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情愛がかよいあうことを考える日

 あたたかな春のような1日。

 家のことなど、ちょこちょこしながら、「バベットの晩餐会」、「アスファルト」を見る。特に、「アスファルト」は拾い物だった。結局、家で見てしまうのだけれど、コロナがもっともっと落ち着いたら、やっぱり一人で劇場に行く時間も大事にしたいなと思う。いつもひとりだけれど、ひとりの時間はとても大切。

 母親もの、とカテゴライズしたくなる映画がある。母親もの、のはじまりは末娘だった。お母さん(私)って感じの映画で、どうしてもお母さんと見たい、みたいなことを熱心に言われて劇場に行こうとしているところに、たぶん電車が動かないとか、そんな理由で一緒には見ることができなかった映画があった。「20センチュリーウーマン」というアメリカ映画。娘がどうしてその映画の母親が私だというのか、とても興味があった。「湯を沸かすほどの熱い愛」も同じように末娘にすすめられたように記憶している。

 二本の映画を見て、とても感慨深かった。私のことをこういう母親だと思ってるのか。こう見えているのか、と。正直、なるほどね、と納得できたので文句はない。我が子が私をどんな母親だと思っているのか、興味深い。

 昨夜、東北で大きな地震があったらしい。あれこれ被害も出ているようだが、深刻な人的被害は出ていないようだ。この地震は10年前の東日本大震災の余震と聞いて、やはり私も春馬くんのお母さんのことを思った。10年前、やっとお母さんと連絡がついて、泣き崩れたお母さんに、「心から側にいてあげたいと思った」と語っていた。母親への共感力の高さというのが感じられたひとことだった。私は親にはそのような共感をしたことがないが、ひとつ思い当たるエピソードがある。

 結婚前のこと。結婚する彼の希望で、結婚後、アメリカに暮らすことになった。それを母親に伝えた。母は特に反対も賛成もなく、「お父さんには言うとくわ」というような感じだったか。もしかしたら「お父ちゃんには言うといてくれる?」と頼んだかもしれない。そして、夜、仕事から帰宅した父が私の部屋に入ってきた。「アメリカ行くって本当か」と私に尋ねた。もう行くと決めている。少しは安心できることを言ったかもしれない。大変だったらすぐ帰ってくるとか。父はその時、呆然とした様子で無言になり、部屋を出ていった。その時のことを、すこし友人などに面白おかしく喋ったことがあるが、この5年くらいの間に、子どもたちが次々に家を出ていった私に、その時の父の気持ちに初めて共感できたのだった。

 もしはたちの私がアメリカにいて、日本で地震があって、父と母が避難所にいると聞いたとしても、私は一緒にいてあげたいというような気持ちにはならなかったと思う。ストレスのかかった状態の両親と一緒にいるのは正直しんどいな、と思っただろう。疲れて悲しい、つらい、というようなメンタルというより、疲れて腹が立つ、イライラする、周りが悪い、というようなタイプだから、一緒にいないですむことにホッとしたかもしれない。

 フランス映画「アスファルト」は、他人同士の間に生まれる情愛の物語だ。日本でもそうそう見かけないような、荒れた団地(というより持ち家のマンションか)に住んでいる人たち。団地の部屋のなかでよもやの物語が紡がれる。それは、人生の中で、ほんの一瞬の出来事なのかもしれない。だけど、こんなふうに小さい彩りに命を輝かせて生きられる。エレベーターに乗ることをある理由から許されていない男はバレないようにエレベーターに乗るために、誰にも使われない時間を洗い出す。深夜こっそりエレベーターを使って向かうのは病院の自販機。もう店はどこもあいていない時間帯なのだ。宇宙飛行士が宇宙はどんな様子かと尋ねられて、アルジェリア移民のお婆ちゃんに絵を描いて見せる。海のなかみたいでね、ギリシャ人は星を小さい穴だと考えていたんだよ、と説明するこのシーンが好き。俺は眠いから寝たいんだよ、とか不時着した運命を呪って半ギレの、映画で見かけるアメリカ人とは違って、礼儀正しい宇宙飛行士。落ち目の女優の向いに住む若者は、いい具合にバリアを乗り越えてきてくれる。勝手にサングラスを持ち出したり、実は彼女の若い頃の写真も。そうか、これはバリアを超えていく映画だったのか。家族じゃなくても情愛を交わすことができる。それは人生のほんの短い間のできごとかもしれない。私の息子も、どこかで、私の知らない人たちにお世話になっているのだろう。

 写真はジュール・ベンシェトリ。ジャンルイトランティニヤンの孫なんだそう。面影ある。

 

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