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大江千里 『マンハッタンに陽はまた昇る/60歳から始まる青春グラフィティ』

☆mediopos-2358  2021.5.1

大江千里は47歳のとき
「ジャズ留学」のためニューヨークに渡った

60歳になったいま
「20歳だった頃、30歳、40歳、50歳だった頃の
自分--君--に言葉を掛けて」いる

ぼく自身が同じように
それぞれの歳の自分に
言葉を掛けるとしたら
どんな言葉になるだろうか想像してみる

さらにそれぞれの歳のぼく自身が
10歳上、20歳上、30歳上・・・の自分に
問い掛けるとしたらどんなことだろうか

そしていま10年後の自分に
どんなことを問い掛けるだろう
そんなことも思いをめぐらせてみる

おそらくぼくのなかには
過去のじぶんと
未来のじぶんが
姿を変えて生きている

その意味でいえば
いまの自分というのは
自分の過去と未来への問いなのだろう
そしてそれがいまの自分を
即興的にコンポジションしているともいえる

大江千里はこの本のなかで
ポップスとジャズの違いを
じぶんの作曲(コンポジション)の仕方として
「自由」と「不自由」ということで語っている

ポップスには「未経験への憧れを描ける年齢には
限界があるという意味の「不自由さ」」があり
ジャズには「ルールを守れば自由に遊べる
「不自由さを超えた自由」がある」という

そして大江千里ならではの作曲法として
「ポップスのときにやっていたのと同じ、
歌詞とメロディの同時作曲法」を見出している
言葉とメロディが響き合っているということだろう

そのコンポジションのありかたは
ひとそれぞれだけれど
それは「不自由さ」を「自由」へと変容させることで
多次元的な自分と対話を重ねていく
そんな道でもあるようにも思える

■大江千里
『マンハッタンに陽はまた昇る/60歳から始まる青春グラフィティ』
 (KADOKAWA 2021.3)

(「プロローグ 還暦の僕からあの頃の「君」へ贈る言葉 Caravan」より)

「9月6日、60歳になる日を友達の家で迎えた。還暦祝いなど頭にないのに「赤いダウン」をプレゼントされたので、記念に着て友人の息子さんのガールフレンドである20歳の女の子とダンスを踊った。
 現代の60歳は「高齢者」の部類には入らず働き盛りだ。とはいえ、60歳は若い頃からの生活習慣を見直したり、老後のことを具体的に考え始めたりといった「節目」には違いない。せっかくなので60歳の自分から見て、20歳だった頃、30歳、40歳、50歳だった頃の自分--君--に言葉を掛けてみよう。
 20歳の君は経済学部の学生だった。15歳でジャズを好きになりニューヨークに憧れたが、この頃はその想いも昇華されシンガーソングライターという夢に夢中でいる。授業そっちのけで組んだバンドでライブハウスをはしごしていると、レコード会社のプロデューサーと出会い、こう助言された、
「君は歌詞が弱いから映画を見なさい」
 それからは3本立て400円の映画館へ通い、一日中ノート片手に印象的なセリフをメモ。君は自分らしい言葉がなかなか見つからなくて焦っているけれど、心配はいらないよ。必ず書けるようになる。
 30歳。初めて訪れた厳冬のニューヨークで、一瞬にして街の持つ魅力のとりこになる。レコーディングをニューヨークで何度も行ううちに、アパートを借りて住むようになる。公園のベンチで独り、セロニアス・モンクを聴いている君はどこか寂しげだ。
 自分の音楽を多くの人に聴いてもらえるようになったのに、心が満たされないのはなぜ? そう自問自答している。バスケットボールを君に転がし、こっちへ投げ返してもらおうか。そのタイミングで、聞こえるか聞こえないくらいの声で「君は君の信じる道を行くといい」とつぶやこう。
 40歳の君は、喪失とあり余る創作意欲とのはざまにいる。30歳のときよりシリアスで悲しい目をしているね。限りある一回きりの人生をどう生きるか、すぐ先の道が分かれていることをすでにわかっているのだろう。
 バーのカウンターで隣り合わせたなら、僕は一杯だけ強めの酒をおごって言葉は何も交わさずそこにいる。
 君は47歳でアメリカに「ジャズ留学」し、50歳では念願のジャズ大学で20歳の学生たちに混じって再び夢中の日々を送る。吹っ切れたように明るいのに、どこかポップからジャズに来たことに引け目を感じている。「堂々と」していればいい。若さは瞬間風速だ。君は負けない。心の熱の温度こそが自分を測る物差しだよ。
 10年先もジャズ山の途中で地団駄踏んでいることは、今言うとかわいそうなので秘密だが、人生は君が今思っているよりも本当にあっという間だから、「この先も失うことを恐れちゃいけない」とだけ伝えたい。
 ニューヨークの街の中で、僕はどの年齢の君ともすれ違っていたのかもしれない。もしかしたら自転車でさっき通り過ぎたのが僕、なんていうふうに。」

