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中垣俊之『考える粘菌 生物の知の根源を探る』

☆mediopos3326  2023.12.26

考えるということはどういうことだろう
そして知性の源はどこにあるのだろう

単細胞生物の粘菌は
脳も神経系ももたない

「単細胞」というと
「考えが単純な人」
さらにいえば「愚かな人」という意味さえあるが
はたしてそうなのだろうか

粘菌は「単細胞」であるにもかかわらず
迷路の最短経路を探し出したり
交通網にそっくりのネットワークを作り上げたりする

知性とはなにか
それを
「遭遇する状況が
どんなにややこしくて困難であっても、
未来に向かって生き抜いていけそうな行動がとれる」
そうした能力としてとらえるならば

単細胞の粘菌は
その場のややこしさに応じた
知的と思えるような行動をとる

人は「ややこしい状況におかれたとき」
「バーチャルな世界で
自分の行動をいくつか描いてみて、
そのどれかを選」ぶが

粘菌は「決して人のようには
考えてはいないにもかかわらず、結果だけ見れば
あたかも考えたかのように見える」のだ

すべての生物は細胞からできている
そして粘菌のような単細胞生物においても
「複雑な状況では十分に上手な行動をとる」

細胞は「複数の細胞が相互作用しながら
細胞の集団となって新しい機能性を生み出す」
そんな多細胞性をもっているが
「生物として不可欠の採餌行動能力を見ると、
単一細胞でも、またそれらが集団となっても
同様に採餌行動能力が発揮され」る

ならば
行動能力として表れるような
「考える」という知性のはじまりは
細胞そのものにあるのかもしれない

私たち人間はいうまでもなく多細胞生物だが
「複雑な状況では十分に上手な行動をとる」ことが
できているだろうか

シンプルな機械は壊れにくいが
複雑な機械は故障したり壊れたりしやすくなるように
むしろ複雑さは私たち人間を
行き先の見えない迷路にさえ導いてしまったりもする

出口のない迷路に迷い込んでしまったときには
ひょっとしたら粘菌のような単細胞生物のように
知性の複雑な回路をとりさって
考えることの源に立ち返ってみることで
シンプルな生を回復できるかもしれない

「とかくこの世は住みにくい」けれど
住みにくくしているのは人である
住みにくい世にしている余計なものを
ひとつひとつ取り去っていけば
最後にいちばん大切なものが残るだろう
迷路はそこでその意味を失うことになる

■中垣俊之『考える粘菌 生物の知の根源を探る』
 (ヤマケイ文庫 山と渓谷社 2023/12)

(「第1章 単細胞の情報処理」より)

「最も単純な生物はたった一つの細胞からできています。体はどんなに小さくてもm生きものである限り「生きるための必要にして十分な性能」は、そこにすべて存在して然るべきです。単細胞とて世知辛い生存競争を日々生き抜いているのでありましょうし、それなるの獰猛さやずる賢さを発揮して困難を凌いでいるやも知れません。
 ところが、世の常識はこれに対して否定的です。「単細胞」と『広辞苑』で引けば、「考えの単純な人」という意味が明記さてています。私自身これまでの人生で、馬鹿なことをしでかしたときに「単細胞!」などと罵られたことは一度や二度ではありません。このような言葉の使われ方からわかるように、「考えの単純な」には「愚かな」という意味があります。
 確かに、単細胞生物の行動には人間ほどの「複雑さ」は期待できないかもしれませんが、「単純であること」は、即「賢くない」ことを意味するのでしょうか? 一度、疑ってみる必要があるかもしれません。もしかしたら、単純ですっきりした行動規範が、うまく成立していないとも限りません。私たち人間も、ややこしい状況では、シンプルに考えることで案外うまくいくことがままあります。」

「もともと知性という言葉は、ヒトを対象にしてつくられたものだと思われます。ヒトには意識、さらには高度な言語能力があります。

(・・・)

 単細胞生物の知性を研究するといっても、上記のような人間レベルの「知性」とは、大きなギャップがあります。私たちが目指したのは、そしてこれからも目指すのは、人間が人間らしいと思うような行動の芽生えを、単細胞に探すことです。」

「細胞の情報処理を突き詰めていくと、単細胞生物のみならず多細胞生物の理解も深まります。生命現象の非常に重要な一面が解き明かされます。細胞は、驚くべき共通性をもった生命の基本単位なのです。」

(「第2章 粘菌とはどんな生きもの?」より)

「生きものの賢さの根源的な性質を調べるためには、粘菌という生物は、またとないすぐれた藻である生物です。モデル生物とは、単刀直入にいうと「一点突破の全面展開」です。その生物を深く追求した後、生物界一般に適用できる普遍的な理解へと広げていくことを目指します、
 粘菌の変形体は巨大なアメーバ様生物で、入り組んだ形態や構造がそれほど発達していません。要するに均一性の高い体制です。ミクロな構造はさておき、マクロには単にべたべたした物質のようであり、まさに「生きもの」と「物」との境目を追求するにはうってつけです。きわめて「物っぽい」生きものなのです。」

(「第8章 粘菌の知性、ヒトの知性」より)

