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御田寺圭『ただしさに殺されないために/声なき者への社会論』

☆mediopos2802  2022.7.20

シン・ウルトラマンの
メフィラスの名言
「郷に入っては郷に従う
 私の好きな言葉です」
「目的のためには手段を選ばず
 私の苦手な言葉です」

メフィラスも異星人だが
ウルトラマンもまた異星人
それぞれにはそれぞれの考え方と立場があり
メフィラスは人類を支配しようとする悪であり
ウルトラマンは人類を救おうとする善である
というのが基本的なストーリーだが

いま現在地球上に存在する人類は
すべてが異星人であると考えてみる
さまざまな星からさまざまな考え方と立場をもって
やってきてこの地球で生きている

それぞれにはそれぞれの「ただしさ」があり
ほかの「ただしさ」と往々にして矛盾してしまう

その矛盾を超えてともに生きるためにと
「多様性」「自由」「平等」が謳われる
それはたしかに「理想」ではあるのだろうが
その「物語」は現実的には成立し難いにもかかわらず
「理想」という「光」は「影」を「闇」をつくりだしてしまう

「皮肉なことに、物語が人びとの称賛を浴び、
光が強くなりすぎれば、その光が届かない場所は、
ほとんど何も見えなくなる」のだ

多くのひとは悪をなそうとも
差別的であることを良しとしても生きてはいない
「寛容で慈悲深く、思いやりのある人間だという
セルフ・イメージを疑いもなく内面化している」
「自分たちが悪人ではないことを相互確認するため」
「美しい言葉、美しい態度、美しいオブジェで世界を彩る」
そして「それらはやがて巨大な「疎外」という影」を
つくりだしてしまうことになる

この地上は異星人どうしの実験場なのかもしれない
すべての異星人の考えと立場を理解し
すべての「ただしさ」を共存させようとする矛盾
まさにダブルどころかマルチバインドのなかで
いかに生きてゆくか

そんななかで必要なのは
みずからの「ただしさ」を謳い
それに反するものを「悪」とする
もしくはそれらを見ないようにするような
無自覚のうちにつくりだしている「影」を
みずからのうちに見据えることなのではないだろうか

ただしくあろうとすればするほど
それがただしくないものをつくりだしてしまうような
そうしたことにも目を向ける勇気をもつこと
それがおそらくは遙かな道へのスタートラインになる

■御田寺圭
 『ただしさに殺されないために/声なき者への社会論』
 (大和書房 2022/5)

(「終章 物語の否定」より)

「皮肉なことに、物語が人びとの称賛を浴び、光が強くなりすぎれば、その光が届かない場所は、ほとんど何も見えなくなる。
 本書は、物語の否定である。
 「ただしさ」を語る物語への挑戦である。」

「心に温かく沁みるもの、素朴に共感できるものが正しく、不快感を惹起するものは間違っている。私たちはそう考えたがる。だが、個人的な好悪感情は、それ自体の正否や理非を担保するわけではない。
 だれからも愛され、尊ばれ、大切にされてきたものが、社会に改善と調和をもたらしてくれるとはかぎらない。逆のことも少なくはない。本書は、人びとの冷酷非情な所業を伝えるものではなく。あたたかな愛情や慈悲深さこそが、この世界にどれだけ暗い影を落としているかの記録である。
 人間が他人にやさしく、慈悲深く、愛情深い性質を持っているからこそ、人間の築く社会では、憎悪や疎外、貧困や差別が消えることはない。悪意があるからではなく、善意があるから、人はほかのだれかを遠ざけて、追いつめて、ときとして死に至らしめる。意識的に殴打するからではなく、無意識に殴打するから、この世から憎しみが絶えることはない。私たちのやさしさが、この世界を傷つけている。そして、やさしい私たちは、だれかを傷つけていることから眼を逸らす。
 私たちが美しいと信じていたものが、実は醜い。ただしいと信じていたものが、間違っている。高潔だと信じていたものが汚く、重要だと思っていたものが些末である。
 私たちが物語を信じたがる。物語は往々にして、だれからも喜ばれるようにと、心からの善意が込められ、丁寧に編まれている。物語は雄弁であるがゆえに、なにも語らない。」

