見出し画像

大橋 良介『〈芸道〉の生成 世阿弥と利休』

☆mediopos-2558  2021.11.17

遊ぶといえば
ヨハン・ホイジンガの
『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』を思いだすが

世阿弥の『風姿花伝』では
「天の岩戸」の物語における「御遊び」が
申楽の始めだと述べられているように

神々もまた人間も
「遊び」あっての存在である

では「芸能」「遊芸」にとっての
「あそぶ」というのはなにを意味するのだろう

本書では「世阿弥」と「利休」をめぐって
芸術と政治権力の矛盾に満ちた「共生」が
そして「共生」ゆえの「非共生」が示唆されるが
(「非共生」ゆえに世阿弥は佐渡へ配流となり
利休は自死を賜り自刃することになる)
そこに「あそび」の働く場が
形成されるがゆえのことであるともいえる

著者の大橋良介はここで
日本語の「あそび」のほんらいの意味を
「しばらくその目的をはづれたところへ出て
無目的にある」こととしてとらえている

信長や秀吉の「御成」の茶会では
「被遊(あそばされる)」という表現が頻繁に出てくる
それは当時の庶民にとっては
「貴人の行為はすべて日常性にしばられない
「あそび」の性格を帯びているとみなされた」からだが
日常性にしばられないがゆえに
「現実世界で見落とされている意味があらわれる」
ということでもあっただろう

「あそび」は非日常の場を
そこに現出させるということだ
それゆえ宗教空間もまたそこに関わってくる

一遍上人は「遊行上人」といわれ
「遊戯観音」は自在の悟りを得た姿であり
『妙法蓮華経』の観世音菩薩は娑婆世界に遊ぶ

そのように「あそび」「遊」は
非日常の性格を帯びているがゆえに
「遊芸」をうみ宗教的境地ともなるが
その反面「遊興」に身を滅ぼす危険を孕んでいる
その意味で「遊」は「自由」と近しいともいえる

さて今回本書をとりあげてみたのは
久々に大橋良介という懐かしい名を目にしたからでもある
かつて西田幾多郎の哲学について著者から学んだことも多い
現在は(二〇一四年から)
日独文化研究所所長をされているとのこと

■大橋 良介『〈芸道〉の生成 世阿弥と利休』
  (講談社選書メチエ 講談社 2021/11)
■南坊 宗啓『南方録』
 (岩波文庫 岩波書店 1986/5)

(大橋 良介『〈芸道〉の生成 世阿弥と利休』より)

「世阿弥は自分の著書のいくつかの「遊楽」あるいは「遊芸」という文字の入った題名を、用いていた。『風姿花伝』では、申楽の縁起が神代の「天の岩戸」の物語から説き起こされるが、「その時の御遊び、申楽の始めと、云々」と述べられる。もしわれわれの生活の中から「遊び」が取り除かれたら、どんなことになるか、想像すればよい。それは人としての生活ではなくなる。
 日本・中世の「遊芸」について、(…)西山松之助の「近世の遊芸論」という、周到な学術論考がある。西山はそこで、「遊芸の共通項のうち、最も重要なことは、あそびであることと、そのために、参加者は、例外なく自分で演じるということである」と、述べている。この西山の重要な指摘に、なおひとつ付け加える部分があるとすれば、それは「あそび」というものが、それを見ている者をもそこに引き込んで、演者と観者の、さらには芸能者と権力者の、「共生空間」を形成するということだ。(…)その場合の「共生」に構造的に「非共生」のエレメントが含まれる、ということが本書の基本的な着眼だ。」

「「あそび」という日本語は、元来どういう意味を持つのだろうか。私が私淑していた国文法学者の故・森重敏(…)の説を引用したい。以下の引用は故・森重教授が昭和六十二年三月八日付で、達筆のこまかい文字で書かれた便箋五枚の、筆者宛て私信の一部である。
「アソブという語は以下の意味を持っている。語幹アソの原形はアスで(アソブもアスブの転)、アス自体、もともと一つの動詞。アス(動詞)は満たして置くの義。神前に稲・酒などを一杯備へること。(……)アソブは、本来の目的はもってゐながら、しばらくその目的をはづれたところへ出て無目的にあること。(……)無意志、無目的、無責任である」
 森重教授のこの説明を念頭におくと、不意に想起されることがある。それは、信長や秀吉の「御成」の茶会で、「被遊(あそばされる)」という表現が頻繁に出てくるということだ。庶民からすれば、貴人の行為はすべて日常性にしばられない「あそび」の性格を帯びていると、思われたのだ。かつての身分社会の庶民感覚だから幻想でもあるが、しかし幻想であればこそ現実世界で見落とされている意味があらわれる、ということもあり得る。
 「あそび」は、現実の必需に追われた生活の中でしばらくその必需関連から外れる時空であり、現実の生活に不可欠の自由なゆとりと解放だ。それは最も緊迫した場面でも生じ得る。たとえば桶狭間の一戦に信長が出陣するとき、「信長(……)敦盛の舞を遊(ば)し」と書かれる。行為とはどこまでも何かを目的とするものだが、その目的関連の束縛の全体を。「しばらくその目的をはづれたところへ出て無目的にある」ことが、「あそび」のひとときとなる。」

