見出し画像

マシュー・ルベリー『読めない人が「読む」世界 読むことの多様性』/オリヴァー・サックス『心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界』

☆mediopos3503  2024.6.20

マシュー・ルベリー
『読めない人が「読む」世界:読むことの多様性』
原題は「Reader's Block:A History of Reading Differences」

難読症(ディスレクシア)
過読症(ハイパーレクシア)
失読症(アレクシア)
共感覚
幻覚
認知症
といった

読字(字を読むこと)を阻む
「リーダーズ・ブロック」を見ていくことで
「文字を読むプロセスがスムーズに機能しているときには
気づかれにくい読字の側面を浮き彫りに」し

読むことに困難を抱えている人々の
多様な読字のあり方から
「「読む」という行為に対する考え方を変える」
というのが本書の主な意図であるという

つまり「「読む」という言葉には
多種多様な活動が包含されており、
それぞれに共通する決定的な特徴は
ひとつとして存在していない」

「ニューロダイバーシティ」という概念に
焦点が当てられているが
この言葉は一九九〇年代に
障害者に権利保護を求める活動家の人たちが
「正常な脳」という概念を
「神経学的差異に置き換えようとして」用いられるようになった

「「ひとつの脳」ではなく「いくつもの脳」」
つまり「脳にはひとつとして同じものはなく、
脳が異なれば考え方も異なってくる」ということ

「いままでは障害とみなされてきた脳や神経(ニューロ)の特性を
その人の個性として受け入れようとする考え方」である

本書ではそんな
「さまざまな神経学的疾患の影響を受けながら
文字と向きあって」いる
「ニューロダイバージェントな読み手の証言」が集められている

それらの「証言」の多くは
脳神経科医のオリヴァー・サックスが
「臨床の伝記」として
「病理学の力の均衡を生理学的側面から
心理学的側面へと変化させ」ようとする著作においても
とりあげられている類のものだが
「サックスの症例研究は患者との対話に基づいている」のに対し
本書では「主に史料から集めた証言で成り立っている」

しかしあらためて考えてみると
「読む」ということはどういうことなのだろう
それはどうしても必要なことなのだろうか

本書は読む行為に多様性を認めようというもので
その点においては興味深くまた深く肯けるもので
読むためにどれほどのプロセスが必要なのかが
感動的なまでに描かれてさえいるが
読むということそのものを問い直し
読みをいかに深めるかについてはふれられていない

たとえば
「読むことの多様性」は
「読まないことの多様性」であってもいいのではないか

読むことに執着しすぎると
どこかでそこから離れられなくなる
「「読む」という行為に対する考え方を変える」ならば
そこに「読まない」という行為も含めた方がいい

たとえばこうして本を読みながら
なにがしかを書いたりしていることにしても
どうしても必要なことではない

「有」の淵源に「無」があるように
文字に縛られない世界という背景があってはじめて
そこに読むという世界があるのではないか
そうすることで読字そのものに縛られないで
読字の可能性をひらくこともできるのではないか

■マシュー・ルベリー(片桐晶訳)
 『読めない人が「読む」世界/読むことの多様性』(原書房 2024/3)
■オリヴァー・サックス(大田直子訳)
 『心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界』(早川書房 2011/11)

**(マシュー・ルベリー『読めない人が「読む」世界』〜「序章 厄介な読者」より)

*「この本では、型破りな方法で文字を読む人々の物語と、活字を理解する能力に影響を及ぼす多種多様な神経学的状態が、彼らの生活に及ぼしてきた影響を取り上げる。独特な方法で情報を処理する脳を持つニューロダイバージェントと呼ばれる人々は、どのように文字を読んできたのだろう。」

*「あなたにとって「読む」とは何を意味する言葉だろう? あなたの読字の概念がどんなものであろうと、そして、その言葉をどの程度まで理解しているつもりであろうと、この本で紹介する実例を読めば、読字という言葉の定義の範囲を考えなおすことになるはずだ。」