(「第1章 ただしい世界/5 共鳴するラディカリズム」より)

「長い歴史の中で、多くの人びとの人生を、ときにやさしく、ときに冷酷に規定してきた「大きな物語」は失われた。その空席を埋めたのが「多様性」だ。一人ひとりが、大きな権力や規範体系によって縛られることなく、それぞれの自由を謳歌できる時代となった。そこではすべての人が「ただしい」とされた。
 だが、だれもが「ただしい」と肯定されているはずなのに、それでもなお生きづらさを抱えてしまう人がいる。この多様性の時代に感じる生きづらさは、不安と疎外感をかえって高めてしまう。(・・・)
 自らの「ただしさ」を信じられなくなった人びとは、「大きな物語」————すなわち、「ただしい」「ただしくない」がはっきりと分けられ、従うべき筋道として「ただしい」側が示される物語————が恋しくなった。生きづらさをつくりだしている悪の名を明確に呼ばない多様性の優柔不断さに嫌気がさし、自分たちの「ただしさ」と別の人の「ただしくなさ」がはっきり提示される世界への再構築を望んだ。特定のだれかについては「ただしくない、間違っている、倒されるべきだ」と示してくれる秩序体系の復活を求めたのだ。
 だれもが肯定される現代だからこそ、だれかを断固として否定するための口実を提供するラディカリズムはその存在感を強めている。」

(「第2章 差別と生きる私たち/3 排除アート」より)

「私たちは、自分の中にある「悪」にまるで気づかなくても自覚的にならなくても生きていける。そんな平和で安全で快適な社会で暮らしている。自分たちが狭量で排他的な人間であることから、ずっと目を逸らしていける、配慮のゆきとどいた社会に生きている。
(・・・)
 私たちは、寛容で慈悲深く、思いやりのある人間だというセルフ・イメージを疑いもなく内面化している。その世界観を守り続けるための美しい言葉を、たくさん知っている。美しいオブジェを、たくさんつくりだせる。
「障害者が近所で暮らすのは私たちにとって迷惑だ」といいたくないから「地域の子どもたちの安全・安心な暮らしを大切にするべきだ」と言い換える。「ホームレスが寝泊まりしているのは不潔で不愉快だ」といいたくないから、「街の美観を向上させるため、清掃を強化し、オブジェを設置する予算を強化しました」と表現する。
 自分たちが悪人ではないことを相互確認するため、人びとは、美しい言葉、美しい態度、美しいオブジェで世界を彩る。
 それらは、積もり積もって、やがて巨大な「疎外」という影をつくりだす。」

(「第5章 不可視化された献身/5 共同体のジレンマ」より)

「共同体は、今日の日本社会を悩ます「無縁/無援社会」のアンチテーゼになりえる。
 共同体の中長期的な持続可能性を担保するには、参加者からより多くのリソース提供を求めなければ————ある種の搾取性を持たなければ————ならない。参加するメンバーのコミュニティ内のリソースについて、その生産より消費が上回ってしまえば、当然のことながら共同体は存続しえないからだ。
 搾取的性質を持たない共同体など、理想論の中でしか存在しえない。にもかかわらず、現代社会の人びとは理想的世界の中でしか見つけようもないそれをひたすら追い求める潔癖主義を発揮し、人類に長きにわたって包摂や連帯を提供してきた共同体の「汚れ」を忌避している。
 共同体の秩序を安定させるためには、成員となる人びとにその共同体の規範体系や価値体系を遵守してもらう必要も出てくる。「郷に入っては郷に従え」と評すれば聞こえはよいが、極端に否定的な表現をすれば、たしかに「洗脳」や「支配」ともいえる。個人主義や自由主義に立脚し、共同体的な枠組みにおける秩序体系を批判してきた現代社会の人びとにとっては、共同体および共同体的価値観への再評価と回帰は————孤立や疎外の問題のひとつの処方箋であることが明示されたからといって————なんの抵抗もなくすんなり実践することは難しくなっている。
 搾取性や支配性を排除しつつ、温かい包摂と所属感だけを提供する、きれいな共同体にだれもが憧れるし、もし実在すればこぞって参加を望むだろう。しかし、かりにそのような共同体が本当にあったとして、いったいだれが共同体の秩序を保つためのルールを構築できるのだろうか。
 程度の差こそあれ、だれかを包摂するには、それと引き換えにして、その人に個ではなく公の一部として、奉仕や献身を求めなければならないし、共同体のヒエラルキーの上位に位置する者たちは、より大きな政治的顕現と経済的・社会的優位性を持つ秩序に同意させなければならない。」

