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ルドルフ・シュタイナー『秘教的修行の指針――秘教学院の内容から』(GA245)

☆mediopos2922  2022.11.17

本書はルドルフ・シュタイナーによって
一九〇四年から一九一四年
第一次大戦が始まるまで開かれていた
「秘教学院」の教材から構成され
GA245としてまとめられたものだ

『神智学』そして
『いかにして超感覚的世界の認識を得るか』の
公開されたのが一九〇四年
『神秘学概論』が発刊されたのが一九一〇年なので
それらに記載されている内容の背景にある
霊性開発のための行法を指導したものとして理解できる

霊的修行や超感覚的的世界の認識というと
特別なことであるように思ってしまうが
以下に引用しているような「課題」や「指針」は
これみよがしに霊力を行使するために
苦行をしたり危険なことをするようなものではない
きわめて常識的かつ日常的でそこに秘密はない
ただ魂を育て整えるための指針である

ある意味で仏教の八正道のようなありようを
現代的なかたちでリニューアルしたようなものともいえる

引用してみた六つの課題を
かいつまんでみるとこんなことである

ちゃんと考えること
それを持続させること
心を平静に保つこと
批判を避け肯定的に世界に対すること
先入見をもたないこと
上記の五つを均衡させること

さらなる課題として挙げられているのも
ごく常識的な四つの指針である

自らの思考に光を当て意識的であること
常にあらたな考えと概念を広げること
共感と反感から自由であること
唯物論的な感覚にとらわれないこと

上記の四つめに関しては注意が必要で
物質や感覚を否定するというのではない
むしろそれらを等閑にしてはならず
とらわれないでいるためには
それらへの意識的な探求が必要となる
物質や感覚への蔑視や過度な禁欲は
むしろ霊性のバランスを崩してしまうからだ

個人的にいえばかつては
「秘教」とか「超感覚的世界」とかに
惹かれたときもあったが最近では
むしろそうしたことに関心は薄れるようになった
どうもそうしたことを特別視してしまうことに
嫌悪感のようなものさえ感じたりもする

それはこうした霊的修行そのものの問題というよりも
霊的なことばかりを特別視しそれを権威化し
むしろ肝心なことに盲目的になってしまいかねない
そんなあり方への嫌悪感である

年を経るごとに思うのは
日々ちゃんと生きていこうということくらいである
そこからしかなにも始まらない
もちろんその「ちゃんと」こそがむずかしく
その「ちゃんと」のために
日々こうして持続的に思考を重ねてもいるのだけれど

■ルドルフ・シュタイナー(佐藤俊夫訳)
 『秘教的修行の指針――秘教学院の内容から』(GA245) 
 (22世紀アート 2022/2)

(「Ⅰ 共通の課題(副次的修行)」〜
 「共通の課題は超感覚的な発達を押し進めようとする者全員が自主的に果たすべき行である」より)

「その最初の条件は、完璧に明瞭な思考の習慣である。これを達成するためには、毎日短い時間で良いので——例えば5分間ほど(もちろんもっと長ければ、長いほど良い)思考が鬼火のように揺れ動くことのない自由な時間を作ることである。人は自分の思考世界の支配者でなくてはならない。」

「おおよそ1ヶ月間このような修行を続けたら、二番目の要求を加えてもよかろう。何らかの行動を考え出すよう試みるのだが、それは今までの生活の通常の流れでは全く行われなかったものである。今この毎日の行為を義務とするが、それをより良いものにするには、毎日できるだけ長期間続けられる行為を選ぶことである。」

「三月目の新しい修練として、生活の中で注目すべきことは、快楽と苦悩、喜びと苦しみの間の動揺に対して平静さを確実に育成することである。」

「四月目は新しい行として、いわゆる積極性をとり上げる。それはあらゆる経験、存在、事物に対して、自分の中にある善なるもの、優秀なるもの、美しいものなどを常に捜し出すことにある。(…)
 神秘学徒はどんな現象の中にもどんな事物の中にも肯定的なものを求めねばならない。そうするとすぐに気づかされるのは、醜さのおおいの下に隠された美であり、犯罪というおおいの下に隠された善であり、狂気のおおいの下のどこかに隠されている神々しい魂である。この修行は批判の放棄と言われるものと大いに関連がある。」

