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ハルノヒ あいみょん 【歌詞の考察】

1.歌詞の紹介

© AIMYON より

どんな未来が
こちらを覗いてるのかな
君の強さと僕の弱さを分け合えば
どんな凄いことが起こるのかな
ほら こんなにも夕焼け
いつかの明かり思い出す時
大切に気づくのでしょう


2.日本では気づかなかったこと

これをたまたま移動の飛行機の中で聞いた時、心境のハマり方に驚いた。歌の歌詞は普段は聞き流してしまう。フレーズにハマることはあっても、歌詞が響くことって今までも経験がない。

これからアルゼンチンに降り立つタイミングで出会ったこと。これがすごいことだったって思ってしまう。12歳の次男と知らない国に降り立つこと、不安がないはずもない中で、こんな心境で歌える曲があったんだなと思った。

3.アニメの主題歌だった

埼玉県春日部市のヒーロー、某アニメの主題歌だった。家族や子供の可能性を歌うストーリーだった。

親は子供の前で弱さを見せることなく、日々の躾のために強がって生きていく。でも、強くなっていくのは子供の方で親の知らないところで、勝手に成長していくのが子供ってもの。それを過去のものとして受け入れた時に、すごいことが起こるのかもしれない、そんなメッセージと受け取った。

4.「君の強さと僕の弱さ」を分け合うということ

個人的には親と子の関係は同等だと思っている。ただし、親には責任があるから勘違いが起こりやすいが、子供なりの言葉で同等に向き合うことが重要な関係性だと心がけている。

親が子供を操縦しているうちは強さなんて身につかない。親の目を感じることなく歩けるようになった時に子供は本当に強くなる。離れていく子供の背中を声をかけずに見続けるのが親の我慢ということ。

子供も振り返ることなく、前を向いたまま歩く勇気を持つことができるのか。そんな親子の距離感って大事なことだなって思う。

サッカーに置き換えると、日本の子供は親の顔を見てプレーする子が本当に多い。ウチはそれをしたらサッカーを辞めてもいいと思っている。ピッチに立ったら戦うのは自分自身だし、ある意味で敵も自分自身だと言い聞かせている。「凄いことが起こる」のはその先だと思っているから。

5.アルゼンチンで思うこと

アルゼンチンは12歳未満が一人で外出することができない。学校も12歳までは親(その替わりになる方)の送迎が必須となっており、朝8時の学校の開門直前には行列ができるのが日課になっている。

以前、日本では保育園で毎日の送迎が日課だった。6歳で小学生に上がると子供だけで登校するようになる。こちらでは学校は8時から16時であり、12歳までは親の送迎となる。

これが子供の親離れ、親の子離れを遅らせる原因になっている気がする。家族の仲がいいという表現もできるが、移動することに過保護にならざるを得ないのである。

6.日本人が働きすぎなのか

アルゼンチン人は日本人に働きすぎという印象があるらしい。アルゼンチンの12歳までの学校の完全送迎が働くことを阻害しているような気がしてならない。国内のルールとして送迎が必須である以上は、その時間に働くことは不可能ということになる。働かない理由があれば働くこともないし、それを否定も肯定もできないということになる。

ホームヘルパーで雇う考え方もあるかもしれないが、それも全ての家庭ができるはずもなく、自分でやるというのがアルゼンチンの考え方。

親も子も社会進出の機会を逸しているという文化の仕組みが見えてきた。子供が心の強さを育む場所は自分で探すしかないのだろうか。自分で移動することでの時間の管理をできることも大事なことだと思うのだが。



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