「共同体のジレンマを突き付けられたとき、人びとは往々にして救済を諦める。
 このジレンマを引き受けるくらいなら、疎外者や無援者を助けることはひとまず諦め、自由主義的で個人主義的な価値観を尊重する快適な社会を選ぼう————と、暗黙裡に合意する。」

《目次》

序章「私はごく普通の白人男性で、現在28歳だ」

第1章 ただしい世界

1 文明の衝突
 われわれは、それでも風刺画をやめることはない
西欧文明は敗れる。テロのせいではなく、自らの思想によって
「多様性・多文化共生」という名の片務的責務
表現の自由と人権思想の対立
極右を支持する同性愛者
「前提を共有しない者たち」との戦い

2 アルティメット・フェアネス
ウイルスが燻し出す対立構造
平穏な社会は永続的な勝者をつくる
究極の公平を求めて反旗を翻す

3 人権のミサイル
東欧からの贈り物
かつては「人権」によってミサイルが放たれた
迫りくる「相対化」の時代

4 両面性テストの時代
コロナ対策に成功したイスラエル
足かせとなった人権思想
反移民国家ハンガリーの「不都合な勝利」
民主主義国家の光と影

5 共鳴するラディカリズム
連鎖していく過激思想
「生きづらさ」の物語化
責任の外部化
物語と人との共鳴から、人と人との共鳴へ
物語の復活を願う人びと
「多様性」の反動

6 リベラリズムの奇形的進化
不寛容なリベラル?
共感性という風穴
「共感できない者」にも与えられるリベラルな恩恵
道徳的優位性ーー人情=人権=正義
傾斜配分の正当化
徳の賊

第2章 差別と生きる私たち

1 キャンセル・カルチャー
 SNSで台頭する人治主義
自由の制限にはあたらない。なぜなら......
過去の自分がいまの自分を刺す
伝播する疫病

2 NIMBY
彷徨える社会コストの集積地
高級住宅街に「治安を乱す存在」はいらない
平和な国の最後のリスクは人間である
「被害者」ポジションをめぐるパワーゲーム

3 排除アート
路上生活者を追い出すための作品
「排除」のポジティブな言い換え
きれいな街が隠蔽するもの
ただしく拒絶するやさしい言葉

4 植松聖の置き土産
社会にとって役立つ存在/役立たない存在
「植松理論」とは何か
反論の脆弱性
私たちの社会にはマイルドな「植松理論」が存在する
植松の問いと対峙する日

5 輝く星の物語
共感と称賛があふれるストーリー
私たちに赦しを与えてくれるから
美しい物語が持つ影の表情
発達障害者の親たちに突き付けられる責任
「ふつう」を擬態するように求める社会
「ありのまま」が受容される人と、そうでない人

6 闘争と融和
「冷淡」な駅員かクレーマーか
危ういバランスの上で成立した「川崎バス闘争」
差別ではなく貧しさによって
強者はどこに消えた?

