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『最後の文人 石川淳の世界』

☆mediopos-2360  2021.5.3

石川淳を読み直しはじめたのは
数ヶ月前に『狂風記』を
古書店の店頭で安く見つけたからだ
思い出深い三十年来の再会でもある

(刊行当初は学生だったが
学費にも事欠くほぼ無一文状態でもあり
高価な大作には手がでなかったが
種村季弘の解説にもあるように
そうした境遇のなかでこそ
石川淳は読まれるべきだったともいえる)

その後あらためて石川淳を
再読・新読していたところ
こうしてその数ヶ月後
『石川淳の世界』が
偶然(であるかのよう)に現れたのだが
「閉塞感の蔓延、格差・分断の拡大」のなか
「時代が石川淳の再発見を、
石川淳の作品の再読を求めているから」なのだろう

石川淳の文学は
とらわれた世界から脱出して
「自由」を求めるものでもある
とくに「マルスの歌」にも表現されているように
石川淳はかつての戦時下においても
「不服従」であり「自由」を遊ぼうとした

戦時下の言論統制のなか
「同時代への<不服従>の実践」として
石川淳は「<江戸>に留学」したが
そこで「<知的自由>を体験」し
そして「江戸人の<精神の運動>に触れる」
しかも江戸に留まるのではなく
そこで獲得したもので小説世界を広げていった

そうして晩年の大作『狂風記』へと向かうのだが
それを「あまりにも容易に説話論的な還元を
うけいれてしまう筋立てからなりたっている」と
批判を加えたのは蓮實重彦であり
当時のポストモダン言説の中心にいた人たちは
無名性を事とする説話的な語りに不満を表明するのだが
むしろ石川淳はそこにこそ目を向けた
つまり「身分・職業その他もろもろの自己同一性から、
解き放たれ」た「無名性」にこそ注目したのだ

種村季弘は石川淳を「永遠の若さ」と評しているが
それは「たえず裸一貫の丸腰に戻り、
白紙還元して」「ゼロから出発する」気概ということだ
それを「絶対自由に遊ぶ」ということもできる

現在世の中はコロナ騒動の最中で
そのなかでこれまで以上に
「管理社会」への傾斜が強まっている
ある意味で戦時中の「国家総動員法」にも似ている

時代を象徴する事件が起こったとき
それに対して人がどう反応するか
その違いが見えてくる

科学者と称する人たちの非科学的な言説
場当たり的な政治家の言説
迎合することを事とする
責任逃れでバイアスだらけのメディアの言説
無知と死への恐怖から
「管理」を自ら要求する者たちの言説

しかしそうした言説に安易に「服従」せず
「自由」への態度を崩さず
<不服従の作法>で応える者たちもいる

その意味でもまさにいま
石川淳の世界を知ることは
「ゼロから出発する」気概をもち
「永遠の若さ」を生きることにもつながるはずだ

■『最後の文人 石川淳の世界』(集英社新書 2021.4)
■種村季弘「からっぽという装置」
 (『ちくま日本文学全集 石川淳』(筑摩書房 1991.7)所収)
■石川淳『狂風記(上・下)』(集英社1980.10)

(『最後の文人 石川淳の世界』〜山口俊雄「今、なぜ、石川淳か?」より)

