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スザンヌ・ルーカス『竹の文化誌(花と木の図書館)』

☆mediopos-2407  2021.6.19

竹を知らない人はいない
そう思っていたけれど
降水量の少ないヨーロッパや北米や
冬季が寒冷な地域では竹は自生していない

それらの地域の人の話を実際に聞いたことはないけれど
比較的目にする機会の多い地域でなければ
竹のことをよく知らない人がいてもおかしくはない

ちなみにヨーロッパに竹が入っていったのは
ようやく19世紀の前半ころからで
庭園に植えるための植物としてなのだという

ヨーロッパからの移民がアメリカ大陸にやって来たとき
その地にも竹は多く自生していて
原住民たちは食料としても利用していたそうだが
移民たちはじぶんたちのスタイルの農業の土地を確保するため
広大にあった竹林のほとんどを伐採してしまったというのだ

ほかの大陸でも
竹を知らない人たちは
建築資材をはじめさまざまな役割を果たしていた竹を伐採し
もっと貴重な(と思い込んでいる)建築資材に置きかえてきた

じぶんが知らないということに気づいていないと
大事なこともじぶんの知っていると思っていることに
安易に置き換えられてしまうことになる

本書ではじめて知ったのだが
竹は木ではなくイネ科の草
常緑性の多年生植物であるという
そして地球上でもっとも成長が速い植物だともいう

毎年地下茎の節にある芽から新しい竹が生まれ
1日の間にマダケで121cm
モウソウチクで119cm伸びたという記録さえあるように
数ヶ月で立派な竹に成長する

竹の自生している地域では
古くから竹はさまざまに利用され
竹関連の産業で衣食住の糧を得ている人は
世界に2億5000万人以上もいるそうだ

比較的最近注目されはじめたそうだが
持続可能な資源として活用すれば
人間活動が環境に及ぼす悪影響を緩和できる可能性に
次第に注目が集まってきている

少し気になっていた食用としての竹だが
日本にも筍を食べるという食文化があるように
中華やインド料理(南インドのカレーなど)のように
竹が自生しているアジア圏では食用にもしているようだ
ただしヨーロッパでは食用としての意識はないようだ
野菜をあまり加工しないで食べることが多く
手は暇をかける必要のある筍は食用とはみなされにくい
やはり生態系と(食)文化は密接に関係している

竹に神秘的な力を感じるというのも
生態系とも関係しながら
古代から続いている東洋的な感性のひとつでもであって
かぐや姫が竹から生まれる『竹取物語』も
空洞をもつ不思議な形の竹に対して
神秘的な力を感じるところが背景にあったのだろう

引用にもあるように
中国の詩人・蘇軾は
「肉は食べなくてもいいが、竹がないところには住めない。
肉がなくてもやせるだけだが、竹がないと心の安らぎを失う」
と記しているという

中国・魏(三国時代)の時代末期に
阮籍を中心とした「竹林の七賢」がいたが
竹林で交遊するということにも
竹という存在が文化的な場に深く関係していたことがわかる

■スザンヌ・ルーカス(山田美明訳)
 『竹の文化誌(花と木の図書館)』
 (原書房 2021.2)

「竹は、この地球上でもっとも成長が速い植物と言われている。なかには、1日に1メートル以上伸びる種もある。その竹に頼って、数億人もの人間や動物や昆虫が生活している。竹は、食料、住まい、編んだり書いたりするための材料、霊感の源など、さまざまな用途を通じて、古くから人間の物理的・精神的欲求を満たすために貢献してきた。中国の詩人、蘇軾は800年以上前にこう記している。「肉は食べなくてもいいが、竹がないところには住めない。肉がなくてもやせるだけだが、竹がないと心の安らぎを失う」
 さまざまな時代を通じて、人間は竹を利用してきた。生活のための材料として、竹を切り、割り、曲げ、乾燥させ、調理し、結び、編み、きざみ、細工してきた。それは現代も変わらない。竹関連の産業で衣食住の糧を得ている人は、世界に2億5000万人以上いるという。竹はまた、持続可能な資源として活用すれば、人間活動が環境に及ぼす悪影響を緩和できる可能性もある。竹を収穫しても。この植物を殺すことにはならない。竹はこう見えて、木ではなくイネ科の草なのである。
 イネ科の竹は、「稈(かん)」と呼ばれる茎を伸ばして成長する(稈を切ったものは「cane」と呼ばれる)。竹の稈は伸縮式の望遠鏡のように上へ上へと伸び、わずか数週間で最大樹高に達する。それから寿命が尽きるまでの数年間は、最初の1年目より太くなることも高くなることもない。あとは毎年、新芽を伸ばして新たな桿を生み出したり、枝と葉で大きな樹冠をつくったりして過ごす。だが、その間も根は伸び、呼吸して空気をきれいにし、水や酸素を循環させる。
 ほとんどの人は、竹がどんな姿形をしているか知っていると思うかもしれない。だが実際には、竹にもさまざまな形のものがある。地面を覆うように生える高さ30センチにも満たない草のような竹もあれば、中空の茎を持つ巨大な草というよりは、熱帯雨林の林床に生えるシダ植物のような竹もある。稈の姿にしても、一般的には、ティキと呼ばれるポリネシア風たいまつや魚釣りの竿に使われる稈、ジャイアントパンダがよく食べている緑の葉を茂らせた稈を思い浮かべるだろう。だが実際には、タコの触手のようにつるを伸ばしてはい上がっていく丈もあれば、巨大なとげを生やして茂みをつくる竹もある。色についても、普通は緑を連想しがちだが、黄、金、赤紫、青のほか、黒い稈を持つ栽培品種もある。さらに、葉にあざやかな金や白の斑が入った種、葉の幅が広いうえに長さが1メートルもある種、小さい繊細な葉を星形に展開する種もある。」

