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「主張」することでバランスをとる国

割引あり

さて今日は、去年の「コロナ禍」突入直後の6月、とあるサッカー関係者から依頼を受け、お話させていただいた内容について書いていこうと思います。
その内容は「僕自身がブラジルで体験した」こと。
すでにタイトルにある「主張」することでバランスをとる国というテーマについて。 

このテーマでお話させていただく際、「白人警察官による罪のない黒人を窒息死させた事件」が引き金となった黒人への差別問題のニュースが世界中で大きく取り上げられていた時期でした。

アメリカは世界でも有数の移民の国で、多民族国家のはずですが、根深い人種差別が根強く残る国でもあり、対岸の火事のように日本人は見ていますが、実のところ「肌の色」ではない部分で引き起こしている差別的な問題が日本国内の方がエゲツないほど酷いなって思うことが多くあります。

そんな世界を席巻している「黒人差別問題」を見ながらふと思い出した言葉があります。

最大の悲劇は
悪人による暴力ではなく、善人の沈黙である。
沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。

アフリカ系アメリカ人・キング牧師の名言

この言葉を思い出した時、真っ先に我々日本人のことが脳裏によぎりました。この言葉を引用しながら例えていくと、「善人が沈黙する時は相手に対して、もしくは相手の話題に対して無関心の現れで、その後、必ず相手のいない場所で文句を言っていることが多い。つまりは、陰口を叩いている。」

そんな経験はありませんか?

どうしても日本人というのは、「意見を言う=文句を言っている」と捉えられがち。
そもそもその解釈が意味がわからないし、ましてや目の前で意見を言うこともなく議論を戦わせることもしないのに、陰で思いっきり悪口を言うことが普通になっている。

「距離を置く」ことと「陰口を叩く」ことはセットではないし、「面を向かって意見を言わない」のと「陰口を叩く」こともセットではない。

「言わなくていいことは言わない」のと「言わなければいけないことを言わない」をごっちゃになっている気がしてならない。


先ほどのキング牧師の名言からいうと、陰口を叩くという行為は「善人による沈黙」が暴力に変わる瞬間だということじゃないかと自分は思う。

このことから日本人に多いのは、「相談をせず、自己完結したことを一方的に事後報告として話す」ことを相談下手だとしている。
これもまた変だ。

そういう人に限って相談する時に相談相手に対して変にネガティブに捉えたり、結果として言いにくいから報告だけしておこうという自己中心的だということをわかっていない。
なので「自分はこうしたいと思っている」という要望も言わなければ、「こうして欲しいんだ」という相手に対する要求もしない。 

なぜなら失礼に当たると思っているからだ。
これも変なのぉ…。笑

それに「どうせ言ってもな…」っていう机上の空論的な勝手な解釈が一番大切な事前に話し合うということを省いてしまっている。なのにもかかわらず、陰で「あーでもない、こうでもない」と文句ばかりを言っている。

自分はそうしていること自体「みっともない」と思うし、そういうことをしている自分を客観視してみてほしいなっていつも思う。
なんか文章が愚痴っぽくなってたら、すいません。

タイトルからずれているように思いますが文脈はしっかりと繋がっていると思っていますので安心してください。笑


自分がブラジルに単身で渡ったのは、高校卒業してすぐ。

「自我」というひとりのキャラクターが出来上がろうとしている「思春期の終わり」ともいう時期だろうか。
とにかく全てが衝撃だったことは今でも覚えている。

ブラジルにはもともと「先輩・後輩」という上下関係が考えがない分、人間関係においてとにかく日本みたいな変なしきたりがない。

「しきたり」があるとすれば、ハグだったり、チューすることだったり。

もちろん「あのジャッパ(日本人に対する偏見的な呼称)、言葉わかんねぇーから」とか言われることもあったし、「サッカー大国」という国にW杯で優勝も決勝もその当時は予選すら突破してない国から来ているからサッカーの面では多いにバカにされ、練習中にパスが回ってこないとかといういろいろないじめがあったことも事実。(たぶん今は、もうそんなことはないと思うけど…)

だけれども、ブラジル人はくどいくらいよく質問してくる。
「お前はどう思う?」
「お前が何がしたいんだ?」
「何か思うことあるかい?」
って。

基本「言わないとわかんない」っていうテイの人たちが集まっている国だから。
そんなブラジルあるあるは「そんなこと言われてなかったから…」っていうべたな言い訳はベスト5に入る。笑

ブラジルはとにかく「意見を言う」けど必ずセットになっていることは「相手の話を聞く」ということ。そしてもう一つセットになっているのは「他人と自分は同じではない」ということも大前提にある。

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この写真は5年前の。
とある日クラブスタッフに急に呼び出されて行った日の写真。

F1ブラジルGPが開催される有名なサーキット場がある「インテルラゴス」というサンパウロ郊外の街にあるチームに訪れた時のこと。

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