*「ニューロダイバーシティという概念が誕生したのは一九九〇年代、私たちの脳には途方もない数の異体があると認識されたことがきっかけだった。障害者権利保護の活動家たちが、いわゆる「正常な脳」という概念を、人々のあいだの一連の神経学的差異に置き換えようとしてこの用語を用いるようになった。「ひとつの脳」ではなく「いくつもの脳」というわけだ。脳にはひとつとして同じものはなく。脳が異なれば考え方も異なってくる。それは、神経学的機能が定型的、もしくは、似たような認知アーキテクチャをもつと考えられている人々のあいだでも言えることだ。神経学者から小説家に転身したローラ・オーティスは「人々の心的世界の多様さときたら驚くほどです」と述べている。」

*「この本でニューロダイバーシティに焦点を当てたのには、「読む」という概念そのものへの理解を変える狙いがある。(・・・)この本では極めて希な実例————たとえば、舌を使って文字を読む脳卒中からの生還者————に注意を向けて、「読む」という言葉の輪郭をとらえ直すよう促している。これは、通常の読字の経路を断たれた人間が、どのようにして文字を読むすべを探し求めるのかを示すひとつの事例にすぎない————常識に逆らう読字というよりは、脳に逆らう読字なのだ。」

*「この本で敢えて定型的な読み手(そんなものがあるとすればの話だが)を取り上げなかったのは、ニューロダイバージェントな読み手の証言を集め直すためだ。彼らは、難読症(ディスクレシア)、過読症(ハイパークレシア)、失読症(アレクシア)から、共感覚、幻覚、認知症に至るまで、さまざまな神経学的疾患の影響を受けながら文字と向きあってきた。」

「ディスクレシアが、子どもが読み方を覚える過程で混乱をもたらすことはよく知られているが、その一方で、歴史的に「後天的非識字」、もしくは「語盲」と呼ばれてきたアレクシアが、通常は発作、疾病、脳損傷の結果として、読み書きのできる聖人の読字能力を奪う可能性については周知されているわけではない。ハイパークレシアとして知られる三つ目のレクシアは、児童が(通常は話せるようになる前に)言葉を音韻化(デコーディング)したり、内容を理解しているようには見えない本を丸々暗記したりする早熟な能力のことで、自閉症の領域と関連づけられる症状のひとつだ。

 認知力は別の形でも読字に影響を及ぼす。共感覚者にはアルファベットの文字がそれぞれに異なる色で見えることがあり、それは文字が黒いインクで印刷されている場合でも変わらない。ウラジーミル・ナボコフの自伝『記憶よ、語れ』には、アルファベトの文字がさまざまな色を帯び、「a」の文字は風雪に耐えた木のような色に見えるという記述がある。ほかにも、文字を読んでいる最中に触感、音、匂い、さらには味まで感じる人々がいる。(・・・)非定型的な知覚は、普通の書物の力を超えたやり方で現実と空想の境界を曖昧にしてしまう。いくつかの症例では、脳内の視覚性単語形状領野(VWFA)が活発過多になると、語彙的幻覚が起こり、現実の印刷物との識別が困難になってしまう恐れがある。(・・・)最後に紹介するのが認知症だ。認知症を患う人々は、記憶の喪失の結果として文字を読むのに苦労する可能性があるのだが、そこから想起されるのが『ガリバー旅行記』に登場する不死人間ストラルドブルグだ。彼らは、「ひとつの文章を読みおえるまで記憶力が保たず、右から左へ抜けてしまう」(・・・)という理由で読書をあきらめるのだ。」

・どこからどこまでが「読む」なのか

*「現代において読字が意味するものは、過去の文化で意味したものや、未来の文化で意味するはずのものと同じではない。その定義は人類とともに進化をつづけている。(・・・)まずは、あまりにも狭義な概念は選ばないこと。次に、周囲を見渡せば目に入る数えきれないほどの読字の形態を(ダーウィン淘汰などという表現を使って)除外する危険を冒さないようにしよう。

 この本の目的のひとつが従来の読字と距離を置くことだとすれば、もうひとつの目的は、読字を自然な営みから切り離すことだ。単刀直入に言おう。読字には持って生まれた能力は一切関わっていない。子どもたちが本に囲まれて育てば識字能力が自然と身につくというのは夢物語にすぎない。(・・・)文字を読むための方法はいくつも存在するのだ。」

