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ニート生活記「カネコアヤノ 日比谷音楽堂」

※途中、カネコアヤノ野音ライブのネタバレがあるので大阪行く方は、飛ばしてください


よく考えるとほとんど三ヶ月連続となるカネコアヤノのライブだった。
私は分かりやすく楽しみなことがあると、決まって体調を崩すのだが、今回も例外ではなかった。数年ぶりに良い焼肉屋へ行って、舞い上がった私は卓にへばりつくようにして頬張り続けた。すると、食中毒になって高熱を出した。「なあああ!」と何も考えられない頭の中で叫ぶ。声に出してしまうと抱えている吐き気が気のせいで済まないような感じがした。

今回の日比谷音楽堂でのライブは楽しみばかりではない。私は怨念を抱いている。
そのワケは去年の野音に行けなかったからだ。チケットは持っていなのに、ライブの直前に扁桃炎にかかってしまった。つばを飲み込むのも激痛で、意識が朦朧としているなか、SNSでチケットを譲ることにした。その時のやるせなさは今でも感覚として残っている。「風邪を引いて独りになった日には 今日この町で一番可哀想なのは僕だ」の上に、それを歌う本人のライブへ行くことができなかった。熱が下がって考え事をするぐらいには頭が働くと、その後悔やら喪失やら疎外感やら、色んなものが混じった波が押し寄せた。叫びたくて仕方ないのに、どんどん、どんどん溺れていって声にならず、それだのに微動だにしない夏の暑さは静かに感じ、すべてを押し殺されていった。目を覚ませば、見たことのないとんでもない沖に流されていて、それからというものの対象のない怨念だけ育った。

と、大げさには言ってみたものの今回の食中毒は落ち込んでいる隙を与えてはならない。病は気から、だとすれば、気から病撃退ということになるので、高熱の中ずっとずっと「私は無敵じゃ、はあ?かかってこいやぶちのめすぞ。やんのか、てめえ。はああああああん!」と唱え続けたのである。クローズみたいな喧嘩はしたことはないけれど、この数年で体調は飽きるほどに崩してきたから、ウイルスとか菌などとの喧嘩の姿勢や心持ちは整っていた。そして翌朝には熱が下がっていた。自分の体に「う〜ん、よく頑張ったね〜ヨシヨシ、よしよ〜し」と労うことも忘れない。

そんなこんなで体調はほぼ復活した。なぜか元気になってから、無職な自分と働いていけない自分に深く深く落ち込んでしまって(もちろん私がちゃんとしていないせいで)、とりあえずそのまま東京へ向かった。金曜の夕方に着いて、近所にそば処があったからそこで夕食を食べることにした。鶏南蛮そばを注文し、落ち込んだままな気持ちと、慣れない街にきたからか下を向いて、テーブルに敷かれたクロスの柄を端から端まで見ていた。どこにもミスが見当たらない柄にさえため息をついた頃、そばは運ばれてきた。テレビでは衝撃映像のバラエティがやっていて、そばを一つすすると肩の力が抜けた感覚がした。おいしいよりも先に頭をポンポンされたような優しさを与えてもらった。
食べ終わってお会計を済まそうとすると、五千円札しかなくて謝りながら渡すと、「新札が良いでしょ〜」とおばさんはレジの中を探し始めた。
「あれ〜おかしいな。もっと見たような気もするんだけど。ごめんね、一枚しかなかったわ〜」と新札一枚が混ざったお釣りを手渡された。なんだかめちゃくちゃ嬉しかった。それほど新札に興味はなかったけれど、初めて新札を手にするのがここで良かったなと心の底から思う。普段からここにくるわけでもない私に、心を寄せてくれたことが本当に嬉しかった。執拗にごちそうさまでしたと声をかけて店をあとにした。

そしてライブ当日、お昼すぎに三軒茶屋で友達と待ち合わせた。黒いワンピースを着た彼女は手を横に広げると「ここから風が入ってくると涼しいんだ」と腕から肩にかかってのシースルー部分をヒラヒラさせた。白が似合わないから黒ばかりに着ると言っていた彼女と話しながら歩いて、白色も似合いそうだなと思いながら喫茶店に向かった。
店内は昔ながらの雰囲気だったが、客層も店員も若くてこれが都会なんだなと思った。私はドライカレーを注文し、彼女は「あなたといる時、毎回オムライス頼んでいる」と言いながらオムライスを注文した。彼女の会うのは二回目で、初対面の時から旧知の仲だと錯覚してしまうぐらいには関係性みたいなのが出来上がっていて、今回もそれはおんなじ感覚だった。すると彼女は「私達、会うの二回目だよね?」と分かっているからこそ確認してきた。そして私は「そう、二回目!」なんてつまらない返事を返してしまった。
外は灼熱で、だからこの喫茶店で長らくダラダラと話していたが、私にとってそんな時間は愛しさの塊でしかない。どちらからともなく店を出ようという雰囲気になって、店を後にした。斜め後ろの男女、多分マッチングアプリぽかったよね。あれは絶対そう。なんて話ながら、彼女が行きたかった本屋へ向かった。
私は小原晩の本を購入した。彼女も本を買って、そのあとに店主と話をしていた。その店主が書かれたZINEがとても好きらしく、彼女はそのことを伝えているようだった。内向的な私はそれを隣で見ながら、ただただすごいなと見ていた。好きなことを好きだと純粋に伝えられる彼女は、初めて会った神戸でも思ったが素敵な人だなとまた思った。