(「僕のジャズには歌詞がある My Favorite Things」より)

「僕が「ジャズをどう作曲するのか」。
 ポップスには、未経験への憧れを描ける年齢には限界があるという意味の「不自由さ」がある。一方でジャズには、ルールを守れば自由に遊べる「不自由さを超えた自由」がある。
 ジャズの不自由さとは、「自由」を生み出すために多くの基礎言語が必要であること。この道は行き止まり、天気が悪くても傘は差せない、など覚えておくほうがいい規則がたくさんある。
 ジャズはどこまで「即興」なのかとよく聞かれるが、決まっているのは頭の部分だけ。それを最初と最後に2回演奏するという約束事さえ覚えておけば、あとは「自由」だ。
 大人の遊び方ってフリースタイルで「門限のない夜遊び」をやるのではなく、守るべき規則を守るからこそ濃密な本物の「自由」の意味が浮き立つ。この「不自由」を遵守するストイックさと、真っ白なキャンバスに絵を描く「自由」とのバランスこそがジャズだと言える。
 これはニューヨーク的だ、とも思う。多文化多民族を受け入れ、共存する街には目に見えないルールがある。他者を尊重する、夢の足を引っ張らない、危機時には同じ方向を向く、など。
 それを守れないなら、ニューヨークからはみ出ていく。逆にそれができる人が生き残る。ニューヨークがジャズの街なんはこういうことなのかもしれない。
 驚かれるかもしれないが、僕はジャズのメロディを歌詞と一緒に書いている。実はジャズミュージシャンがセッションに選ぶスタンダード曲はほぼ全てに歌詞がある。つまり、もともとは歌詞があるスタンダード曲をインストゥルメンタルにして演奏しているのだ。詞があるからこそ、景色や温度やドラマがわかる。
 ジャズを始めた頃、僕は「ポップスの書き方をそぎ落とさないとジャズ曲は産めない」と考えすぎるあまり、頭で書いていた。そのうち、メロディを書くときに音符の下に歌詞を同時に作って書き込んでみるようになった。そう、ポップスのときにやっていたのと同じ、歌詞とメロディの同時作曲法だ。
 僕の4枚目のジャズアルバム『Answer July』はジャズ界の重鎮である歌姫シーラ・ジョーダンのために作った作品だが、最初に日本語と英語とをごちゃ混ぜにした適当な歌詞を載せたメロディを作った。それを歌詞のない曲としてジャズ界のレジェンド、ジョン・ヘンドリックスに聴いてもらい、曲の世界観だけを説明した。
 すると、ジョンが書いた英詞に僕の歌詞と同じフレーズが幾つかあったのだ。ミラクル! この出来以降、僕は曲は必ず歌詞と一緒に作ることにしている。
 ジャズの大リーガー養成機器を自分に無理やりあてがっても、僕らしいジャズは作れない。逆に、一番僕が得意なやり方にジャズを近づけていくことに気がついたのだ。」


◎アルバム『Answer July』や当時の活動ついては、大江千里のインタビュー&レポートがあります。興味があればこのページで。
http://kansai.pia.co.jp/interview/music/2016-10/oesenri-answerjuly.html

☆昨夜、YouTubeで視聴できた、この本の紹介もあるちょっとうれしいライブがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=5eJJxHkI4ZE&t=775s


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