・多種多様な読字体験

*「「読む」という行為に関していえば、絶対的なものは存在しないと言っていい。(・・・)人間には視覚のほかにも感覚を使って(具体的には触覚や聴覚。嗅覚を使う場合もある)言葉をデコーディングする能力がある。」

「この本のそれぞれの章では、読字ともっとも関係が深い神経学的状態に焦点を当てている。つまり、難読症、過読症、失読症、共感覚、幻覚、認知症である。」

・ニューロダイバージェント脳はどうやって文字を読んできたのか

*「ニューロダイバーシティは、本は読字の歴史を研究する者へ難題を突きつけている。いずれの分野でも、研究者たちは世界中で見つかった古代から現代に至るまでの、多様で、独特な、境界線上にある読字の手法、さらには、そういった手法の「奇妙さ」までをも記録しようとしてきた。」

「読者反応批評やほかの思索的な学派が思い描く「理想的な読者」の代わりに、ハンディキャップによって読字が困難になったり、堪えがたいものにまでなったりしてしまう「厄介な読者」の居場所をつくるべきだ。認知能力の領域からの数々の証言が指し示しているのは、心の働き方の差異を許容できる読字モデルの必要性だ。読字の歴史を障害研究の洞察と結びつける最近研究方法は、ニューロダイバーシティを見失うことがないまま、ダーントンがそれとなく触れた読字の認知的側面を記録することを目指す一本の道を示している。」

「序章では、オリヴァー・サックスの名前が一度ならず登場している、この本で用いるアプローチは神経学的疾患についての論文を山ほど書いてきた医療専門家のそれとはいちじるしく異なっている。医療従事者の症例研究は、診断に関連する臨床症状を重視して、個人の情報を切り捨てる傾向にある。だが、私のアプローチは、個々の症例に思いやりをもって接したサックスの治療に倣ったものだ。イギリスの脳神経科医だったサックスは、希なタイプの神経学的疾患の患者たちを描いたベストセラー本で有名になった。だが、それ以上に重要なのは、サックスが病理への興味に負けないぐらい人間に関心を寄せた医師として記憶されていることだ。サックスは自身の手法を説明する際に、疾患に注目しすぎているという理由で、症例履歴を重視するとヒポクラテス学派の流儀を批判している。患者が無視されている状況を改善するために、サックスは患者を————「悩み、苦しみ、たたかう人間を」————こういった履歴の中心に据えるよう提案している。

 サックスの症例履歴、サックスの言葉を借りれば「臨床の伝記」は、病理学の力の均衡を生理学的側面から心理学的側面へと変化させるものだ。伝記と病跡学の出会いというわけだ。(・・・)あとからわかったことだが、この本で取り上げた疾患の多くは、すでにサックスが書いていたものだった。サックスが読字に献身的に取り組んだことを考えれば(「私には・・・・・・読む必要があった。人生の大半を読書が占めている」(『心の視力』大田直子訳、早川書房)、これはとくに驚くことではない。なにしろ、座骨神経痛の痛みで読むことができなくなったときに、生まれて初めて自殺を考えたというのだから。

 私の手法とサックスの手法には決定的な違いがある。サックスの症例研究は患者との対話に基づいているからだ。対照的に、私が根拠とするものは、主に史料から集めた証言で成り立っている。」

**(マシュー・ルベリー『読めない人が「読む」世界』〜「終章」より)

*「この本では、「読む」という行為に対する考え方を変えることを目指してきた。文字を読む行為は単純明快な活動とみなされることが多いが、よくよく調べてみると、「読む」という言葉には多種多様な活動が包含されており、それぞれに共通する決定的な特徴はひとつとして存在していないことがわかる。この本では、読字が一般に認識されているよりも多様な現象であることを示すために、非定型的な読字スタイルを一堂に結集させた。そういった実例には、書記記号の音韻化(デコーディング)、読解、解釈の観点のみによる読字プロセスの理解を超えて、テキストとの多様な関わり方にまで拡張された読字の定義が必要だ。私は、認知力の多様性を受け入れるニューロダイバーシティ運動の考察に基づき、これまで病的、異常、あるいは「読んだとはいえない」という理由で退けられてきた印刷物との関わり方に注目することで、多くの学びを得られると考えている。」