それから電車に乗って日比谷へ向かった。お互いに方向音痴なもんだから、街を歩く人の中からカネコアヤノが好きそうな人を見つけて、その人が歩く方へ着いていったら日比谷公園に無事到着した。
物販の列が長蛇だったから一旦諦め、公園内のタリーズへ入った。彼女は「ここにいる人のほとんどがカネコアヤノ好きなのすごいよね」とコーヒーを飲んだ。そう言われたから店内をぐるっと見渡して、「たしかに」とかまた不甲斐ない返事をしてしまう。
タリーズを出て、一度喫煙所に寄ってから音楽堂へ向かい、その途中でやっと緊張を自覚した。だって怨念で、恨みで、復讐で、敵討ちなんだもの。
入場して、乾杯しなくちゃと二人で売店に並んだ。思ったよりも時間がかかって、ビールを買って席まで移動し、本当にすぐにライブは始まったからソワソワしている時間はそんなになかった。
カネコが姿を表して、穏やかな拍手が鳴って、それが収まるとセミの鳴き声が聞こえた。命が迫ってくるようなその鳴き声さえも透明な感じがした。
「わけもないけど なんだか悲しい」
空はどこからかやってきた赤色が混じり始める頃、カネコの声を聴いた。
「夏が終わる頃には 全部がよくなる 全部がよくなる 全部がよくなる」
夏の夕空は果てしなく遠く、どこまでいっても宇宙にたどり着くことはなく、その空に私の怨念や、妬み、つらみ、果たし状、仇討ちは勢いよく飛んでいった。そして、東京に落ち込んでやってきた私にその詞は抱えられるか心配になるほど受け取って、そうだよね、夏が終わる頃にはよくなるよね、なにも変わってないし、変われるかもわからないし、今はたくさんの不安ばかりだけれど、よくなるよね。もう抱えなくてもいいものは、と思ったら目頭が急に熱くなって、それは暑くなったのかと思ったけれど、これは間違いなく熱いほうだなと思って、ビールを勢いよく飲んで、最高の思い出作りしようってカネコがいって、しようしよう〜とかキモいことを心のなかで呟いて、大丈夫じゃないけど大丈夫だよ、とずっと自分に言い聞かせてきた言葉を後押しされたような気がして、やっぱり、やっぱりというか相変わらずずっと好きだがな!と体を動かした。
それからというものの記憶機能が馬鹿になったようで、覚えているようなことを覚えられずにいた。しかしどうでもいいことは覚えていて、「ラッキー」のときに空を見上げたら、左の方にすごい速さで飛行機が通過していて、あれUFOかもと思って、これはあれだホワイトハウスで演説中にUFOが映るのと一緒だ。宇宙人もカネコアヤノのライブを見に来たのだ(だとしたら絶対チケット代払うんだぞ)と思って、空一面UFOを探して、もちろんいなくて、一番星が強い光を放っていて、そして空は「ラッキー/さびしくない」のジャケみたいな空。
いつのまにか夜になっていて、蝉の声も額の汗もすっかり忘れて、隣の彼女は彼女だけの音楽の楽しみ方をしていて、だから私も余計に楽しくて仕方がなかった。
本当に、あれ?抱いていた怨念は?というぐらい心の中は空っぽで、空洞で、空洞だからたくさんのことを感受できることができて、体の中で熱がぐるぐる、グルグルしていてグツグツしていて、それを吐き出したい、不格好にボディーランゲージしたい。嘔吐かなと一瞬思ったけれど、食中毒になったばかりの私にはそれとは明らかに違うことは確かで、ぴったりな感覚を考えているとマグマかもしらん!といきついた。マントルでグツグツ煮えて、飛び出したい噴火したい、するよみたいな感覚で、活火山にも意思があるとしたら、私はお前の気持ちを今ならわかってやれるぞ。
だから?ライブ終盤、「恋しい日々」からの「アーケード」で大噴火した。音のない噴火で、夏の夜だった。なにも解決していないし、生活は続いていくし、呼吸を意識しすぎて正しいのかわからなくなるけれど、私はこの音楽で根拠のない大丈夫を手に入れたし、弱いまま強くも優しくもなれる気でいるし、脆いけど無敵だし、つまるところ私で私なのです。

