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堀江敏幸『回送電車』〜「無所属の夢」(「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展)

☆mediopos3510  2024.6.27

日本で30年ぶりの回顧展となるという
「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展が
2024年7月13日から9月23日まで
東京ステーションギャラリーで
次いで名古屋市美術館と大阪のあべのハルカス美術館と
巡回されることになっている

ジャン=ミッシェル・フォロンで思いだされるのは
堀江敏幸が『回送電車』に収められている
「無所属の夢」というエッセイ

「十数年前、新宿の小田急百貨店で開かれた
ジャン=ミシェル・フォロンの展覧会」とあるので
(『回送電車』が当初刊行されたのは2001年)
調べてみると小田急グランドギャラリーでの
1985年の「フォロン展」のことらしい

堀江敏幸がエッセイを
「無所属の夢」としているのは
フォロンの次の言葉からきているようだ

「実際のところ、私は画家でもなければ、
デッサン家でもなく、ポスター作家でも版画家でもない。
私は抽象的でも具象的でもない。
いかなる流派にも属していないのだ」

堀江敏幸にとっての「旅」の理想的な姿も
「どこにも属さずに自らの夢を語ること」だという

「フォロンの絵には、フロック・コートを身にまとい、
どことなく懐かしい感情を呼び覚ます
山高帽子をかぶった小さな男がしばしば登場」し

「遠い国からふらりとやってきて、
たまたまそこに立ち寄ったにすぎないという、
軽やかな振る舞い」をみせている

「これはいったい、なんなのか」と
堀江敏幸は自問する

「軽便に見えて急がない」
「浮遊しているようでいて、ちゃんと足が地についている」
「反復に耐え、反復をずらして、
平板な光景にとまどってたたかいつづけ」ている・・・

堀江敏幸の夢想する「旅」とは
「他者との遭遇を求める具体的な感情世界の出来事ではなく」
「どんな場所にでもおなじ自分を降り立たせる技術の駆使
というのに近いかもしれない」

どこにも属さず
何者ということもなく
どこにいても
どこにでもいられる
そんな「無所属の夢」・・・

■堀江敏幸『回送電車』(中公文庫 2008/6)

**(「無所属の夢」より)

*「部屋から一歩も出ずに好きな書物をひらき、頁のうえに再現される世界を自由自在に旅すること。早朝でも深夜でも、晴れていても雨が降っていてもかまわない。ひとはすぐさま頁のなかに入り込み、語り手に導かれてあらゆる時空を旅する。読書とは身分証明書を必要としない唯一の旅の形態であって、ひたすら楽しみのために本と付き合う読書家を「動かない旅人」と称するのは、だから当然なのである。(・・・)現実と触れあわずに架空の世界だけを渡り歩く危険と、徹底した現実だけを見据えてそこから少し身を引くことを知らない危険とに、それほどの差はないからだ。括弧付きの「旅」があるとすれば、それは異質の文化や風俗に出会って刺戟を受けるだけでも、そこにやすやすと同化するだけでも足りないひとつの身体感覚であるべきではないだろうか。」

*「漠然とそんな想いにとらわれるようになったのは、十数年前、新宿の小田急百貨店で開かれたジャン=ミシェル・フォロンの展覧会に触れてからのことだ。フォロンの絵には、フロック・コートを身にまとい、どことなく懐かしい感情を呼び覚ます山高帽子をかぶった小さな男がしばしば登場する。たったひとりで旅じたくを整え、都会のビルの谷間を歩いていることもあれば、淡く染められた夜とも昼ともつかない空間にたたずんでいることもある。少しでも位置がずれれば。画面全体の均衡がたちまち崩れてしまうような絶妙の間合いをとって俗界を高みから見下ろし、どこともつかない遠方を凝視するかと思えば、ひとりぼっちで海に浮かぶ船を眺めていることもある。遠い国からふらりとやってきて、たまたまそこに立ち寄ったにすぎないという、軽やかな振る舞い。