*「本書で取り上げた難読症、過読症、失読症、共感覚、幻覚、認知症は、読字を阻む六種類のリーダーズ・ブロックとして、文字を読むプロセスがスムーズに機能しているときには気づかれにくい読字の側面を浮き彫りにするものだ。従って、この本で紹介した行動をまるごと受け入れられる領域という観点から読字について考えることで、「読む」ということがなにを意味するのかを、私たち全員がより深く理解できるようになる。」

*「この本のテーマであるもうひとつの読字の歴史は、一般的な読字の歴史から取り残されてきた「厄介な」読み手、もしくは、独特な方法で情報を処理するニューロダイバージェントな読み手の証言を集め直すことを目指したものだ・この種の説明は、型にはまらない読み方をするときの間隔を現象学的経験として第三者に伝えるという、困難な役割を担っている。」

*「私にとって、読字の説明のなかでもっとも有益だと思えるものは、さまざまな読み方を受け入れる余地を残した定義だ。たとえば、メアリーアン・ウルフの「読字とは、書かれた言語をデコーディングおよび読解する行為に関わる、複数の知覚的、認知的、言語的、感情的、生理的プロセスである」という定義は、誰かが本を開いたときに行うさまざまな活動のすべてをほぼ網羅している。ただしこれは、この表現をゆるやかに解釈した場合にのみ当てはまる。厳密な解釈(デコーディングおよび読解)ではこの本で紹介したあらゆる種類の活動が除外されてしまう。一方、便宜的な解釈(デコーディングおよび/または読解)であれば、完全な理解には至らないかもしれないが、本に関する行動のきわめて広い範囲を認めることになる。」

**(マシュー・ルベリー『読めない人が「読む」世界』〜「訳者あとがき」より)

*「いま世界では、「多様性(ダイバーシティ)」という言葉が、健全な未来を築くにあたってのキーワードとして盛んに用いられている。人種、国籍、性別、文化、信仰といったものの違いを尊重して、集団のなかに異なる属性の人々を包摂するという概念だ。そして、いままでは障害とみなされてきた脳や神経(ニューロ)の特性をその人の個性として受け入れようとする考え方が、「ニューロダイバーシティ」と呼ばれている。本書は、ニューロダイバーシティに深く関わる行為としての「読字」、つまり、文字を読む行為に着目したユニークな作品だ。
(中略)
 とはいっても、子どものころからすらすらと文字を読んできた人や、読書を趣味や生きる糧にしている人、情報収集のために速読を常としている人たちには、ディスレクシアの人々が直面している苦労はどこか他人事に思えるのではないだろうか。本書の真骨頂は実はその先にあって、識字能力が簡単に失われてしまう現実にも多くの頁が割かれている。
(中略)
 そうした人々の姿を通して、著者のマシュー・ルベリーはこう訴える――世の中で〝正しい〟とされてきた読み方にこだわることはない。好きなように文字を追ってもかまわない。オーディオブックを聞くのだって立派な読書だ。さらに言えば、大好きな本を手に取り、紙の感触を確かめながら頁をめくり、本を五感で味わうことだって、「読書」と呼べるのではないだろうか?
 つまりそれは、文字を読む行為にも多様性を認めようという主張であり、「あなたはあなたのやり方で読めばいい」という著者からのエールでもあるのだ。」


□マシュー・ルベリー『読めない人が「読む」世界』
目次

序章 厄介な読者
第一章 難読症――ディスレクシア
第二章 過読症――ハイパーレクシア
第三章 失読症――アレクシア
第四章 共感覚――シナスタジア
第五章 幻覚
第六章 認知症
終章
訳者あとがき

○マシュー・ルベリー Matthew Rubery
ロンドン大学クイーン・メアリー校現代文学教授。ヴィクトリア朝文学、メディア史専攻。主な著書に The Novelty of Newspaper's(2009)、The Untold Story of the Talking Book(2023)がある。

○[訳者]片桐晶(かたぎり・あきら)
翻訳家。児童書からビジネス書まで幅広いジャンルを手がけている。主な訳書に『ジュリアン・アサンジ自伝』(学研プラス)、『ゴジラ』(KADOKAWA)、『完全版 タロット事典』(朝日新聞出版)、『ザ・ペンシル・パーフェクト』(学研プラス)、『『赤の書』と占星術』(原書房)などがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?