「五月目は、全ての新たな体験に全く偏見なく向き合う、という感情を生み出すよう努力する。見聞きしたものに対して「それは今まで聞いたことも見たこともないが、間違いではないと思う」と言う時に、私達と対立するものをこの心的態度をもって神秘学徒は打ち破らねばならない。神秘学徒はいつでも全く新たな体験を受け入れねばならない。」

「六月目は、五つの行を体系的に規則正しく交代させながらさらに前進するよう努力しなければならない。そうすることによって次第に魂の素晴らしい均衡が作り上げられる。」

「ただ単に一般的な道徳倫理を誠実に実践するだけでは神秘学徒にとってはまだ不十分である。というのはこのような道徳心は非常な利己主義になり得るからである。「善人だと思われるように、私は善なる存在でいよう」などと言うならば。」

(「Ⅰ 共通の課題(副次的修行)」〜
 「共通の課題を続けるための追加規則」より)

「全ての神秘学的修行は、特により高次の領域に到ると、神秘学徒を災いや混乱に陥らせる可能性がある。それはこのような規則が守られなかった場合である。」

「第一則:意識の中に不確定な考えを入れてはならない」

「自分の心に関与する全てのものを慎重に吟味することによって内面的に自由になることが重要なのだ。そしてこの固有の魂の力によって光が全ての思考と態度を広く照らし、それに応じて意識は拡大するだろう。」
「多くの権威への盲信も処理されねばならない。」

「第二則:自分の概論の量を絶えず増加するために、活動的な義務を心に抱いていなければならない。」

「神秘学徒にとって何よりも有害なのは、今までに得た一定の概念の量にとどまり続けようとし、その助けによって全てを理解しようとすることである。常に新しい考えを次々と吸収するのは、この上なく重要なことである。」

「第三則:自分にとっては単なる認識にすぎないことに対して、賛成か反対かについては共感も反感も持たないこと。」

「第四則:いわゆる抽象性からの回避を克服する義務がある。」

「神秘学徒は、感覚界の物質性が与える概念に執着する限り、高次の世界についての真理を得ることは決してない。感覚性から解放された理解を習得するよう努力しなければならない。とにかくこの第四則は、特に現代の生活習慣では、最も困難なものである。」

[目次]

本書の公開に関して
序文/霊学の課題
Ⅰ 共通の課題(副次的修行)
・共通の課題は超感覚的な発達を押し進めようとする者全員が自主的に果たすべき行である
・共通の課題を続けるための追加規則
・週の曜日のために
・瞑想と日常生活において考慮すべき十二の徳(月々の徳)
Ⅱ 主たる行
全員に与えられた二つの主たる行
特定の学院生に個人的に授けられた主たる行法
Ⅲ マントラの言葉
土曜日のための金曜日
日曜日のための土曜日
月曜日のための日曜日
火曜日のための月曜日
水曜日のための火曜日
木曜日のための水曜日
金曜日のための木曜日
全ての曜日のあとで
ある故人のために
Ⅳ 『秘教講義』(H.P.ブラヴァツキ−)の解説
ベルリンにおける秘教講義   1905年10月24日
『秘教講義』の覚書   1906年4月13日 聖金曜日 ベルリン
『秘教教義』のための憶え書き   1906年10月2日 ベルリン
『秘教講義』のための覚え書き 1906年11月14日 ベルリン
『秘教講義』の覚え書き 1907年6月6日 ミュンヒェン
『秘教講義』のための短い覚書き 1907年10月9日、ベルリン
『秘教講義』の覚書 1908年1月16日 ミュンヒェン

認識の福音とその祈り
あいさつ文   マリー・シュタイナー
ドルナハの建物の定礎式におけるあいさつ 1913年9月20日
瞑想
《道の光》に関連して
解説
《沈黙の声》(H.P.ブラヴァツキー)
〈編集者あとがき〉

[訳者略歴]佐藤 俊夫(さとう・としお)

名古屋市立大学医学部卒
現在 たいようクリニック院長(医療法人六星会理事長)
   東洋医学を中心に内科・小児科・精神科・心療内科(実存的精神分析)

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