「茶の湯そのものを「遊」という文字であらわすことは、「『南方録』ではほとんど出てこないが、それでも「野点」を「野遊」と形容する個所はある。武家たちの遊びである「狩」すなわち「野駆け」が、そこで茶を点てて飲む「のだて」となり、両方共に「野遊」と称されたということは、またしても「戦陣の中の茶の湯」に通ずることだ。『南方録』に記述される「野点」のひとつが、島津征伐の終結を祝う「筑前ノ箱崎」という陣屋だったことも想起しよう。利休もその場にいた。「松原ニテノ休(利休)ノハタラキ」があったことが、そこに言及されている。
 「野遊」という語から、ともすれば茶室の中での細かい所作を忘れて伸び伸びと野外で野駆けし、その折りのくつろいだ一服休憩が、連想されるかもしれない。しかし利休はそれに対して厳しい戒めを、述べている。野点は「一心ノ所為ニシテ(心を集中しておこなうものであって)、手ワザノ小事ニアラズ(手先でおこなう小さな事でない)」と。
 実際、「遊」もしくは「あそび」には、種々の次元がある。迷惑な遊びもあり、危険火遊びもあり、身を滅ぼす遊蕩や遊興もある。『南方録』では、「茶ノ本道」は廃れて「俗世ノ遊事」となるときに、かえって世間ではそれが茶の湯の繁盛と取られると、述べられている。しかしまた、俗世の虚栄を突き抜けて宗教生の深さに転ずる真剣な「遊び」もある。(…)仏門ではこれを「遊山(ゆさん)」という。修行の場であり寺を向上の場としての「山」に例えて、寺から寺へと修行に回ることを言うのだ。時宗の開祖・一遍上人や、その宗派の僧たちは「遊行上人」と言われ、「遊戯観音」はどんな状況にも出入自在の悟りを得た姿でもある。親鸞の『教行信証』では、「薗林遊戯寺門」でこう述べられる。「菩薩衆生を度すること、たとへば獅子の鹿をうつに所為はばからざるごときは、遊戯するがごとし」と。獅子が鹿を殺めて餌食にすることが、菩薩の衆生済度の行為の比喩になるという、驚くべき個所だ。『妙法蓮華経』の「観世音菩薩普門品」に「観世音菩薩はいかにしてこの娑婆世界に遊ぶや」という問いは出てくるが、この場合の「遊」はサンスクリット原典の語の和訳では「歩き回る」となっている。「遊」は、人間が生きていくときの最も基本的な相としての「歩き回る」ことそのものだから、生きるか死ぬかの真剣勝負の場でもあり得るし、奥深い宗教的境地としても現じるし、また遊興に身を滅ぼす危険ともなる。
 「世阿弥と利休」の「と」が、最終的なこのような「遊」に凝縮され、「芸道と権力の共生空間」での生き方になるのなら、それを開示する「世阿弥と利休」といテーマは、まさしく現代にまで伸びてくるものとなる。」
「世阿弥と利休における芸道の生成と、そこでの「遊」は、現代のわれわれにも限りない問いかけと示唆を含んでいる。」

◎目次

第一章 なぜ「世阿弥と利休」か
一 六百余年の忘却に埋もれていた世阿弥
二 「世阿弥と利休」という視座
三 世阿弥と足利義満・義教
四 利休と織田信長
五 利休と豊臣秀吉
六 「芸道」および「茶道」の概念史
七 東西の芸術観の比較
八 戦陣の中の遊楽
第二章 世阿弥と義教
一 足利義教――天魔と歌人が同居する将軍
二 『風姿花伝』の「花」
三 『風姿花伝』から『花鏡』へ――「秘すれば花」
四 「離見の見」――演者の目と観衆の目
五 「批判之事」――「貴人」の批評眼の意味
六 『金島書』――「こがねの島」佐渡へ/から
第三章 利休と秀吉
一 『南方録』研究史の概観――茶湯ニハ、昔ヨリ書物ナシ
二 下克上の時代の茶の湯
三 織田信長――夢幻の如く也
四 秀吉と利休――美をめぐる対峙と共生
五 『南方録』の美学
六 「利休死後」の利休
結語 「遊」、そして現代
あとがき 西田幾多郎の手紙(新史料)にちなんで

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?