見出し画像

☆mediopos-2243  2021.1.6

外界に「青」があるのではない
私たちが「青」を見るのだ
だから私たちの見る「青」は
ひとり一人同じ「青」ではない
けれどその「青」は魂の「青」だ

私たちは世界に「青」を見て
その「青」にさまざまなイメージを映す
そしてそのイメージがさまざまな文化を生む

「青」という漢字は
上下に「生」と「丹」が組み合わさっている
「生」は生命や瑞々しさを意味し
「丹」は水または朱色の顔料を意味するという

朱色の顔料を意味する説では
「生」の緑と「丹」の顔料で
緑に近い色にもなることからともいわれるように
「青」と「緑」の区別は少しばかり曖昧だ

「青」を意味する漢字には
「青」のほかに「蒼」と「碧」があり
「蒼」は「蒼天」「蒼海」という言葉があるように
ちょっと神秘的な灰色がかったブルー
「碧」はもと「青緑色の宝石」という意味だったように
日光を透過した艶やかなイメージの色である

「ジャパン・ブルー」という
日本の「青」を讃えた色名があり
その言葉は1892年に英語に登場したのだというが
日本では古くから「青」が愛され
本書で紹介されている
日本伝統の青色系の色名だけでも
千草色・花色・露草色・紺桔梗色などをはじめ
56種類もあるほど「青」のイメージは多彩だ

シュタイナーの色彩論では
「青」はみずからの内へ向かって輝く性質を持ち
「魂の輝き」であるという

黄は外へ向かって放射する色だが
青は内へ向かって輝くことから
ブルーな気分になるといわれたり
悲しみや孤独といった色合いをもった
青い歌=ブルースという音楽ジャンルもあるように
青はどこかひとを内省化させるところがある

どんな色も外界に特定の色があるのではなく
私たちが色を見ているのではあるけれど
その色のなかでも
まさに「青」とされる色は
私たちの内に向かって魂の輝く色なのだ

私たちはじぶんだけの
魂の「青」を持っているともいえる
その「青」にじぶんだけの名をつけるのもいい
ぼくは「風の青」とでも名づけるとしようか

■TRANSIT No.50 Winter 2020(講談社MOOK 2020.12)

(「基本の『青』のこと」より)

「いま日本語で一般的に使用されている、青色を表す漢字は3つある。まずは「青」。もっとも頻繁に使われるこの漢字は、紀元前1100年頃から中国の文献に登場する古代文字だ。「青」は、成り立ちとしては上下の半分ずつに分けられる漢字で、それぞれが別個の意味をもっている。
 上の部分は「生」。「生」は植物画生え始め、葉を開きそうな様子を表していて、これが転じて生命や瑞々しさを意味する字に。下は「丹」の古代文字だが、この「丹」の意味には2つの解釈がある。
 まずは「井」戸の中に点があることに注目して、この点は水を表すという説。「生」の緑と、井戸の水が空を映して「青」になっているという組みあわせで生まれたので、ブルーからグリーンまでをカバーしていたともいわれている。
 もうひとつの説として、「丹」はもともと朱色の顔料を意味する字だとするものがある。この場合、「生」の緑と「丹」の顔料という意味の組みあわせで、もともとは緑色の顔料を表していたから、色としては緑に近いという説だ。
(・・・)青と緑の区別はけっこう曖昧である。」

(「蒼」と「碧」より))

「「蒼」も青色を表す漢字だが「青」とは若干使われ方が異なる。この字の場合は「くさかんむり」に注目したい。「生」と同じく植物を表すが、こちらの場合はもっと密集していて、薄暗い様子。色としては灰色がかったブルーといったところか。ほかにも「蒼天」のように使われるときは、天の神様のイメージが強いので、青空ではあるが、畏怖も感じる、神秘的なニュアンスが含まれる。「蒼海」も同様で、綺麗なマリンブルーというよりは、人が飲み込まれそうな、少し怖いイメージだ。
 「碧」の場合は「石」の部分に注目。もともとは「青緑色の宝石」という意味をもち、「みどり」と訓読みすることもある。色というよりも質感が大事になってくる。たとえば「碧眼」は、光沢があり硬質なイメージで、「紺碧」になれば、色としては青いけれど日光を透過して艶やかな感じ。光が溢れている様子をイメージできる。」

(「イメージの青」より)

「色がもつイメージの源泉は3つあり、複雑に絡み合う。1つめは進化の過程で、生き残りのために構築されたもの。血液の色である赤は、原始の時代から、生命や、種の保存に直結する体験の蓄積としてイメージを獲得してきた。人間の生理的反応が生み出した賜物である。2つめは、人間が形成してきた文化に根ざしたもの。「藍染めの衣服が虫除けの効果もあり役立つことから、青は信頼できる色」に繋がったとも考えられる。そのため時代や宗教、国によっても変化する。そして最後は個人的な体験。これが厄介で、「青いセーターを着た人は人に酷い仕打ちをされたから、青は悪いイメージ」などといった。過去の経験やそのときの気分、状況に左右される主観的なものだ。ここまできてしまうとなんでもアリ感がある。
 おそらく最初の青のイメージはかなり曖昧だったはずだ。水、日陰、氷(に時々みられる青)がもたらす涼しさや冷たさの体験、また、広大な空の下や海の前での〝空間的な体験〟が、年月を経て強化されていき、いまでは青といえば、冷静、落ち着き、などの一般的なイメージができあがったといえよう。」

「脳科学的にいえば、そもそも世界には色すらついていないという。個々の物体は光をどういうふうに反射するかという特性をもっているだけで、色自体は、それを見る動物の目と脳が作り出す。反射光を目で受けて、脳が処理して、その結果浮かぶのが色というワケなので、間違いなく見えている色には個人差がある。」

(「日本の『青』ができるまで」より)

「「アオ」という色名は、日本で使われている色名のなかでもっとも古いもののひとつだ。古代に使用されていたのは、「アオ」「アカ」「シロ」「クロ」び4つのみという説もある。これらが日本の色の原点ではあるが、それは当時、直接的に色を表す名詞ではなく、ものや状況を説明するための形容詞として使われていたといわれている。つまり、表1のように「青い」は「淡い(ぼんやりしている)」という意味を表していて、それが転じたものであるということだ。古代の生活では色を細かく表現すること自体、実用がなかったのだ。
 そののち、中国から漢字が伝わり、日本語の割り当てられた。当時の日本ではさまざまな中国の文献が読まれていて、日本語と漢字を統合するときに中国語の意味も一緒に吸収されていったようだ。(・・・)これまでの色彩意識が共通言語として形成されていった飛鳥・奈良時代は、日本の色彩文化の基層のひとつを築いた重要な時代だった。
 同じ頃、藍染めの技術が中国からもたらされ、主に蓼藍を使った藍染めの方法が確立、中国を手本に、聖徳太子が朝廷に仕える臣下の身分を着物の色によって分ける「冠位十二階」を制定した。この制度ができたことにより、生活における色そのものの重要性が高まり、色がさらに意味をもつようになった。色の名前は自然や動物、そして染料の原料などからつけられるようになり、繊細に異なる色のバリエーションが少しずつ増えていった。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?