第3章 自由と道徳の神話

1 ルッキズム
見た目で判断されない社会へ
奇妙な違和感ーー加速するルッキズム?
ルッキズム反対論は美しい人のためにある
ルッキズム批判の果てにあったもの

2 マッチングアプリに絶望する男
「すべての女がサイコパスに見える。もうだれも信じられない」
彼の見た風景
動物化する人間関係
女性だけが解放された
去勢された男たち
さらに理性的になり、ただしくなった男たちは、去っていった

3 健やかで不自由な世界
牛肉は地球環境の「敵」だ
嫌われていたヴィーガニズム
健康である義務ーーパンデミックで変わる倫理
「個人の自由」の喪失

4 自由のない国
一国二制度の終焉
「表現の自由」が存在しない国
「民主主義的プロセス」の省略
ファシズムを歓迎するリベラリストたち

5 置き去り死
トイレで生まれ、アパートで消える命
だれにも煩わされない社会を私たちは望んだ
弱者にのみ降りかかる自由の代償
「迷惑人間を撃退!」
彼女もまた「迷惑で不快な他者」だった

6 死神のルーレット
社会に復讐する者
弱者の「弱者」たるゆえん
誰もが見て見ぬふりをする
助けようとする人にさらにリスクを引きわたす

第4章 平等なき社会

1 親ガチャ
「親ガチャ」という言葉が人びとを捉えた
バブルを知らない若者たち
人間社会の「ネタバレ」はもう済んだ
努力信仰が死ぬとき

2 子育て支援をめぐる分断
かつて社会が子どもを育てた時代があった
パンデミック後の景気対策として
「子どもたちのために」の建前に寄せられる不満の声
恋愛・結婚が贅沢になる時代
国家の存亡の危機

3 能力主義
大学は、あらゆる差別に反対する?
どうしても消せない差別
「能力差別」の合理性
ルッキズムを許さない高偏差値の学生たち
女性を競争社会に投入する
オリンピックが明らかにした知的エリートたちの想像力の欠如
交わることのない大衆とエリート

4 低賃金カルテル
厚遇される役に立たない仕事
エッセンシャル・ワーカーには感謝が寄せられるが......
だれもやりたくない地味できつい仕事をあえてする人なのだから
低賃金の原因は私たちの偏見にある

5 キラキラと輝く私の人生のために
「欧米ではメジャーでカジュアルな卵子凍結」
先進国のバリキャリ女性のために働く途上国の女性メイドたち
資本主義の忠実なしもべ
人権思想を守るために、不平等な人権をつくる

6 平等の克服
暴力と破壊が、社会を均す
平和な世界によって失われたもの
パンデミックは持たざる者たちの希望になりえるか
テクノロジーが「恐怖」を克服した

第5章 不可視化された献身

1 子ども部屋おじさん
増え続ける子ども部屋で暮らす中年男性
人間関係を得る資格とは
快適な社会の透明人間
他者を求めることは「加害」なのか
「社会問題」と呼ぶ責任

2 暗い祈り
新たな就職氷河期の予兆
「公平に」見捨てるべきだという声
すべての人が、同じ方向に祈っているわけではない
社会の低迷と閉塞が救いになった人びと
みんな当事者の今が「透明化された」人の痛みを知る最後の機会になる

3 きれいなつながり
震災によって、人びとは再び結ばれた
つながり過ぎたその先で
あなたは、つながるに値する?
「つながり」が格差を拡大する
人間関係という資産ーー分けられない宝

4 搾取者であり、慈善家であり
聖人君子はいない
ある金融家の搾取と善行
天才児のための財団ーー貧しき者から富める者への再分配
スポットライトの影にいる者たち

5 共同体のジレンマ
「オンライン・サロン」は悪なのか
無縁化/無援化社会か、搾取的な包摂か
潔癖さを求める現代の呪い
それでも私たちは個人主義を選ぶ

6 疎外者たちの行方
アウトサイダーの終焉
「ヤクザ」が消えれば、やくざ者はいなくなるのか?
疎外の果てに現れた者たち
お前はどうするつもりや?

終章 物語の否定

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