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一海知義『陶淵明/虚構の詩人』&沓掛良彦『陶淵明私記/詩酒の世界逍遙』

☆mediopos-2316  2021.3.20

酒の詩人
超俗の詩人
反俗の詩人
田園詩人
隠遁詩人
どれもたしかに
陶淵明の呼称として
ふさわしいものだろうが
一海知義はこの著書ではとくに
「虚構の詩人」として論じているのが興味深い

とくにここで引いてみたのは
「形影神」と「自祭文」である

「形影神」ではみずからを
「肉体(形)と影ぼうし(影)と魂(神)の三つに分け」
それぞれに生と死をめぐった対話がおこなわれ
「形」と「影」による生と死の相克
つまり死への怖れをめぐる葛藤を
「神」が死と生を超越したところから語る

また「自祭文(自らを祭る文)」では
みずからを死者に見立てその生涯を総括している

「形影神」では
死を克服しているかにみえた視点が
「自祭文」では
それまでは達観していたかに見えた表現から一転して
「人生實難、死如之、鳴呼哀哉。」と
死を克服できない生を哀しんでいる

「自祭文」は淵明の絶筆だとされているが
みずからの最期に淵明はみずからの死生観を
虚構詩として描いているのだといえる
虚構とはいえそれは
「辞世の句」でもあったのだろう

世に辞世の句とされているものは多く知られている
思いつくものをいくつか挙げてみたい

心形久しく労して 一生ここに窮まれり(最澄)
つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃(西行)
渾身覓むるなし 活きながら黄泉に落つ(道元)
一代聖教みな尽きて 南無阿弥陀仏に成り果てぬ(一遍)
それ道に去来生死の相なく また安危治乱の変なし(夢窓疎石)
極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし(上杉謙信)
全身を埋めて、ただ土を覆うて去れ。経を読むことなかれ(沢庵宋彭)
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る(松尾芭蕉)
裏を見せ表を見せて散る紅葉(良寛)
おもしろきこともなき世をおもしろく(高杉晋作)
音楽が終わったら、明かりを消してくれ。(アドルフ・ヒトラー)
もっと光を(ゲーテ)

さて陶淵明をとりあげることにしたのは
沓掛良彦『陶淵明私記/詩酒の世界逍遙』を
古書店(ネット)で入手したのがきっかけとなった

送られてきたその本の扉に
「謹呈 著書 長谷川郁夫様 沓掛良彦」
という著者からの記載があったのだ

長谷川郁夫氏は著名な編集者であり評論家でもあったが
昨年二〇二〇年五月に亡くなっている
長谷川郁夫氏の亡くなられた後に
その蔵書が古書店に引き取られたものと思われる

著書の『吉田健一』『知命と成熟』はかねてより愛読書でもあり
その名を見てどこかご縁を感じたのがきっかけである
(編集者としては「青山二郎文集」「小川国夫全集」
「田村隆一全集」などを手がけている)

■一海知義『陶淵明/虚構の詩人』(岩波新書505 1997.5)
■沓掛良彦『陶淵明私記/詩酒の世界逍遙』(大修館書店 2010.10)

(一海知義『陶淵明』より)

「今から千六百年ほど前、中国に陶淵明(三六五-四二七)という詩人がいたことは、よく知られている。淵明は酒の詩人といわれ、また超俗の詩人とも呼ばれてきた。
 酒の詩人とは、酒好きの詩人というだけでなく、よく酒を詠じた詩人だったことによる呼称である。」
「私は淵明を「超俗の詩人」というよりも、「反俗の詩人」と呼ぶべきだと思う。しかし淵明の作品を読んでいると、胸の洗われるような「超俗」的詩句に出会うことがしばしばあり、「超俗」の詩人と呼ぶことも、あながち否定し去るわけにはいかない。
 淵明にはこのほか、「田園詩人」あるいは「隠遁詩人」といった呼び方もある。淵明の生涯を考えたとき、これまたそれぞれに首肯できる呼称である。
 しかし私はここで、これまで人々によってあまり問題にされなかった特色、詩人陶淵明の特色の一つについて、論じてみたい。それは陶淵明という人物が、虚構(フィクション)の世界に特別の興味と関心を抱いていた、という点である。」

