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漫画家・五十嵐大介ロングインタビュー 「見えない世界の歩き方」 (Coyote No.75 特集 山行 宮沢賢治の旅)

☆mediopos-2562  2021.11.21

五十嵐大介と宮沢賢治は
見えない世界を歩いていた

考えるというよりも歩いていた
または歩くということが考えることだった

歩くということは
脳を使って考えることではない
もちろん考えるのは脳ではない

唯脳ということを
当然の前提で論じる者も多いが
脳はどんなに複雑でも結局のところハードである
そのハードを動かす見えないソフトウェアがあり
さらにそのソフトウェアを働かせている魂がある

考えるというのは
魂がソフトウェアを働かせているのであって
それを働かせるために
わたしたちは四肢を働かせる必要がある
つまり自分と世界を「呼応」させるということである

そのために宮沢賢治は
「何度も山行を決行」し
五十嵐大介は「一人でぶらぶら散歩しては、
目に映るいろんな物を細かく見ては妄想する」

そして“この世界の大部分は
人間じゃないものでできている”ことに気づき
「日常の中で見過ごしてしまっている風景や
その裏側に広がる世界を掬いあげ、
見えないはずのものを見せ、
聞こえないはずの音を」聞く

ほんとうはだれでもそうしているはずだ
それにもかかわらず
日常というむしろ非現実を現実として
世間というプログラムのなかで
世界を閉ざしたまま生きてゆく

そして感じられているはずのものも感じられなくなり
見えているはずのものも見えなくなり
聞こえているはずのものも聞こえなくなる

五十嵐大介と宮沢賢治は
そんな世界に閉じ込められないままに
見えない世界を歩いている(た)のだろう

■漫画家・五十嵐大介ロングインタビュー
「見えない世界の歩き方」
(Coyote No.75 特集 山行 宮沢賢治の旅
  スイッチパブリッシング 2021/11)
■『五十嵐大介: 世界の姿を感じるままに』
  (文藝別冊/KAWADE夢ムック 河出書房新社 2014/8)

「十代の頃から宮沢賢治は故郷の山々をくまなく歩いていった。
特に岩手山には魅かれ、健脚を誇るように何度も山行を決行した。
山に登り、里に下りて、宮沢賢治は見た光景を忘れまいと
一所懸命にスケッチをして詩や童話を生成していった。

たとえば朝の霧の中で、山の一角が白く光って見える。
朝の光がたんに何かに反射しているだけかもしれない。
宮沢賢治はこの光はただの現象ではなくもっと深い意味があると考える。
自然から自分へのメッセージなのだと。朝の山の中にいて心揺さぶられていく。
自分と世界が呼応する瞬間がある。自分はここにいる。世界は目の前に開けている。

自然を知るために、今こそ宮沢賢治の山行を考えてみたい。
宮沢賢治の原風景をとおして、作品の奥にある彼の思いを考える。
見えない世界の不思議を発見する旅へ。」

(「INTERVIEW 五十嵐大介 見えない世界の歩き方」より)

「『海獣の子供』『魔女』『ディザインズ』などの作品で知られ、
アニミズム的な世界観をこれまでマンガに描いてきた五十嵐大介。
繊細さと力強さを併せ持った筆致で描かれる風景や
動物の描写は芸術の域に達していると評される。
五十嵐が描くマンガは、扱うテーマは異なっていても
“この世界の大部分は人間じゃないものでできている”ことに気づかせてくれる。
日常の中で見過ごしてしまっている風景やその裏側に広がる世界を掬いあげ、
見えないはずのものを見せ、聞こえないはずの音を聞かせてくれるという点で、
五十嵐大介もまた宮沢賢治と同じ景色を見つめているのかもしれない。」

「歩き慣れている道なのになんだか怖いなと感じたり、帰り道がわからなくなってしまったりすることはこれまで時々ありました。」

「私は幽霊とかが見える人ではないので、単なる自分の思い込みかたもしれないし、その境目って難しいのですが、本当は存在するけどただ見えていないだけなのかもしれないとも思うんです。だから今だって、そんなものいるわけないじゃんと言われているものであっても、科学技術が進歩したら「実は幽霊はいました」となるかもしれない。「それって科学的に証明できないでしょう?」と言われていることって、科学がまだ追いついていないだけかもしれない・そういうふうに思っていたほうがおもしろくないですか?」

「賢治の作品には、四次元という言葉だったり当時としては難しい概念が使われていない。まわりの人はたぶん説明されたとしてもそれを実感するのはむずかしかったでしょうね。ひょっとしたら賢治も他の人との感覚のズレや生きづらさを感じていたから、そういう感覚や概念に興味を持っていたのかもしれないと思うんです。人と違う視点で物事を見るということには、そういう部分があるかもしれない。」

「一人で過ごす時間が長い人って、他の人よりも多くのことを発見できるんじゃないかと思っています。賢治はよく一人で夜に野山を歩いていたみたいですが、それは誰にも会わずに済んだからだったのかもしれない。私の場合、とにかく一人でぶらぶら散歩しては、目に映るいろんな物を細かく見ては妄想することが好きです。
(・・・)
 人間って、脳じゃなくて足で考えていると思うんです。脳は身体全体の統制役であって、思考は他の部位が担っているんじゃないかな。脳だけでは何もできなくて、自分の身体にちゃんと向き合うことで何か見えてくる気がするんです。私の場合、その時の感覚を表現したいというところから創作が始まることがほとんどです。」

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