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盛口満『歌うキノコ/見えない共生の多様な世界』

☆mediopos-2543  2021.11.2

著者の盛口満ことゲッチョ先生には
生き物エッセイがたくさんあるが
本書のテーマは「キノコ」

ゲッチョ先生というのは
大学時代のサークルでつけられたあだ名
カマゲッチョが短縮形になったものらしい
(その由来が面白いが長くなるので省略)

ゲッチョ先生はいま沖縄大学学長で専門は理科教育
自然に惹かれ沖縄に住んで二〇年になるという

本書では沖縄にやってきた「生き物屋」
そのなかでも「キノコ屋」であり
さらには「地下生菌類屋」だという
オリハラさんとコーヘイ君を
沖縄県北部の森に案内することになったことから
キノコをめぐる話が面白く語られている

ちなみに地下生菌というのは
「地下の暮らしに合わせて姿形が収れんした、
さまざまなグループ出身のキノコの総称」

本書は主にその地下生菌や変形菌
そして冬虫夏草や地衣類の話である

なぜキノコなのかそして地下生菌なのかだが
オリハラさんは「人間の常識を超えて、
キノコの姿形が変化すること」に興味を惹かれるといい
コーヘイ君も「見えない世界とつながりがある」ことに惹かれ
「肉眼では、しかと確かめられない
キノコと植物の菌根共生関係」に興味を持っているという

キノコや地下生菌の面白い話は
興味のある方に本書を読んでいただくとして
ここでとりあげたいのは
「眼鏡を掛ける」というたとえで意味することである

それは「特定の視点を持つことで、
初めて存在が視野に入る生き物たち」を
みる視点を持つということである

ただ森の中を歩いていてもそれだけでは
そこにいる生き物に気づくことはむずかしい
鳥を見るためには鳥を見る「眼鏡」をかけ
地下生菌を見るためには
「地下生菌眼鏡」を掛ける必要がある

ゲッチョ先生が森(クラガリ谷)を歩きながら
そこで目にする生き物たちの
背後に控えているだろう見えない存在に
気づくことの大切さを語るところを引用しておいたが

まずそこにいる生き物たちに気づき
それを見るための「眼鏡を掛ける」ということが大事である
あるものを見るためにはそれを見る「眼鏡」がいる
そしてその「眼鏡」をもつためには
それに応じた知識や視点が不可欠で
それを育てるためにはそれなりの経験が必要になる

できればひとつの「眼鏡」だけでなく
多くの「眼鏡」を掛け替えられるようでありたいが
さらに重要なのはそうすることで
「見えない共生の多様な世界」を見ることだろう

本書はゲッチョ先生のこんな言葉で終わっている

「森に行こう。
 見えない世界を見るために。
 それには、どんな眼鏡を掛けていこうか。」

■盛口満『歌うキノコ/見えない共生の多様な世界』
 (八坂書房  2021/10)

「僕は今、沖縄の県庁所在地・那覇に住んでいる。仕事は大学の教員で、専門は理科教育だ。」
「僕は、(…)沖縄の豊かな自然に惹かれて、この土地に住んで二〇年になる。
 僕同様、沖縄の自然に惹かれて、住み着いた生き物屋の友人・知人は何人もいる。本土から沖縄にやってくる生き物屋も、毎年ひきもきらない。そうした沖縄にやってきた生き物屋と一緒に生き物探しをすることもままある。(…)
 生き物屋のオリハラさんとコーヘイ君が沖縄に来るという連絡を受ける。さっそく、ヤンバルと呼ばれる沖縄島北部の森を案内する手はずを整える。
 オリハラさんは四、五歳のときに手にした植物図鑑のキノコのページに、「なぜか惹かれ」て、以後もキノコに興味を持ち続けてきたという折り紙つきのキノコ屋で、現在は博物館で学芸員をしている。コーヘイ君も幼少時よりずっとキノコにはまり続けており、こちらも由緒正しき若手のキノコ屋だ。
 ところで、キノコ屋といってもさらにジャンルは分かれる。二人は、キノコ屋の中でも地下生菌類屋という名称を保持している。地下生菌とは、落ち葉の下や土の中など、森の中でもすぐには目に見えない場所に生えるようになったキノコたちのことだ。もっぱらそんなキノコばかりを専門に見て歩く人たちがいるのだ(地下生菌の団体すらある。なお、コーヘイ君の場合は(…)虫に取りつくキノコ、冬虫夏草の研究者でもある)。」

「地下生菌というのはある特定のグループのキノコの名称ではなく、地下の暮らしに合わせて姿形が収れんした、さまざまなグループ出身のキノコの総称だ。森を歩いていて、ふつう目に付くキノコは、大きく担子菌と子囊菌類に分けられるが、地下生菌と呼ばれるキノコは、この両グループ内のさらにさまざまな分類群に、バラバラに位置しているのである。
 オリハラさんは地下生菌の中でも、担子菌類のイグチの仲間を専門に調べているという。イグチというのは、カサの裏側がヒダ状になっていなくて、小さな穴がたくさんあいて、まるでスポンジを思わせるつくりをしているキノコだ。
(…)
 オリハラさんは、「人間の常識を超えて、キノコの姿形が変化すること」に興味を惹かれるのだという。だから先祖はカサ型のキノコだったくせに、丸い形に変身した地下生菌に惹かれるわけだし、先祖の姿をわずかに残す、柄の名残のある地下生菌を見ると嬉しくなるというわけだ。
 コーヘイ君の場合、博士論文の研究テーマは、エンドゴンという菌とコケとの菌根共生に関する研究だった。コーヘイ君は、「見えない世界とつながりがある」ことに惹かれるという。地下に生える菌や、肉眼では、しかと確かめられないキノコと植物の菌根共生関係にコーヘイ君が興味を持つのは、そうした理由だ。
 「キノコは常識を超えて姿が変わる」
 「キノコは見えない世界の住人でもある」
 とびっきりのキノコ屋が、キノコに惹かれるこのわけを、心にとめておこうと思う。」