 ひとり、という単数が、ここでは重要なのだ。近未来の年を描いても、群衆を描いても、フォロンの筆致はつねにある大きな「一なるもの」のもとで動く孤独を失わない。そこには、周囲にひそむ破滅の予兆を感じとってそれを明確な言葉に置き換える批評の高圧さもなければ、世界と触れあうそぶりももせずに泰然としている胡散臭さもない。フォロンの小男たちの視線は、傍観に徹しているかといえばそうでもなく、その場その場で生起する本当にささやかな出来事を、全体的な展望はあとまわしにしてとりあえず、次の場所へと運んでいくだけである。

 これはいったい、なんなのか。会場でそう自問したことをいまでもよく覚えている。軽便に見えて急がないこと。浮遊しているようでいて、ちゃんと足が地についていること。反復に耐え、反復をずらして、平板な光景にとまどってたたかいつづけること。フォロンの人物たちの行動は、結局、毎日の暮らしの延長ではないか。」

*「しかしこのたたかいのなかからは、ある種の快楽に似た心地よさが否応なく立ちのぼってくる。日々のしがらみを棄てるとか、好みに合わないものを無視するとか、そんな単純な話ではない。彼の絵のなかの快楽は、古き良き時代への安易な郷愁や輝かしい未来への期待とは、まったく縁のない身体的なものだからである。多木浩二は、フォロン展に寄せた一文のなかで、この画家の特質が「窮極的には楽観的であること、破壊からも風化からも眼を背けはしないが、それと運命をともにしないこと」にあると指摘し、それを「英知としてのユーモア」と呼んでいるけれど、この場合の英知とは、ながい経験に培われた人生の教訓ではなく、絶対音感に似た無意識の戦略にほかならないだろう。」

*「いま私が夢想する「旅」とは、他者との遭遇を求める具体的な感情世界の出来事ではなくて、どんな場所にでもおなじ自分を降り立たせる技術の駆使というのに近いかもしれない。厳しいユーモアを抱えた者による、厳しい英知の散布。たとえばフォロンの創作に一貫した主題を見出すことはできない。ポスターを中心として、そのときどきの注文に応じた出会いの連続が、結果としてひとつの統一感を醸し出し、見るもの、聴くもの、シルもの、欲するもの、そのすべてに開かれた感覚が、雑駁な世界を通過しているうちに、あちこちできちんとした意味に翻訳できないかすかなざわめきのような呼吸を生みだしているのだ。

 他者へのいたわりも、憎しみも、理解も、そして無理解も超越しながら、しかも神の位置には立たない余裕を獲得するには動かなければならず、動きながら静止しなければならない。「実際のところ、私は画家でもなければ、デッサン家でもなく、ポスター作家でも版画家でもない。私は抽象的でも具象的でもない。いかなる流派にも属していないのだ」とフォロンは言う。どこにも属さずに自らの夢を語ること。それが私にとっての「旅」の理想的な姿であるようだ。」

○ジャン=ミシェル・フォロン(Jean-Michel FOLON)

1934年ベルギーのブリュッセル生まれ。はじめ建築を学ぶが絵画に転じ、1955年パリへ移住。不遇な時代を過ごすが、1964年パリのミュグル書店でデッサン展、1965年「第3回美術の中のユーモア・トリエンナーレ」の大賞受賞が契機となり世界各地で展覧会が開催される。オリベッティ社のポスターはじめ、雑誌「タイムズ」「フォーチュン」「ニューヨーカー」誌などが彼のデッサンを掲載。アポリネール、カフカ、カミュの本の挿絵など多くのイラストを手掛ける。1969年ニューヨークで初めて個展。1970年日本でも展覧会が開催される。1971年パリ装飾美術館で個展開催。
第12回サンパウロ・ビエンナーレでグランプリを受賞。1982年サッカーワールドカップのポスター制作。 1985年回顧展のために来日。1990年ニューヨークのメトロポリタン美術館で水彩と版画の展覧会が開催される。アニメーションや映画制作にも携わる。2000年には自らフォロン財団を設立した。子供たちへの芸術教育活動や、身障者など社会福祉への貢献が高く評価され、2003年ベルギーのユニセフ国内大使に任命されるが、2005年10月白血病によりモナコに死す。

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