることもたくさんある。蝶がいくなることは地球規模の悲劇だ。美しいものが失われるというだけではない。かれらは自然のシステムを健全に保つ、不可欠な役割を担っているのだ。
 幸い、蝶の保全に関しては、すでに研究に基づく多くの成果があがっている。未来に希望は残されている。世界中にいる数百人の研究者のネットワークや、数千の蝶愛好家のグループが、好ましい変化をもたらしている。」

「蝶は世界中の人々を団結させる。それだけでなく、時代を超え、とてつもなく大胆なマリア・シビラ・メリーアンや、果てしなく思慮深いチャールズ・ダーウィンを、蝶の秘密の解明に挑み続ける現代のたくさんの科学者たちと結びつける。学ぶべきことは、まだまだたくさんある。
 「月面に人を送ったあとで、ようやくオオカバマダラがどこへ行くかがわかったんだよ」と、蝶愛好家の友人ジョー・ドウェリーはあるときランチの席で言った。
 悲しいことに、数世紀にわたる研究も虚しく、蝶の個体数は減りつつある。それどころか、昆虫と呼ばれる分類群全体が深刻な個体減少に見舞われていると、研究者は指摘する。確かに当たり年もあるだろう。これを書いているいまも、ヒメアカタテハが雲のように群れをなして東半球と西半球の分布域の北限に現れたことを、モニタリング参加者たちが祝っているところだ。だが、確率的な増減はあるにせよ、全体の傾向は明らかに右肩下がりだ。
 原因は何千、何万とあるのだろう。複雑で鬱蒼とした、豊富に蜜をつくる在来種の植物でいっぱいの野原が、アグリビジネスが支配する単一耕作地へと開発される。かつて野花が咲き誇った広大な土地が、一面の芝生に変わる。濫用される殺虫剤が、わたしたちの飲料水までも汚染し、身体の一部と化す。
 蝶を追ったこの二年間、わたしはどこにいても気候のカオスに遭遇し、計り知れない影響を目の当たりにした。ナボコフが愛したヒメシジミ類のような、固有環境に高度に適応した繊細な蝶は、わたしたちが生きるジェットコースターのような気候のもとではなすすべもない。
 蝶が姿を消している理由には、まだわたしたちの知らないものもたくさんあるはずだ。ある研究によれば、特定の地域の道路筋のトウワタを食べて育ったオオカバマダラの幼虫は、そうでない幼虫と比べて体の塩分量が多いという。この違いの原因は、自治体の交通局が冬期に除雪のための塩をまくかどうかにある。わたしたちは、進化を通じた調整と大量絶滅が同時進行する時代をつくりだしつつある。
 だが、運命は変えられる。概念実証はすでに済んでいる。ヒメシジミ類の隠れた生活様式を解明した研究者たちは、かれらを絶滅の淵から救い出したではないか。
 強い意志があれば、わたしたちは偉業をなしとげられる。だが、なぜそこまでしなくてはならないのか?
 わたしたちのような古い世代の人間は、豊かな至善の美にあふれた世界を覚えている。新しい季節の訪れとともに、新しい香りや音や景色に出会い、そのたびに自然環境とのつながりがヒトにとっていかに必要不可欠であるか、確信を深めたものだ。
 そんな世界は急速に失われつつある。だが、まだ遅くはない。取り戻すことはできる。五歳の女の子が一匹の蝶を空に放つとき、その蝶が越冬地に向かって飛ぶ姿をほかの人々が見かけたとき、わたしが思う本当のバタフライ・エフェクトが発動する。異なる集団に属する、数え切れないほどたくさんの人々が、世代を超えて連帯し、わたしたちみなが属する自然界の小さく美しいかけらを守るため、力を合わせるのだ。」

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