「「鳥屋さんと一緒に森を歩くと、新鮮な感じがします」
 オリハラさんは笑いながら言う。鳥屋はたえず周囲の音に耳を澄ませている。羽音や落ち葉を掻き分ける音がしたら、音のした方にさっと目を向ける。もちろん、鳥はそれぞれに固有の鳴き声を持ち、姿が見えなくても、十分な知識があれば鳴き声だけで種類を識別することも可能だ。一緒に森を歩いていても、キノコ屋とは見ている世界が違うのだ。」

「森の中を漠然と歩いていても、なかなか生き物の存在に気づかないことがある。
 特定の視点を持つことで、初めて存在が視野に入る生き物たちがいる。僕は、こうした視点を持つことを「眼鏡を掛ける」というたとえでとらえている。
 地下生菌も、「地下生菌眼鏡」を掛けなければ、到底目に入ってこないものだろう。」

「地下生菌屋のコーヘイ君が、地下生菌よりうも先に独自の眼鏡を掛けて探すようになっていた対象がある。それは虫に取りつくキノコの冬虫夏草だ。コーヘイ君は小学校二年生のときに冬虫夏草に憑りつかれる。図鑑に出ているアリに取りつく冬虫夏草、アリタケの写真を見たのがきっかけだったのだそう。
 「ひたすら自分で探しました。最初に見つけたのが、オオセミタケ。図鑑を見てから半年後の小学校三年のときです。図鑑に出てきたアリタケを見つけたのは、その年の六月ですね。オオセミタケを見つけてから立て続けの見えるようになって」
 コーヘイ君のこの話を聞くと、「冬虫夏草眼鏡」は二段階で掛け変わっていることがわかる。最初は存在を知ったときに掛けた眼鏡。どこかにそれがあるはずだという確信だけに支えられた、ピントがぼやけたような眼鏡ではあったのだけれど、とにかくその眼鏡を掛けたおかげで、彼は実物の冬虫夏草に行き当たる。そして実物に出会ったおかげで、眼鏡が掛け変えられた。今度の眼鏡は、もっとくっくりとした焦点を持つものだ。なんとなく、生えている場所のイメージがわかる。もし生えていたとしたらどんなふうに見えるかわかる。こうして自分の中に探索像ができあがると、次々に冬虫夏草が生えているのが見えるようになってくる。
 僕もまた、地下生菌眼鏡を掛ける以前から、冬虫夏草に憑りつかれていた者の一人、冬虫夏草屋だ。」

「冬虫夏草眼鏡に加えて、ときどき地下生菌眼鏡を掛けるようになった僕が、ずっと掛けることをあこがれていた眼鏡がある。それが「変形菌眼鏡」だ。
 変形菌という生き物をご存じだろうか。変形菌といえば、明治から昭和初期にかけて活躍した、博物学者の南方熊楠が生涯追いかけていた生き物として知られている。」

「森に来ると、なにかが見える。
 クラガリ谷に向かう。(…)道脇の落ち葉に混じって、点々と、カサの直径が一センチあまりの白い小さなキノコが生えている。その根元には、リュウキュウマツのマツボックリが隠れている。マツボックリを専門的に分解する、リュウキュウマツカサキノコだ。ずっとカサの大きな、黄土色をしたイグチの仲間も、ぽつぽつある。(…)
 歩きながら、ふと耳をすましてみる。ヒヨドリの声がする。これはヤマガラの声か。ウーウーと、遠くから響くのはカラスバトの声。低木あたりで羽音がするのは、アカヒゲが立てる音だ。さすがにもう、セミの声は聞こえてこない。コココ……と樹上から音がする。見上げると、木の葉の陰から、大きめの鳥が飛び立つシルエットがちらりと見えた。ノグチゲラだ。キノコの目を向けていると、つい耳からの情報をカットしているけれど、森の中には、いろいろな音も満ちている。
(…)
 林床にしゃがんで、ライトで足下を照らしてみる。一センチほどの、薄い黄土色に染まった丸いキノコが見えた。地下生菌だ。二つ割りにしてみると。中は白い。ルーペで拡大してみると、細かなしわのような構造がぎっしりとある。コーヘイ君が沖縄県から初報告を行った、スイチチショウロだ。
 さすがに冬虫夏草は時季はずれ。一見、冬虫夏草っぽく見えるのは、エダウチホコリタケモドキという子囊菌だ。沖縄県のレッドデータブックに載っている腐食性のキノコだけど、このクラガリ谷ではよく姿を見かけている。
 菌従属栄養植物のムヨウランの仲間の枯れた果実があった。同じく菌従属栄養植物のホンホウソウの枯れかけたものもある。タカツルランと同じように、菌から栄養を得ている植物たち。
 タカツルラン同様、こうした植物たちは、地下に、膨大な量の菌がいてこそ、暮らしていけるものたちだ。変形菌が見えないバクテリアを可視化するものであるなら、菌従属栄養植物は、見えない菌を可視化するものだ。いわば、森の中で、バクテリア菌や、そうした目には見えない多くの生き物の存在を明らかにする、灯台のような存在だ。
 いや、僕が森の中で目にする生き物は、きっと、皆、見えない存在を背後に控えているはずだ、
 耳にし、目にするものは全て、見えない世界を照らす灯台なのだ。
 だから、これからセミの声を聞くことがあったら、思いたい。それは、本当は、様々な命の合唱なのだと。」

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