「粘菌の具体的な行動を通して見てきた「知的なるもの」について、少し概念的に考えてみたいと思います。
 まず、生物の行動は物理現象であるとみなします。生物学では、この単なる物理現象をしばしば機能と呼んで、生理学的意義を論じます。機能とは、目的があってはじめて現れる概念であることを忘れてはなりません。ある目的に対して、それを実現するように物理現象が起これば、その物理現象は機能を持つといえます。生物の目的とは何か? 本来そのようなものへない、と私は可投げ手います。ただし、生存・持続を目的とすると「みなす」ことはできます。生物は生存機械であると。」

「知性という言葉を使うときには注意が必要です。人には意識があります。自意識、すなわち「私」です。概して心という言葉の意味するところに相当します。つまり、「自分が今ここで紅い色を見ている」こととか「昨日自転車に乗って走った」こととかが自分自身でわかることだと思います。自分を見る自分がいるという点で再帰的です。自分と自分を取り巻く世界を頭の中でモデル化して、そのモデルを自分で見ている、といったほうがピンとくるかもしれません。
 赤い色を見ている私のこの「感覚」は、しかしながら、どうしようもなく説明できないような気がします。(・・・)
 次に、無意識と呼ばれる、意識に多大な影響を与えているものを考えてみます。自分のことを思い起こせばわかるように、ほとんど情報処理は無意識で行われています。自転車に乗っているとき、どうやってバランスをとっているか、だれも答えられません、練習と称する活動の中で知らないうちに乗れるようになります。つまり、問題を解く計算手順が無意識に獲得されています。
(・・・)
 このような意識されない情報処理は、程度の差こそあれ、どの生物体にも存在すると思っています。」

「粘菌の行動をいろいろ観察しておりますと、考えるという言葉の意味が、よくわからなくなってきます。人は、ややこしい状況におかれたとき、どうすればよいか考えます、行動の可能性をいくつか用意してみて、そのどれかを選び出します。そのとき人は、頭の中に自分のおかれた世界をおぼろげにつくりげていて、その世界には過去や未来も含まれているし、「今ココ」ではない遠く離れた場所も含まれています、そのバーチャルな世界で自分の行動をいくつか描いてみて、そのどれかを選びます。以上のような過程が、「どんな行動をとるか考えること」そのものだと思われます。

(・・・)

 粘菌の場合は、人の持つ豊かなバーチャル世界、すなわち「今ココ」を大きく離れた世界を持っていないと思われるので、バーチャル世界で意識的に複数の行動を描いてみてどれかを選ぶということは想定し難い。ただし、運動の仕組みとしてはちょっとした応対(自分自身や環境の状態)の違いで、真逆の行動さえ現れるようにできているので、現実世界ではその場そのときによって多様な行動が出てきます。その意味では、粘菌は決して人のようには考えてはいないにもかかわらず、結果だけ見ればあたかも考えたかのように見えることになります。
 粘菌は、人のもつバーチャル世界に照応するものを持っているかどうか、についてはいまだオープンクエスチョンです。

(・・・)

 ちなみに、人のバーチャル空間を張る時間や空間の座標は、物理学で考える様な順序よく整列した座標ではなくて、これまで経験したエピソードの系列が複雑に折り畳まれたような主観的で複雑な座標のようです。そこには、脳の情報処理特有の性質が表れているはずです。」

「本書第1章ですべての生きものは細胞からできていて、あらゆる生命現象が細胞の細胞に帰着すると書きました。粘菌のような単細胞生物でも複雑な状況では十分に上手な行動をとることがわかりました。最後に細胞の不思議にもう一度立ち返ってこの本を締めくくりたいと思います。
 ここで注目したいのは、細胞が生み出す多細胞性です。ここでいう多細胞性とは、複数の細胞が相互作用しながら細胞の集団となって新しい機能性を生み出すことです。新しい機能性もさることながら、生物として不可欠の採餌行動能力を見ると、単一細胞でも、またそれらが集団となっても同様に採餌行動能力が発揮されます。
 単一の細胞でできることが、細胞集団となっても同様にできることは、考えてみると不思議な気がします。なぜならば、多細胞生物になって体のつくりが変わって行くわけですから、当然運動の仕方もなんらかの意味で変わっているはずです。それでもなお同じような機能性を発揮できるのですから、細胞には、もともと単一細胞がもっている機能性を、その仕組みを調整し直すことで、多細胞体制になっても実現できる能力があることになります。これは、とても不思議なことだと思いませんか?」

□内容
まえがき
第1章 単細胞の情報処理
第2章 粘菌とはどんな生きもの?
第3章 粘菌が迷路を解く
第4章 危険度を最小にする粘菌の解法
第5章 両立が難しい目的をバランスさせる粘菌の能力
第6章 時間記憶のからくり
第7章 迷い、選択、個性
第8章 粘菌の知性、ヒトの知性
あとがき

○中垣 俊之(なかがき・としゆき)
1963年愛知県生まれ。北海道大学電子科学研究所教授。
粘菌をはじめ、単細胞生物の知性を研究する。
北海道大学薬学研究科修士課程修了後、製薬企業勤務を経て、名古屋大学人間情報学研究科博士課程修了。
理化学研究所基礎科学特別研究員、北海道大学電子科学研究所准教授、公立はこだて未来大学システム情報科学部教授を経て2013年より現職。
2017〜2020年北海道大学電子科学研究所所長。
2008年、2010年にイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』(文春新書)、『かしこい単細胞 粘菌 』( たくさんのふしぎ傑作集) など。

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