ライブが終わって、すっかり夜の帳の中の日比谷公園を歩いて、それから新宿へ向かった。道中、私と彼女がライブで感じたことを交換しあって、半分ぐらいはおんなじことを感じていて、彼女も含めてオトナになって出会った友達たちは多分、そんなに遠くないところですでに出会っていたと思います。
新宿はキラキラとうよりもギラギラしていて、逃げるように居酒屋へ入って、あまりのメニューの多さになにを頼めばいいか、興奮冷めやまぬ頭では考えられなくて、だいぶ時間をかけながら注文した。居酒屋でももちろんカネコアヤノの話をして、「やさしい生活」の詞のすごさやギターを弾いていない時の動きの癖の話なんかした。それからは生活の話になって、ちゃんと働いている人全員尊敬していると私が言うと、彼女もそうだと言って、みんな強度がすごいよねと言い合ってお酒を飲んだ。それはもちろん私が絶望的な我慢弱さがあるのは間違いなくて、もしかしたら私が知っている義務教育の九年の他にも義務教育があるのでは、と疑いたくなるぐらいに弱い。そんな時、居酒屋の多分入ったばかりの男の子が三度目ほどのミスをして、わたしのすぐ横で大きなため息をひとつついた。そのため息が痛かった。

居酒屋を出て、新宿駅で解散した。三茶に着いて、カネコアヤノが好きな別の友達に電話をかけた。私が起きてた?と聞くと、ふふぇへ?みたいな返事が返ってきたから絶対寝てたなと確信した。だけれど宿まで付き合ってくれるとのことだったから、カネコアヤノの話をした(向こうからしたら日比谷へ行けなかったんではた迷惑、大迷惑)。まくしたてるように話していると、あれここ知らないぞ、となってマップを見るともう慣れたはずの街なのに宿とは真逆のほうにずっと歩いていた。だからかれこれ三十分ほど到着にかかってしまった。ごめんなさい。また連絡するね、と電話を切ってシャワーを浴びた。

次の日起きると、言った通り記憶が曖昧で、昨日のことが夢のようだった。
高校の同級生と渋谷で集合して、古着屋へ行くとまだ開いてなくて、ただただ汗だくになった。そのまま表参道まで歩いて、原宿まで歩いて、コンクリの熱で履いていたスニーカーのソールの接着剤が溶けて、仕方ないから私達調べの日本第一位のケバブを食べて、仕方ないから竹下通りの100円ショップで接着剤を買って、靴を直して、ドトールへ入って、そのドトールに数時間遅れでマブダチのギャルが能天気に合流してきて、ドトールにいるのにそのギャルがここのカフェ行きたいとか言い出して、なぜか乗り気でそのカフェに行って、高校の同級生はこのあと夜勤で、渋谷までバスにのることにして、都会で乗るバスはなぜあんなに優越感なんでしょう。高校の同級生は帰っていって、ギャルと麗郷へ行って、ギャルも仕事だからと帰ったから二十時には独りぼっちになって、やることもないから渋谷から三茶まで歩いて向かった。そうだ靴応急処置したんだからとソワソワしながら歩いて、途中で急な階段の神社があったから吸い込まれるように立ち寄って、疲れて一旦コンビニでアイスを買って(なんで夏のほうがアイスの種類少ないねん、誰かがアイスは冬の食べ物とかいったけど、それにしても熱いから食べたいわけで、そのニーズにあわせた爽やかなアイス開発してくださいな!)、三茶について商店街とか無駄に徘徊して、本格的に疲れたから帰ってシャワーを浴びた。

朝起きて、散歩して東京にも月曜日の雰囲気あるんだなと少し驚いて、今日会う友達が十一時には家出れるようにすると言っていたのに、十一時過ぎても連絡がないから電話するとまだ寝ていて、仕方ないから都立大学まで歩いていって、また汗だく。友達のその彼女のタイ料理屋へ行って、もちろん頼むのはカオマンガイ一択で、そのあと自由が丘、初めての自由が丘はそんなに惹かれることもなく、気づいたら時間が迫っていて、都立大学から電動キックボードに乗って宿まで戻った。LUUPを乗るだけで私は都会の仲間入り間違いないの。それから素早く荷物をまとめて、東京駅へ向かって、時間通りの高速バスに乗り込んだ。運良く隣の席の人がキャンセルしたようで広々空間だった。バスは皇居の横を通り過ぎて、日比谷公園の前を通って、高速に乗り込む。乗り込んですぐに渋滞のアナウンスがかかり、バスはノロノロと進んでいく。
高速道路から東京の街を見下ろしていると、建物の裏側とか影とか隠れたところに室外機がたくさんあって、その一つ一つそれぞれに生活の表情と汚れがあって、なんとなく東京の道端で裏返っていたセミ達のお腹を思い出していた。
気づけば空は日比谷の空と同じ色になっていて、うたた寝からちゃんと目を覚ますと夜になっていた。イヤホンからカネコアヤノの声が聴こえて、細かな記憶は忘れていってもずっと自分の中にそれはあるのだと、それだけは信じられるのだと実感する。

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