「小説があまり読まれなくなった久しい。ずいぶん前から、「小説は終わった」「文学は終わった」という声もひんぱんに聞く。そんななか、とりわけ難解さをもって知られる石川淳(一八九九〜一九八七年)を、いまなぜあらためて取り上げるのか。
 それは一言で言えば、時代が石川淳の再発見を、石川淳の作品の再読を求めているからである。
 グローバリズムと新自由主義(ネオリベラリズム)が世界を覆ってしまっている今日の、このどうしようもない閉塞感の蔓延、格差・分断の拡大・・・・・・。新自由主義と言うが、いったい誰にとっての自由か。それはあくまでも資本にとっての自由であり、決して人にとっての自由ではない。今、本物の自由が得がたいものになってしまっているのはまちがいあるまい。本物の自由はいったいどこへ行ったのか、どこにあるのか、どこに求めればよいのか。
 このような問いが浮上しているなか、自由のセンスに貫かれた石川淳文学に触れることの意義がこれまでになく高まっていると言ってよい。石川淳を読んだことのある人にも読んだことのない人にも、この閉塞感に満ちた現在を相対化し、できれば脱出の手立てを考えるために、今、あらためて石川淳を読むことを提案するのがこの書籍である。
 とはいえ、難解と言われがちな石川淳文学である。たとえば、太宰治や坂口安吾、織田作之助らとならぶ無頼派(新戯作派)のひとり、という文学史的な知識を持っている人は多くても、実際に石川淳の作品を読んだことのある人は、太宰や安吾に比べてぐっと少ない。知られている割には読まれていないというのが、紛うかたなき石川淳をめぐる現実である。」
「石川淳作品を説明するためのもっとも重要なキーワードは<自由>である。
 それはまずなによりも精神的な自由、<知的自由>であり、西洋文学(とくにフランス文学)、漢籍、日本の古典、そして文学以外の文献も含め、知的関心の赴くまま、古今東西の書物の世界を自由に渉猟するという営みのことである。
 このような知的精神的なスケールの大きさが反映されたその作品群は、文学史の見取り図のなかに容易に収まらず、石川の訃報を伝える新聞記事の見出しに、「高踏・孤高 文学界の最長老 石川淳氏88歳」(・・・)、「石川淳氏死去 前衛的作風 孤高の文人」(・・・)と、「孤高」の文字が躍ることにもなった。
 しかも、石川淳は知の自由な旅人というだけではなかった。<博学・博捜>は時に知の蓄積の重みのせいで人を不自由にすることもあるだろう。ところが、石川淳は<精神の運動>を重んじ、停滞することをなによりも嫌った。該博な知をふまえながらも。鈍重さとは無縁である。このことは石川淳の作品の言葉、その言葉の連なるダイナミズム、軽快さに明かである。
 そして<自由>を重んじ、なにものにもとらわれないことを優先するとなれば、目の前にある不自由・窮屈さに黙っていることはできないだろう。石川淳の作品には、不自由への<不服従>、とらわれからの自由を求めずにはいられない者の精神のありようが顕現している。
 戦時下の言論統制で自由な執筆がままならないなか、石川淳は<江戸>に留学した。これはまず第一に同時代への<不服従>の実践であったが、その留学先で<知的自由>を体験し、江戸人の<精神の運動>に触れることになる。
 もちろん<江戸>に行きあたって石川淳がただそこに停頓してしまうことはなく、<江戸>で獲得したものをみずからの小説作法に持ち帰り、作品世界を広げることになる。」

(『最後の文人 石川淳の世界』〜山口俊雄「石川淳流<不服従の作法>----「マルスの歌」より)

「従来、掲載誌の発売禁止処分と相俟って反軍的・反戦的な主張を盛り込んだ誘起する作品ということで評価されてきた「マルスの歌」であったが、銃後国民の群集心理を高みに立って批判するのではなく。銃後国民の競争状態・メディア動員も見据え、身近な者が戦時体制のなかで変貌してゆくさまもしっかりとらえ、自他いずれが正気かと戸惑い動揺する局面も孕みながら、最後にやはりどうしても群集心理的な競争状態に同一化できないでいる自分字詩神を語り手「わたし」がみいだすための過程を描いた作品であることが確認できた。
 決して、揺るぎない体制批判、揺るぎない戦争批判が描かれた作品ではなかった。むしろ戦争遂行という名の同調圧力、その同調ぶりへの違和感を、同調圧力への不服従を語った小説であった。」
「八十年以上前に<不服従の作法>を書き込んだ石川淳「マルスの歌」は、作品にとっては名誉かもしれないが現実にとってはたいへん不幸なことに、今なお賞味期限が切れていない。」

(種村季弘「からっぽという装置」より)