「竹は、南極とヨーロッパを除く全大陸に自生している。海抜0メートルレベルの低地からヒマラヤの高地にまで分布し、湿潤な熱帯にも、温暖な雲霧林にも、乾燥したインドの平原にも見られる。竹林の面積は世界全体で3900万ヘクタール以上におよび、国によっては全森林面積の4〜10パーセントを占めるとの推計もある。竹がもう自生していない地域でも、植栽や栽培が行われている。
 人間は身近にある森林から植物を採取して、周囲の景観を形づくってきた。そのなかでも竹は、世界中に広く分布しているうえに、その習性も生育特性も多種多様であり、人工の景観をつくるうえで独自の重要な役割を担うことになった。」
「竹の用途で何より重要なのは、国際的に不足して高価になりつつある木材の代用品として使えることだ。竹の自生林や植林を手間暇かけて適切に維持すれば、水源や野生動物を守りながら、貴重な資材を手に入れられる。農林業作物としてはそのほか、バイオプラスチックやバイオ燃料などに使える可能性も大いにある。
 それなのになぜ西洋の人々は、竹が持つ現代的な可能性に気づかなかったのだろう。400年前、ヨーロッパからの移民がアメリカ大陸にやって来たときには、その大陸に自生していた竹を原住民たちが利用していた。当時は、単一種による竹の密林が、アメリカの南東部や南中西部、ミシシッピ川から大西洋岸にまで広がっていた。これらのしげみは、すみかや食べ物を求める狩猟動物を引き寄せた。また、定期的に開花して大量の種子を生み出し、動物や人間に食料を提供した。原住民は種子が豊富に実るとよろこび、栄養の少ない米や麦の代わりにそれを食した。だがヨーロッパ人植民者たちは、原住民の生活から学ぼうとせず、ここにも旧世界の伝統的な農業を持ち込み、広大な竹林を伐採していった。植民者たちが好む伝統的農業の土地を確保するため、および家畜の過放牧のため、1950年までに自生していた竹林のほとんどが生滅した。とはいえ、当時の竹林が部分的に残っているところもわずかながらある。
 同じような状況は、ほかの大陸でも見られる。「貧者の木材」と呼ばれた竹は、劣悪な資材を見なされ、もっと優れているとされる建築資材に置き換えられた。生態系における竹林の役割など考慮することなく、より貴重な木材を生産するため、あるいは、増え続ける人間に場所を提供するためだけに、竹林が伐採された、現在では、世界のどこでも動揺の状態である。」

「だがアジアでは、いまでも竹が重要な役割を果たしている。(…)とりわけ中国、インド、タイ、ベトナム、フィリピンでは、現代世界における竹の可能性が見直されつつある。」
「竹への関心が再燃している背景には、アジア全域でこの植物が象徴的意味を持っていることが関係しているのかもしれない。中国では、竹が古くから重視されてきたため、この植物が日々の生活のなかに取り込まれたように言語のなかにも取り込まれ、竹を表す象形文字が何百もの文字に使われている。」
「過去100年にわたり軽視されてきたのは竹だけではない。数多くの先住民もそうだ。だが、竹に囲まれ、村単位の経済圏のなかで暮らしていた田舎の人々やほとんど資力のない人々は、その間もずっと竹を使い、伝統的な住まいや工芸品をつくり続けてきた。」

「やがて21世紀が到来すると、環境保全に関心を抱き、新たな規範を掲げる消費者が、ある流行を生み出した。「持続可能な発展」という言葉が、人間活動や人口増加の議論による登場するようになったのである。」
「こうした懸念が持ち上がっているいまこそ、竹の出番である。この天然資源は、資材として、エネルギーを供給する代替資源として、炭素含有化合物を無限に蓄積・貯蔵する天然または人工の貯蔵庫として利用できるからだ。」

「とはいえ、竹が地球を救うとか、竹が人類を救うと言いたいわけではない。本書の目的はむしろ、この地球における竹の存在意義(それは自然界だけに限らない)や、人間との関係、野生動物とのつながりを紹介し、竹に関する理解を広げてもらうことにある。」

「竹は、無数の実用的用途、生物多様性のおける重要な役割、現代的な可能性を担っているだけでなく、実に魅力に富んだ植物でもある。微風に揺れる葉ずれの音、強風に押されてぶつかり合う巨大な稈の響き、雪が降ったあとのしんしんとした静けさは、この驚くべき植物がもたらすさまざまな官能のほんの一部でしかない。葉の形、天を突く雄大な樹冠、堂々たる稈がつくる大聖堂のようなアーチなど、竹は私たちの視覚を刺激する。これほどの郷愁や畏敬の念を呼び覚ます植物はなかなかない。いまではその竹が、新たな展望まで生み出そうとしている。」

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