「淵明の虚構的世界の構築は、散文の分野だけでなく、詩の分野でもおこなわれた。
 おのれを肉体(形)と影ぼうし(影)と魂(神)の三つに分け、それぞれに生と死についての意見をのべさせた。「形影神」詩、この詩については比較的よく知られている。」
「自分の分身(単数または複数の分身)を設定して、これに問答をさせ、あるいは行動させる、それをトレースして作品世界を構築する。そうした作業は、淵明以前には、主として長編の叙事詩である賦や純粋の散文が、受けもってきた。
 ところが淵明は、詩作の世界にこれを導入した。そうした前例は皆無ではないとしても、淵明がこれを自覚的意識的におこない、いくつもの作品を生んだことは、彼の「虚構」に対するなみなみならぬ関心を示している。

「淵明の場合、詩における対話の導入は、一つには哲学的な自己表白のための弁証法的な論理の展開、二つには日常身辺のこと(家族や近隣の農民など)を題材とする彼の詩の性格とも、深く関係する。とともに、「虚構」の世界への興味とも、関係するだろう。対話はそれ自体がドラマであり、対話の構想は「虚構」の現出につながる。
 淵明は、人生の後半を隠遁者として送りながら、隠居生活には徹しきれぬ覚醒感を抱きつづけた。「帰去来の辞」が示す大らかな達観と、「閒居しつつも滾る志を執(おさ)え」かねた動揺とは、はげしく矛盾する。
 達観と動揺、閑静と猛志、小世界への安住と大きな世界への意欲、死への覚醒と生への執着、淵明はこれらの矛盾と誠実に対決した。そして、そのときどきの自己を誠実に表白した。しかし矛盾分裂する自己に判定を下す第三の自己が、時に必要となった。そのためには、自己を客観化すること、あるいは現在の状況とは別の世界を仮設し、そこにおのれをつきはなして眺めてみる、といった作業も必要である。
 「虚構」を手法とする作品は、そのようにして生まれた。そしれまた「虚構」は、ときにうす汚れた現実への抗議として、機能することもあった。」

「淵明の「空想癖」は昂じてて、みずからの「死」の場面をも「空想」する。かくて生まれたのが、おのれの葬式のシーンを描く「挽歌詩」三首と、わが死後の霊にささげる「自祭文」一篇」である。」
「死者の霊にささげる追悼の文章「祭文」は、散文(押韻するものが多い)の一形式として、古くからあった。しかし、「自ら祭る文」を作ったのは、たぶん陶淵明が最初だろう。」

(沓掛良彦『陶淵明私記』より)

「甚(はなは)だ念(おも)えば吾が生を傷つけん
 正(まさ)に宜しく運に委ね去るべし
 大化の中に縦浪(しょうろう)し
 喜ばず 亦た懼れず
 応(まさ)に尽くべくんば便(すなわ)ち須べからく尽くすべし
 復(ま)た独り多く慮(おもんばか)ること無かれ
 (「形影神」)

 これは、作者陶淵明の分身と見られる「形」すなわち肉体と「影」、それに「神」すなわち魂とが死生の問題をめぐって問答を交わすという形式の詩の最後に来る「神」の結論部分で、一段と高い次元から、「形」と「影」の主張をいわば止揚する立場から述べられているものだ。ここには死に関する達観、悟りの境地が見られると言ってよい。生と死の相克、死への怖れをめぐる葛藤を経ての、作者淵明のある時点での帰着点を示すものと考えてよかろう。」
「では、詩人は果たして本当に、不断に彼を懊悩せしめた死への恐れを克服し、死生超越を成し遂げたのであろうか。そうとは思われない。」

「奇想というほかない「自らを祭る文」は、(・・・)死者たる自分から見た生涯の総括でもある。その文中に「老より終わりを得んに、奚(なん)ぞ復た戀ふる所ぞ」とあって、詩人は諦観をもって従容として死に就いたかに見えるのだが、その最後にいわばどんでん返しが来る。そこでこの「自らを祭る文」はにわかに反転して、

  人生實難、死如之、鳴呼哀哉。
  人生は實に難し、死は之を如何せん。鳴呼(ああ)哀しい哉(かな)。

 と結ばれており、詩人は死の問題をついに解決できず、煩悶と葛藤を胸中に秘めたまま、世を去ったのではないかとの疑念を読者に抱かせる形で終わっているのである。」

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