「万巻の書をおさめた書庫を背に、レフェランスからレフェランスげと書物の迷路をさまよいあるく。読書の場所として似つかわしい環境といえば、大方はそういう背景が目に浮かぶ。
 しかし石川淳を読む場所ということになると、それとはいささか趣の異なる風景が浮かび上がる。屋内ならおよそがらんとしてなにもない貧書生の下宿部屋。窓にはおそらく、窓ガラスの代わりにありあわせの新聞紙が貼りつけたあるだろう。部屋というよりは、いっそだれのものでもない吹きっさらしの街頭の景色に近い。実際、街頭から地つづきに、板一枚で囲っただけのバラックの一室というのが実状である。
 どうしてそんな見てきたような精密描写ができるかというと、私もまたそういうどん詰まりの破れ屋の片隅で石川淳を読んでいた記憶があるからである。」

「石川淳の永遠の若さはこの辺りからくる。たえず裸一貫の丸腰に戻り、白紙還元してはじめるところには、老いのつけ込む余地がない。かりにふんぎり悪く所有としてのこったものがまだあれば、どろぼうに持っていてもらう。「張柏端」の沓も、「焼け跡のイエス」の浮浪児にひったくられるコッペパンや財布も、「マルスの歌」のあらかじめ奪われている「マルスの歌」以外の一切の歌も、すべて、それがあっては運動の足手まといなるがゆえになくなってほしかった。うすうそそう思っていたところへドロ的があっさり持っていってくれた。せいせいした。これでまたふりだしへ、永遠のふりだしであるところの空虚に戻って、ゼロから出発するシューポスの仕事にめぐりあえる。」

「石川淳の「生活」概念はむしろ「実存」といったほうがいい。そこからしか精神の運動がはじめるすべのない丸裸、「焼け跡のイエス」の赤裸の実存。としれば生活は、空虚または無所有が物質と出会って運動を巻き起こすかけがえのない場にほかならない。もうひとついえば、ここでは生活は実体ではなくて、方法である。なけなしとして、すっからかんとして方法化される、装置としての生活。生活は金利生活者の自足するぬくぬくとした暖炉部屋ではなく、それを方法としてたえず運動を起こすべき、なかにもからっぽな装置なのだ。こうして、極度に具体的な生活とおよそつかみどころのない宇宙的な空虚とは、べつべつに切り離されたものではなく、ひとつのものとして、しかもいたるところで出会うことになる。」

「名は力を中心化させるロゴサントリスムである。一方無名、名づけられないものは、たえず分散して中心かするということをしない。名は、それゆえに、ことばに実体化されたかのようにふるまって、ありようはことばの囚人となって滅びざるをえない。あるいはまた、べつの強力な名に取って替わられないわけにはいかない。」

「ことばは、そこで行き止まりの実体ではなく、そもそもが名なしであるところのそれ自身をつかまえようとしてつかまらず、そこで毎度尻餅をついては和藤内のように、「つらくってかなわねえ」と嘆息するものであるらしい。もうお分かりだろう。ここに及んでは、ことばといっても「生活」といっても同じことである。あるいはことばを生活する、とも。生活をことばにしてしまう、とも、いえそうだ。そしてそれが、どういう具体的な形をとるかは、「江戸人の発想法について」やその戦後版ともいうべき「狂歌百鬼夜狂」を読めば一目瞭然である。
 実体化された糞づまりのことばというガセネタをつかまされたのは、なにも源氏や高師直ばかりではなかった。「マルスの歌」のマルスの徒も、「二人権兵衛」のゴンベでないほうの権兵衛も、はかないガセネタをつかんであえなくくたばった。ことばの虚実、「鷹」の雲泥の差のある同じみかけのピースのようなその裏表のたわむれに、虚の側から打って出て、「八幡縁起」の歴史を横断する虚実の盛衰記にそのあらましを語った筆の行く手は、やがて晩年の巨魁な長編小説「六道遊行」や「狂風記」の滔滔たる大河に一気に雪崩れこんでゆく。しかしいまはそこまで先走らずに、ひとまずあのからっけつの書生部屋に立ち戻って、すきっ腹に無一文、先入見というものをまるで持ちようのない丸裸の眼を、目の前のテクストにさらすべきときだろう。」

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