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エラ・フランシス・サンダース『翻訳できない世界のことば』/山口仲美『擬音語・擬態語辞典』/ジェニー・オデル『何もしない』

☆mediopos3417  2024.3.26

現代人は忙しい
忙しくしていなければならないかのようだ

時間をお金にかえようとしたり
お金にかえないときには
時間を充実させて過ごそうとし
自己啓発に勤しんだり
エンターテインメントのために使ったり
ボランティアなるものに精を出したりもする

昨日の「ケア」の話にもつながるが
「セルフケア」さえもどこか忙しい
「セルフ」を「ケアしなければならない」と
「セルフ」になにかを詰め込んでいく

いつもなにかをしていなければ気がすまないらしい

『翻訳できない世界のことば』のなかに
日本語の「BOKETTO」がとりあげられているが
「ぼけっと」していることができないのだ

日本語にはせっかく「ぼけっと」という言葉があるのに
それを忘れてしまっているかのようだ

『擬音語・擬態語辞典』によれば

「ぼけっ」とは
「特に何も考えず、心の緊張を緩めている様子。
身心の休養のため、あえて気楽にしている様子にも、
考えが働かず、特に何もしていない様子にも言う。」
とある

類義語には
「ぼけーっ」「ぽけっ」「ぽけーっ」などがあり
どれも「何もしない」でいる様態を表している

「ぼけっ」の語根は「ぼけ」は古くは「ほう(惚)け」で
それが「ほけ」「ぼけ」と変化してきたようだ

惚けるというのはボケることにもつながるので
現代人が「ぼけっと」できないでいるのは
それを恐れ避けようとしているのかもしれないが

むしろ「ぼけっと」できないために
ボケにつながってしまうのではないか

「何もしない」でいるのは
いられるのは最高の贅沢でもある

「何もしない」というのは
ある意味では「無」になることでもあるが
その「何もしない」「無」ほど
豊かな時間はないのではないかと
年を経るごとに実感されてくる

わたしは○○○をする・した・しなければならない
というような自我病的なものにつながる心的状態は貧しい

「何もしない」というのは
「からっぽ」になれるということだ
「からっぽ」になれないと
そこにいつも何かが詰め込まれていて
そこにはなにも容れられなくなる

『翻訳できない世界のことば』にある
「BOKETTO」の説明には
「なにも特別なことを考えず、ぼんやりと
 遠くを見ているときの気持ち」とあるが

目の前の些事に現(うつつ)を抜かし
「遠く」をみることができなくなるときにこそ
「BOKETTO」したいものだ

目の前の些事はとても大切だからこそ
その「現」を「抜か」さないために
視野を広くしておくことも
「BOKETTO」の効用である

いや「効用」などということは考えないほうがいい
なにも考えずにただ「BOKETTO」しているに限る

それが「セルフケア」にとってもいちばんよさそうだ

■エラ・フランシス・サンダース(前田まゆみ訳)
 『翻訳できない世界のことば』(創元社 2016/4)
■山口仲美『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫 2015/5)
■ジェニー・オデル(竹内要江訳)『何もしない』(ハヤカワ文庫 2023/11)

**(『翻訳できない世界のことば』〜「」より)

「BOKETTO

 なにも特別なことを考えず、ぼんやりと
 遠くを見ているときの気持ち。」

「JAPANESE 日本語 形容詞

 日本人が、なにも考えないでいるときに名前をつけるほど、
 それを大切にしているのはすてきだと思います。
 いつもドタバタ忙しいくらしのなかで、
 あてもなく心さまよわせるひとときは、最高の気分転換です。」

**(『擬音語・擬態語辞典』〜「ぼけっ」(染谷裕子)より)

「特に何も考えず、心の緊張を緩めている様子。身心の休養のため、あえて気楽にしている様子にも、考えが働かず、特に何もしていない様子にも言う。「どうしてそんなに長いことボケッとしてたのかと訊かれてもむりはない」(シリトー原作・河野一郎訳『長距離走者の孤独』)

「ぼけっ」の「ぼけ」は、動詞「ぼける」や名詞「ぼけ」の語根と同じであり、「ぼけっ」は、これから現代語になって派生した語と思われる。何もしないでいる相手をののしる「何やってんだ、ぼけっ!」というような用法が最初であったか。

 なお、この語根「ぼけ」は古くは「ほう(惚)け」であり、それが「ほけ」、「ぼけ」と変化した。濁音化した例は、「ぼける」「ぼけぼけ」など、室町末期頃から見られるが、江戸時代以前は「ほうけ」や「ほけ」の方が一般的であった。

◆類義語「ぼけーっ」
「ぼけーっ」は、「ぼけっ」より緊張感がさらにない感じに言う。「ボケーっと窓の外を見ていて」(さくらももこ『もものかんづめ』)

**(『擬音語・擬態語辞典』〜「ぽけっ」(染谷裕子)より)

「心が緩んでいて、特に何も考えないでいる様子。「あの谷口のことだ、二、三時間はポケッと待っていたに違いない」(赤川次郎『女社長に乾杯!』)

◆類義語「ぼけっ」「ぽけーっ」
「ぽけっ」は心がうつろな点に、「ぼけっ」は緊張が緩んでいる点に中心がある。「ぽけーっ」は、「ぽけっ」より、さらにうつろな感じ、「結局、ポケーッと空を眺めているっていうか、毎日が夏休みって感じで」(SPA!00・12・20号)」

**(『何もしない』〜「はじめに 有用の世界を生きのびる」より)

「何もしないでいることほど難しいことはない。人間の価値が生産性で決まる世界に生きる私たちの多くが、日々利用するテクノロジーによって自分の時間が一分一秒に至るまで換金可能な資源として捕獲され、最適化され、占有されていることに気づいている。
(・・・)結局人生はいちどきりなのだ。哲学者のセネカは「生の短さについて」という文章のなかで、過去を振り返ると人生が指の間からこぼれ落ちていることに気づく恐怖について述べている。フェイスブックに夢中になって、ふと気づいたら知らぬ間に一時間経っていた誰かさんのことを言っているみたいだ。」

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